AI創薬ディールの読み方——製薬会社はAI企業に何を買っているのか
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最近、製薬会社とAI企業の大型提携が相次いでいる。
「最大20億ドル」「最大27.5億ドル」——こうした数字を見ると、製薬会社がAI技術に巨額の資金を投じているように見える。
しかし、「最大○十億ドル」は、契約時に全額を支払う金額ではない。多くは、候補薬の開発・承認・販売が進んだ場合に支払われる、条件付きのマイルストンである。
さらに、同じAI創薬ディールでも、製薬会社が買っているものは異なる。
AIモデルの利用権なのか。研究サービスなのか。候補薬の開発・販売権なのか。それとも、自社専用のAI基盤なのか。
重要なのは「AIを使っているか」ではない。どこまでの権利を取り、どんな条件で支払い、自社戦略にどうつなげるかである。
本記事では、AI創薬ディールを5つの軸に分解し、最大金額の裏側にあるリスク分担と戦略的な狙いを読み解く。
1. 近年の主なAI創薬関連ディール
まず、近年の大型・象徴的なAI創薬関連ディールを整理する。
以下は網羅的な一覧ではない。原則として最大金額10億ドル以上の大型案件と、金額非開示でもAI創薬の方向性を示す重要案件を選んだ。金額については、会社発表と報道ベースの情報を区別している。

※ Upfrontは、契約時または初期段階で支払われる対価を指す。
※ 「最大金額」の定義は各社で異なり、Upfront込みの総額と、Upfrontを除くマイルストン上限が混在する。Upfront比率は、同一定義・同一契約単位の案件間でのみ参考比較できる。
※ 金額非開示の案件は、戦略的重要性から代表例として掲載した。Lilly × NVIDIAのようなAIラボ・計算基盤は通常のライセンス契約と異なるため、表には含めていない。
表を見ると、AI創薬ディールといっても中身はかなり違うことがわかる。
Pfizer×Chai:研究者が使うAI設計エンジンの利用(ソフト型)
Lilly×Insilico:AIが生んだ候補薬の開発・製造・商業化権を取り込む(パイプライン型)
武田×Iambic/Alnylam×Inceptive:疾患知見とAIの設計力を組み合わせる共同研究型
Sanofi×OpenAI/Formation Bio:創薬だけでなく開発・業務基盤にもAIを組み込む(狭義のAI創薬を超える動き)

さらにもう一つの軸も見え始めている。AIで「これまで薬にしにくかった標的(undruggable target)」に挑む動きだ。Novartis×Orionis(2026年6月)は、分子グルー基盤とAIで、従来の低分子では狙いにくかった標的を誘導近接(標的と分解酵素などを"くっつけて"制御する仕組み)で攻める。AIの価値は「速く設計する」だけでなく、そもそも狙える標的の範囲を広げる点にもある。
つまりAI創薬ディールは、「AIを使う契約」とひとまとめにすると見誤る。効率化か、標的空間の拡大か、そして何を取得するのか——見るべきは、契約の中身だ。
2. AI創薬ディールを読む5つの軸
AI創薬ディールを見るときは、次の5軸で整理するとわかりやすい。

同じAI創薬ディールでも、AIモデルの利用権を買う契約、候補薬を共同で探す契約、既存パイプラインの権利を取得する契約、自社のAI基盤を構築する契約では、価値もリスクも異なる。
5軸で分解すれば、最大金額に振り回されず、製薬会社が取り込もうとしている資産と、両社のリスクの分け方が見えてくる。
3. なぜ最大総額の多くはマイルストンなのか
AI創薬ディールで重要なのは、最大総額の大きさではなく、その金額がどれだけ条件付きかである。理由は、医薬品開発の成功確率が低いからだ。
BIO等の分析(2011〜2020年)では、Phase 1に入った薬が最後承認まで届く確率は全体で7.9%、Phase 2→Phase 3の移行率は28.9%(特にPhase 2が大きな関門)。臨床入りしても、承認までたどり着くのは少数派だ。
だから製薬会社は、AI企業に最初から最大総額を払わない。
合理的なのは、Upfrontを先に払い、候補薬が前に進むたび(臨床入り→Phase 2→Phase 3→承認→売上)に追加で払う構造だ。これがマイルストン型契約である。
