第6回 指揮者やオーケストラによって演奏がどのように変わるのか
※本記事は連載で、全体の目次はこちら(第0回)になります。第1回から読む方はこちらです。
クラシック音楽にハマって様々な演奏を聴いているうちに、演奏にもいろいろなタイプがあることに気がつくことになるでしょう。ここでは、このような演奏の類型について私が気づいている範囲のものを紹介したいと思います。具体的には、クラシック音楽には、以下のようなタイプの演奏があると考えています。
モダン派とピリオド派
こってり系とあっさり系
デフォルメ型と高解像度型
流体派と建築物派
モダン派とピリオド派
クラシック音楽界には「その楽曲がつくられた時代の楽器や奏法で演奏すべき」と考える人がいます。みんながこのように考えているわけではないので、世界中のオーケストラのほとんどは現代の楽器を使っています。このように現代の楽器を使って演奏する人をここでは「モダン派」と呼び、前者のようにその楽曲がつくられた時代の響きを追求する人を「ピリオド派」と呼ぶことにします。この「ピリオド派」はヨーロッパに多い印象があります。大昔にヨーロッパでどのように演奏されてきたのか、という時代考証的な話なのでどうしても本場の独壇場になりがちですが、日本にも優れたピリオド派のオーケストラがありますので、来日公演でなくともこのような演奏を生で楽しむことが可能です(バッハ・コレギウム・ジャパン、クラシカル・プレイヤーズ東京など)。ピリオド派の演奏は、やけに軽快であっさりしたものですので、聴けばすぐにわかるでしょう。このことを説明する前に、まず楽器の違いについて説明したいと思います。
産業革命(18世紀半ばから19世紀)が起こったあたりから金属の加工技術が向上し、より大きな音を出せる楽器が登場しました。逆に言うとそれ以前の楽器は現代の楽器のように大きな音が出せるものではなかったのです。また、ビブラートも特別な場合を除いて基本的にはかけていなかったらしいということも言われています。これらの歴史的な背景も踏まえて、当時の楽器だけでビブラートを控えめに演奏するのが「ピリオド派」で最近ではHIP(Historically Informed Performance)とも呼ばれています。
このような事情もあって「ピリオド派」の演奏は、楽器の音が控えめなうえにビブラートによって音を響かせないため、エッジやコントラストの効いた見通しの良いヴィヴィッドな演奏になります。このような演奏の方が説得力がある場面があることは確かで、例えばスケルツォやロンドなどのような軽快な楽章とは相性がいいと思います。ただし、音を分厚く重ねることや音のまろやかさについては、「モダン派」の演奏に太刀打ちできません。特に、たっぷり歌うような表現(カンタービレ)が求められる場面やアダージョ楽章でも、せかせか演奏されるのは受け入れにくいという人も多いと思います(そのように違和感を抱くこと自体が曲に長年取り憑いてきた間違った先入観にすぎない、という議論もありますが)。
こってり系とあっさり系
ラーメンの話のようですが、オーケストラの話です。いろいろなオーケストラを聴き比べていると重厚な分厚い音を奏でているオーケストラと透明感のある明るい音を精緻に奏でているオーケストラがあるような気がしてくると思います。私は、前者のようなオーケストラを「こってり系」、後者のようなオーケストラを「あっさり系」と分類しています。
「こってり系」はベルリン・フィルを筆頭にアメリカのパワーオーケストラ(シカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団)やロシアのオーケストラ(マリンスキー劇場管弦楽団、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団(旧レニングラード・フィル))などが該当すると考えています。一方、「あっさり系」の筆頭はもちろんウィーン・フィルで、ニューヨーク・フィルやモントリオール交響楽団が該当するほか、ピリオド派のオーケストラなんかは間違いなくこちらに分類されるでしょう。日本のオーケストラはほとんど「あっさり系」かと思います(朝比奈隆や小澤征爾がドイツものを指揮した際に、こってりしたものになることもありますが、それはあくまで指揮者マターの話です)。
