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第4回 クラシック音楽の何が魅力的なのか

※本記事は連載で、全体の目次はこちら(第0回)になります。第1回から読む方はこちらです。

 クラシック音楽が親しみにくい理由について一通り見てきましたので、今度はこれを踏まえたうえで、クラシック音楽の何が魅力的なのかをお伝えしていきたいと思います。

1.音のマリアージュを堪能できる名演奏がてんこ盛り。

 クラシック音楽は音楽の三大要素のうちハーモニーに重点を置いていることから、音色の混ざり合いの妙味(音のマリアージュ)を堪能できる耳の御馳走のような名盤がたくさんあります。特に、世界のトッププレイヤーたちが全力を出し切ったときの演奏となると、はっきり言って「尋常ではない音の饗宴」と化しており、もはやメロディーがいいとか、指揮がいいとか、録音がいいとか関係なく音自体を聴いているだけで多幸感が得られるのです(具体的な例としては、ベルリン・フィルが演奏するマーラーやウィーン・フィルが演奏するモーツァルトで、よくそのようなことが起こります)。このように、めくるめく美しい音色や圧倒的なアンサンブルによって継続的な多幸感が得られるというのは、他の音楽ジャンルでは正直あまり経験することがありません。目の保養ではなく耳の保養になるような音楽。いわば、眼福ならぬ耳福のような演奏や録音に多く出会えるということが、クラシック音楽の魅力としてあると思います。

2.心の底から凄いと思える演奏に出会える。

 クラシック音楽には、20世紀最大のピアニスト、ヴァイオリニストなどが全盛期に残した尋常ではない演奏の録音などが数多く残されています。これらの超絶技巧やオーケストラの壮絶なアンサンブルを聴いていると「人間ってこんなことまでできるのか!」と驚かされることが多々あります。ジャズやロックでも、よく探してみれば、このような演奏があるのかもしれませんが、私が聴いた範囲では、クラシック音楽以外のジャンルの音楽で、ここまで心の底から凄いと思えるような演奏にはほとんど出会ったことがありません。

3.音楽そのもので勝負している。

 以前に「クラシック音楽界は基本、実力主義なので、容姿端麗な人が魅力的な衣装を着てダンスパフォーマンスをしてくれることもないことから、集客力の点で不利である」という話をしましたが、これは裏を返せば、クラシック音楽は音楽そのもので勝負しているということになります。大衆音楽ではパフォーマンスや容姿が話題になることが多いのですが、クラシック音楽では見た目がカッコいいからとか可愛いからとかセクシーだからという理由で聴きに行く人はほとんどいません(たぶん)。服装も基本は正装で飾らないものが多く、本当に音楽だけで勝負しようとしている姿や心意気はカッコイイと思えます。

4.複雑で奥深い。

 クラシック音楽は、大衆音楽と比較すると変拍子や不協和音、複調などが豊富に含まれていることから複雑で奥深い印象があります。大衆音楽ではこういったものをなるべく避けて、耳あたりの良い最大公約数的なものが多く作られていると思いますが、クラシック音楽やジャズ、プログレッシヴ・ロックなどは音楽的な内容にこだわって前衛的(アヴァンギャルド)なことを色々と試みています。
 以前に「クラシック音楽のメロディーは口ずさめないものが多かったり、調子外れのメロディーが結構含まれていたりする」という話をしましたが、裏を返せば大衆音楽は「人が口ずさめるメロディーじゃないといけない」という制約があると思います。これは音楽的には、かなり厳しい制約になっており、このせいで大衆音楽のメロディーはありきたりなものになりやすいという面があります。クラシック音楽はこういった制約に囚われることがないのでメロディー進行が豊富であり、かつ複雑なので何回聴いても飽きることがありません。

5.表現している感情の種類が豊富なうえに深い。

 ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、音楽が他の芸術とは異なるものだと主張しました。音楽は他の芸術のように事物を模写するものではなく、作曲家の意志そのものを表現するものだというのです。三島由紀夫も著書のなかで、音楽を幽霊に例えています。