通常の医薬品ライセンス契約でも、Upfrontよりもマイルストンやロイヤルティに支払いが寄ることは珍しくない。
業界分析では、Phase 1案件では総額がUpfrontの約7倍、Phase 2では約5倍、Phase 3では約4倍という目安も示されている(2023年のVenture Valuation の分析。2010年以降の2,942件のライセンス契約から構築したモデルによる推計)。
これを逆算すると、Phase 1のUpfront比率は約14%、Phase 2では約20%、Phase 3では約25%となる。
ただしこれは、臨床段階の資産ライセンスから作ったモデルの目安だ。ロイヤルティは含まず、前臨床や複数プログラムを束ねるAI共同研究契約にそのまま当てはめることはできない。
それでも、開発段階が早いほどUpfront比率は低くなりやすい、という考え方は重要だ。
たとえばLilly×Insilico(Upfront 1.15億ドル/最大総額27.5億ドル)は、Upfront比率 約4.2%。前臨床中心の契約だから、支払いは強く後ろ倒しされている。27.5億ドルの大部分は、将来の成功に紐づいた条件付きの支払いだ(契約の中身は次章で分解する)。
つまり、製薬会社はAI創薬に期待している。
しかし同時に、臨床開発の不確実性を織り込んで、支払いを後ろ倒しにしている。
これがAI創薬ディールの基本構造である。
4. 実例:Lilly × Insilicoの契約を読み解く
ここからは、Eli LillyとInsilico Medicineの契約を、先ほどの5軸で読み解いてみる。
この契約は、Upfront 1.15億ドル、最大総額27.5億ドル規模で、開発・規制・商業マイルストンと、将来の売上に応じた段階的ロイヤルティを含む。
一見すると、非常に大きなAI創薬ディールに見える。
しかし、重要なのは「最大27.5億ドル」という金額だけではない。契約の中身を分解すると、Lillyが何を取得し、両社がどのようにリスクを分けているかが見えてくる。
軸1:何を買っているのか
まず見るべきは、Lillyが何を買っているかである。
この契約は、単なるAIソフト利用契約ではない。
Lillyが取得したのは、Insilicoがすでに持つ複数の前臨床の飲み薬プログラムについて独占的な世界権利である。さらに、Lillyが「この標的(薬が狙う体内のスイッチ)を狙いたい」と指定し、その標的に効く薬をInsilicoのAIと共同で探す研究プログラムも、複数組み合わせている(会社発表による)。
つまり、LillyはAI企業が生み出したパイプライン群と研究能力をまとめて取り込んでいる。
ここが、Pfizer × ChaiのようなAIソフト利用型とは違う。
軸2:どこまで権利を取っているのか
次に、権利範囲を見る。
この契約では、Lillyは候補薬について、グローバルで開発・製造・商業化する権利を得る形とされている。
つまり、AI企業が作った候補薬を、Lillyの開発力、製造力、販売力で育てる構図である。
この意味では、従来のバイオテック導入案件に近い。
ただし、通常のバイオテック導入と違うのは、その候補薬がAI創薬プラットフォームから生まれている点である。
軸3:資産はどの段階にあるのか
この案件の対象は、複数の前臨床段階の経口薬プログラムとされている。
前臨床段階ということは、まだヒトで有効性と安全性を確認した段階ではない。
そのため、製薬会社としては、最初から最大総額を支払うのではなく、開発進展に応じて段階的に支払う構造にするのが合理的である。
軸4:Upfront比率はどうか
Upfrontは1.15億ドル、最大総額は27.5億ドル。単純計算すると、**Upfront比率は約4.2%**だ。
ただし、この低さは"安さ"ではない。対象が前臨床でリスクが大きいぶん支払いが強く後ろ倒しされていること、そして複数プログラムを束ねるほど分母(最大総額)が膨らむことを表す——「バックロードの強さ」と読むのが正しい。
軸5:データ・戦略接続はあるのか
最後に、Lillyの戦略との接続を見る。
この案件では、Lillyが自社データを使ってカスタムモデルを構築する案件というよりは、Insilicoが創出したパイプラインをLillyが取り込む色合いが強い。
戦略的には、Lillyが外部のAI創薬パイプラインにアクセスし、自社の開発・製造・商業化能力で価値化しようとする動きと読める。