一般的にいえば、「こってり系」は迫力のある演奏になりやすいという長所がある一方、「あっさり系」は分厚い音塊でない分、個々の楽器の音が聴き取りやすく高解像度な演奏になりやすいという長所があります。ただ、「こってり系」のオケで高解像度を実現した凄い演奏もわずかながら存在し、不朽の名盤として今日まで君臨しています(例えば、ヴァントとベルリン・フィルコンビによるブルックナーの交響曲など)。
デフォルメ型と高解像度型
お次は、オーケストラではなく指揮者の話です。ざっくり言えば、指揮者には「楽譜に書かれている情報のうちポイントとなる情報がなにかを考えたうえで、作曲家が伝えたかった情動や意志を再現したい」と考えるタイプと「楽譜に書かれている音すべてを明確に提示すれば、作曲家の意図はおのずと立ち現れる」と考えるタイプがいるように思うのです。私は、前者のような指揮者を「デフォルメ型」、後者を「高解像度型」と呼んでいます。
「高解像度型」の指揮者としては、極北にブーレーズがいるほか、ヴァント、デュトワ、インバル、ホーネック、トスカニーニ、若杉弘などがいます。彼らの演奏を聴くと「実は裏でこんな音を鳴らしていたのか!」と楽曲の新たな一面が垣間見えることが多いです。
一方、「デフォルメ型」の指揮者としては、フルトヴェングラーを筆頭に、小林研一郎、テンシュテット、ワルター、アバド、ザンデルリング、山田一雄などが該当すると思います。彼らの演奏は楽器のヒエラルキー(どの局面でどの楽器を強調するか)をしっかり意識したうえで、テンポを大胆に変化させて、主情的でロマンティックな演奏を行うのが特徴です。この手の指揮者はスタジオ録音よりもライブ(コンサート)で本領を発揮することが多い印象があります。「デフォルメ型」のようなテンポを柔軟に変化させる演奏に慣れてしまうと、「高解像度型」の淡々とした演奏が冷静すぎる冷めた演奏のように感じられるようになることがあります。例えば、苦悩や煩悶を表現している場面や盛り上がる場面ですら客観的でクリアな演奏をするので、「そこはもっとタメて欲しいんだよなぁ」とか「もっと歌ったり踊ったりしてほしいのに」といった感じで物足りなく感じるようになってしまうのです。
また、「デフォルメ型」の演奏の方が、音が多くなくどれが主旋律かわかりやすいので、クラシック音楽の初心者にはこちらの方が共感しやすいでしょう。逆にいえば、「高解像度型」はどちらかというと、様々な演奏を聴いてきた玄人好みの演奏だと言えるかもしれません。
流体派と建築物派
音楽には大きく分けて2つの捉え方があると思います。それは、音楽を一種の流動体として捉えるか、動く建築物とみなすかということです。前者のように音楽をみなしていると思われる指揮者を、私は「流体派」と呼んでおり、後者のようにみなしていると思われる指揮者を「建築物派」と呼んでいます。
指揮者が実際にそのように音楽をみなしていると公言しているわけではありませんが、演奏を聴く限り、音響がゴツゴツして硬い人と流れるようになめらかで柔らかい人がいるのは確かなので、あくまで主観的な印象で恐縮ですが、それぞれについて紹介していきたいと思います。
まず「建築物派」としては、マタチッチを筆頭にショルティ、カラヤン、ヴァント、ベームなどがいます。一方、「流体派」にはワルターを筆頭にアバド、ジュリーニ、小林研一郎、小澤征爾、朝比奈隆などがいるかなと感じています。
流体派の方が歌心がある演奏なので、クラシック音楽の初心者には共感しやすいでしょう。建築物派の演奏は硬派でがっちりとした音響が好みの人におすすめです。
これまでに紹介してきた4つの類型化はクラシック音楽の演奏を整理して論じるときにある程度役に立つでしょう。例えば「ブルックナーの交響曲第8番については、これまで流体派の決定的な名盤がほとんどなかったが、それがようやく現れた!」とか「基本的には高解像度型だが、デフォルメ型のようにテンポを柔軟に変化させている情熱的な演奏だ」など、その演奏がどれだけ価値があるかを論じるときに役に立つと考えています。
それだけでなく、指揮者とオーケストラの相性を考えるときにも役に立つかもしれません。例えば、私はかねてから、ブーレーズやインバルのような「高解像度型」の指揮者と「こってり系」のオーケストラはあまり相性が良くないと感じていました。ブーレーズはベルリン・フィルやクリーヴランド管弦楽団よりもニューヨーク・フィルやウィーン・フィルのような「あっさり系」のオーケストラの方が相性がいいように思うのです。これはあくまで私の個人的な印象ですが、皆様もこのようにいろいろな類型を考えてみて、あれこれ考えを巡らせてみるとクラシック音楽をもっと愉しめるでしょう。