音という形のないものを、厳格な規律のもとに統制したこの音楽なるものは、何か人間に捕えられ檻に入れられた幽霊と謂った、ものすごい印象を私に惹き起す。

『小説家の休暇』18ページ

 言われてみると確かに、他の娯楽や芸術とは違って、音楽だけが感情を直接掻き回してくるように思えます。音楽は感情の追体験装置と言えるかもしれません。このように意志や感情をダイレクトに伝えられるのが、音楽の醍醐味だと私は考えているのですが、クラシック音楽は大衆音楽と比べて表現している感情の種類が豊富なうえに、より深刻なものを表現しているように感じるのです。例えば、クラシック音楽を聴いていると絶望、憂鬱、歓喜、畏怖、幽玄、宗教的感情(崇敬など)、不条理、諧謔、タナトス(死の欲動や破壊欲動)、高潔、堕落、狂気、苦悩、哀愁、煩悶などの様々な感情が喚起されます。クラシック音楽は、音楽自体が複雑で様々なメロディー進行やハーモニーがあるだけでなく、楽器編成が大規模だったり楽器の種類が多かったりする分、表現の幅やボキャブラリーがとても豊富です。そのため、多種多様な感情をより深く表現することができるのでしょう。

6.アッパー系とダウナー系の割合が丁度よい。

 私は薬物やドラッグの分類から着想を得て、音楽をアッパー系とダウナー系に分けて考えています。アッパー系とは、一言でいえば「気分をアゲてくれる音楽」です。メジャーキー(長調)がメインでメリハリがありアップテンポなものが多く、ポップスやロックはほとんどがこの類の音楽かと思います。一方、ダウナー系とは、もっと落ち着いた安らぎを与えてくれるようなしんみりとした音楽のことです。マイナーキー(短調)がメインのものが多くテンポは遅めで、つらいときに寄り添ってくれそうな、お酒を飲みながらしんみり聴きたくなるような大人の音楽です。演歌やジャズに多い印象があります。
 アッパー系は活動的な気分に、ダウナー系はリラックスした気分に合う音楽だといえるでしょう。自律神経でいえば、アッパー系とダウナー系はそれぞれ交感神経と副交感神経を刺激する音楽といえるかもしれません。
 世間で流行っている音楽のほとんどはアッパー系ですが、こればかり聴いていると気疲れしてしまいます。特に歳を重ねるとアッパー系よりもリラックスさせてくれるダウナー系の方が心情に合うようになってきます。その点、クラシック音楽はこの2つのバランスが丁度いい塩梅になっていると思うのです。クラシック音楽の交響曲、協奏曲、室内楽などには、必ずといっていいほどアダージョのようなダウナー系の楽章があります。そのため、どんな年齢でもどんな気分のときでも、気持ちを鼓舞してくれたり悲しみに寄り添ってくれたりする音楽が豊富にあります。
 ちなみに、薬物やドラッグには第3の分類として「サイケデリック」というものがあります。これに相当するような「音楽におけるサイケデリック系」を考えてみることも可能ですが、クラシック音楽でも、これまでにそのような類の楽曲がいくつも作られてきました。具体的には、ベルリオーズの《幻想交響曲》、ストラヴィンスキーのバレエ《春の祭典》、ムソルグスキーの交響詩《はげ山の一夜》などが幻覚と狂気を味わえるものだといえるでしょう。

7.一生かけても味わえきれないような膨大な遺産

 クラシック音楽では、これまでに一つの楽曲に対して無数の演奏がなされてきただけでなく、それらが無数のCDとなって市場に出回っています。これらは一生かけても味わえきれないような膨大な遺産で、聴く度に新たな発見と感動があります。ポップスやロックでも、アーティスト本人によるスタジオ録音、ライブ録音のほか、他のアーティストによるカバーなどがありますが、クラシック音楽の同曲異演の分厚さはそれどころではありません。これに加えて、これらの演奏に対する解説や評論も無数にあり、読む楽しみが豊富なので、一生飽きることがないでしょう。

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