つまり、Lilly × Insilicoの契約は、前臨床・AI創薬の不確実性を織り込んだリスク分担型の契約と読める。
AIへの期待は大きい。しかし、臨床で成功するかはまだわからない。
その期待と不確実性の両方が、1.15億ドルのUpfrontと、最大27.5億ドルの成功時支払いという契約構造に表れている。
5. AI企業側から見たディールの意味
AI創薬ディールは、AI企業にとって単なる売上契約ではない。
Upfrontや研究費によって短期的な収益を得ながら、開発・承認・販売マイルストンやロイヤルティを通じて、候補薬が成功した場合の上振れにも参加できる。
また、大手製薬との共同研究は、AIで見つけた候補薬が実際の創薬プロセスでどこまで通用するのかを検証する機会になる。大手製薬が技術を採用したという実績は、次の提携や資金調達に向けた信用にもなる。
さらに、薬を承認まで持っていくには、臨床開発、規制対応、製造、販売に大きな資金と能力が必要だ。AI企業は大手製薬と組むことで、自社が生み出した候補薬を、その開発力と事業基盤を使って価値化できる。
つまり、製薬会社は外部のAI技術や候補薬を取り込み、AI企業は大手製薬の資金・開発力・信用力を使って成果を価値化する。AI創薬ディールは、両社が異なる強みを持ち寄る関係である。
6. AIで見つけた薬は、本当に成功率が高いのか
AIに期待されているのは、主に創薬の前半戦——候補探索や分子設計の効率化である。
候補を早く見つける。失敗しそうな分子を早く落とす。薬効、薬物動態、安全性のリスクを事前に予測する。こうした点で、AIは創薬を速くできる可能性がある。
実際、Boston Consulting Groupの2024年の分析では、AIで発見された分子のPhase 1成功率は80〜90%(対象24分子中21が成功)と、従来の40〜60%を上回った。
ただし、これは「承認まで届く確率」ではない。Phase 1は主に安全性や忍容性を見る段階で、同じ分析でもPhase 2の成功率は約40%と従来並みだった。現時点でAIの優位性が比較的はっきり見えているのは、臨床開発の初期段階までである。
AI創薬候補の中には、すでにPhase 3に進んだ例もある。Generate:Biomedicinesの重症喘息薬候補GB-0895は、生成AIで設計・最適化された抗体で、2025年末にグローバルPhase 3へ進んだ。
一方、AIが標的探索から分子設計までを担った代表例であるInsilico Medicineのrentosertibは、主要な公開臨床エビデンスがPhase 2a段階にある。
そもそも「AI創薬」は一枚岩ではない。AIがゼロから分子を設計するケースもあれば、既存化合物の探索を効率化するケースもある。どこまでを「AIが作った薬」と数えるかで、成功率や上市実績の見え方は変わる。
つまり、AIは創薬の前半戦を効率化しても、臨床開発の不確実性を消すわけではない。
そのためAI創薬ディールでも、通常の創薬ライセンス契約と同様、初期支払いを抑え、進捗に応じて支払うマイルストン型が中心になる。
7. まとめ:AI創薬ディールの本質
製薬会社がAI企業から買っているのは、単なるソフトではない。
AIモデル、研究サービス、候補薬の権利、カスタムモデル、計算基盤などを組み合わせ、自社の研究開発に取り込もうとしている。
だから、注目すべきは最大金額だけではない。
何を買い、どこまでの権利を取り、どの段階の資産に、どんな条件で支払うのか。
そこから見えてくるのは、製薬会社が次の研究開発競争に向けて何を取り込み、誰がどのリスクを負うのかである。
AIは、創薬の不確実性を消すものではない。候補探索や分子設計を高度化し、失敗をより早く見極めるための手段である。
だからこそ、AI創薬ディールは、期待の大きさだけでなく、その期待をどのような契約に落とし込んでいるかまで見ると、輪郭がつかみやすい。
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主な参考情報
XtalPi(晶泰科技)× 未開示の海外大手バイオ:XtalPi発表(2026年6月10日)。GPCR標的の経口低分子(代謝疾患)をAI設計。相手はアップフロント+XtalPiの初期R&Dを全額負担し、前臨床・臨床・商業マイルストンとロイヤルティを含め最大4億ドル超。パートナー名は非開示。
