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神戸市灘区の旅【野坂昭如さん・桂枝雀さん】#1

「本『レジスタンスのまちづくり』のご紹介」を私の記事としてシェアさせてもらう報告も兼ね、慈さんのアカウントへコメントさせてもらいました。早速お返事をいただけ、その中で野坂昭如さんに関連する新たなお話を教えてもらいました。興味深いお話、大変有難いことです。

神戸市灘区中郷町3丁目に野坂昭如さん、中郷町2丁目には桂枝雀さんが各々住まわれていたそうです。小説、落語が神戸の空襲体験からも生まれ、隣りあった場所から2人の人物が、唯一無二の文化を発信されたこと。それは奇跡に思います。

この場所に、やはり向かわなければなりません。夕方、時間が取れた私はJR六甲道駅で降り、中郷町へ向かって東へ歩き始めました。その場の空気を感じ、思いを馳せれればいい。市井の人々が日常を暮らす街並みも、私にとっては特別に感じました。

私は中郷町からマルタツ酒店(野坂昭如さんがよく足を運んだ立ち飲み屋さん)に歩いて向かってみようとその場で思いつきました。おそらく野坂昭如さんは、自分が住んでいた中郷町へ過去を顧みながら訪れたはず。そこから文学的な好奇心を持って、西国浜街道を選んでマルタツ酒店まで歩いたこともあるはずだと、勝手な思いを抱きました。歩く所要時間は約30分。桂枝雀さんの落語「貧乏神」(冒頭の枕部分で、灘区中郷町2丁目3番で生まれ、6月の神戸の空襲‥そして笑いを取る。)のお話が聴ける時間です。私は貧乏神を聴きながらマルタツ酒店を目指し歩き始めました。

余談ですが、様々な焼死体を隠すことなく掲載している東京大空襲の写真集を手に取ったことがあります。その中で老若男女が集まり、焼け跡で談笑している写真が印象に残りました。「はだしのゲン」では、ゲンと弟の進司が浪曲で家族を笑いに包むシーンがあります。「火垂るの墓」では、西宮の香櫨園浜で、清太と妹の節子が笑いあって海で遊ぶシーンがあります。どんな暗い時代でも、人は笑いも求め、笑いは生きる支えでもあったと思います。

おとめ塚温泉、乙女塚古墳(初めて中に入ってみました)を過ぎ、国道43号線を渡ります。そして東西の道を西へ向かいます。ここは西国浜街道。途中丁寧な説明書きがありました。今の国道2号線あたりを西国街道(山陽道)という歴史上主要な街道があった。西国浜街道は今の芦屋から三宮まで、海側のバイパスな役割だったようです。交通手段が歩くことに限られた昔の人は、よく歩いたと聞きます。各々の街道、改めて辿っていきたいと思いました。

マルタツ酒店が見えてくると、桂枝雀さんの落語も最後のオチへと近づいていきます。2度目のマルタツ酒店。北側のシャッターは2ヶ所。立ち飲みへ入る入り口は向かって右側。改めてその場に立ちます。

西国浜街道からは海側に向くと工場の建物が目立ちます。コベルコ、神戸が本社の大きな鉄鋼メーカーです。神戸製鋼所と聞く方が馴染みがあります。港町神戸、海側の風景を彩ります。

阪神高速摩耶出入り口あたりから北上し、JR摩耶駅へ到着。改札北側に座る場所があり、ここから六甲山を眺めるのは気持ち良いです。改札前のコンビニで買ったコーヒーとドーナツでひと息つきました。ふとnoteを観ると、慈さんのアカウントからフォローがありました!とても嬉しいです。noteのモチベーションが上がります。

家に帰り、「レジスタンスのまちづくり」の再読、野坂昭如さんの短編「くらい片隅」、そしてウルトラセブン「地底GO!GO !GO!」に触れ、楽しみました。「くらい片隅」の書き出し「ぼくは六甲山のふもとの‥‥」。野坂昭如さんの作品の中で、神戸が舞台のまだ触れていない物語を辿ってみたいと思います。

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