Novartis × Orionis Biosciences:Orionis発表およびBusinessWire / Fierce Biotech報道(2026年6月10日)。分子グルー創薬の複数年提携。Upfront 4,000万ドル、最大14億ドル+段階的ロイヤルティ。Allo-Glue基盤とAI創薬エンジンで、難しい標的を誘導近接(induced proximity)で狙う。2020年提携の拡大(Novartisにとって2件目)。
Alnylam × Inceptive:Alnylam発表および報道。Upfront 3,000万ドル、最大20億ドル規模のRNAi / AI創薬提携。
Pfizer × Chai Discovery:Chai Discovery発表。PfizerがChai-3およびカスタムソフトウェアを創薬研究に活用。金額非開示。
Lilly × Insilico Medicine:Insilico発表(2026年3月29日)およびReuters / Fierce Biotech 報道。複数の前臨床経口薬プログラムのポートフォリオに対する独占的世界権利+Lilly選定標的での複数の共同研究。Upfront 1.15億ドル、開発・規制・商業マイルストンと段階的ロイヤルティを含め、total deal value 約27.5億ドル(Upfront込みの総額)。2023年からの既存提携の拡大。
武田薬品 × Iambic:Iambic発表およびReuters / Fierce Biotech報道。がん・消化器領域の低分子薬AI設計を対象とする複数年提携。Upfrontは非開示、最大17億ドル超のマイルストンを含む。
Lilly × NVIDIA:NVIDIAおよびLilly発表。創薬・製造・AI基盤に関する共同AIラボの動き。通常の創薬ライセンス契約ではない。
BIO / Informa Pharma Intelligence / QLS Advisors:2011〜2020年の臨床開発成功率分析。Phase 1→Phase 2の移行率は約52%、Phase 2→Phase 3は約28.9%、Phase 1から承認までの到達率は全体で7.9%。
Venture Valuation「A formula for drug licensing deals」(2023):2010年以降の2,942件のライセンス契約から構築したモデル。総ディール額はUpfrontの約7倍(Phase 1)/約5倍(Phase 2)/約4倍(Phase 3)。臨床段階の資産ライセンスが対象で、ロイヤルティは含まない。
契約金額の定義について:各社の「最大金額」はUpfront込みの総額(例:Lilly×Insilico)と、Upfront除くマイルストン上限(例:Orionis、Isomorphic、武田×Iambic)が混在する。本記事のUpfront比率は同一定義の案件間でのみ参考比較できる目安。
AI創薬の臨床成功率:Jayatunga et al.(Boston Consulting Group)「How successful are AI-discovered drugs in clinical trials? A first analysis and emerging lessons」Drug Discovery Today(2024年6月)。AI由来分子のPhase 1成功率は80〜90%(対象24分子中21が成功)で従来の40〜60%を上回る一方、Phase 2成功率は約40%と従来並み(=AIの優位はPhase 1に偏る)。
AI創薬の上市実績:AIが創出の中核を担った薬で、承認・上市までの実績はまだ限定的(2026年初時点。臨床試験中のAI由来候補は170本超で、承認まで到達した例は確認されていない)。最先行はInsilico Medicineの rentosertib(ISM001-055/特発性肺線維症)で第2相(2a結果はNature Medicine掲載)。初承認の見込みは2027〜2028年とされる。出典:業界分析・Drug Target Review・Nature Medicine 等。※「AI創出/AI主導」の定義(de novo設計か、AI支援か)により範囲は変わりうる。

