許すとか許さないとか【第三話】 #創作大賞2025
【第三話】アンタ、誰なの?
翌日のお昼過ぎから、私はお父さんの浮気相手に会いに行った。名前と住所はお母さんがあっさり教えてくれた。
清水のぞみ。どこかで聞いたような名前だなと思ったけど、気のせいかな。文京区のマンションにお住まいだそうで「へー」ってなった。
お母さんはご丁寧に「明日、娘が行くからよろしくね」とLINEで連絡してくれたそうだ。何でそんな澄ました態度でいられるの、お母さん。ちょっと怖いよ。
最寄駅からマンションまでは全く迷わなかった。だって、駅から大きなマンションがもう見えてたし。
でも。勢いで来ちゃったけど帰りたくなってきた。なんで来ちゃったんだろ。どんどん帰りたくなる。明彦に一緒に来てもらえば良かった。
お母さんからLINEが来た。
「もう着いた?迷ってない?」
もう着いてるけど、違う意味で迷ってます。
「着いてるよ。今からインターフォン押すとこ」と返す。微妙に可愛くない猫の頑張れスタンプが来た。なにこれ、自分で作ったやつ?ちょっと気持ちが和んだ。深呼吸してエントランスのインターフォンで228号室を呼び出した。
「はーい」
お天気お姉さんみたいな声だな。
「あ、あの、すみません、真希です。寺門真司と寺門しおりの娘の……」
ヤバい、しどろもどろ。
「あ、はーい。いらっしゃい。本当に来てくれたのね。今開けます」
自動ドアが開いた。中に入ってエレベータに乗りニ階で降りる。
「真希ちゃん!」
急に名前を呼ばれてビクッとなった。待ち伏せしてた、この人。
「こんにちは、初めまして。私、清水のぞみです。えー、背が高いのね。何センチ?」
「え?あ、百六十五センチくらいです。でも、あなたの方が高いですよね」
「そうね、ちょっとだけ私の方が高いかな。あ、部屋、ここなの。入って」
なかなかマイペースな人みたい。近くで見るとすごい美人だった。なんでガッツリメイクしてるのよ、私と会うのに。
部屋に入ると、リビングに通された。モノは少なめで掃除とかちゃんとしてそう。一人暮らしだな、これは。
「好きなところに座っていいよ。何飲む?私はコーヒーにするけど」
「あ、じゃ、私もコーヒーで」
「うん、今淹れるから、ちょっとだけ待っててね」
悪い人ではなさそう、と直感的に思う。でも気を許しちゃ駄目だ。お父さんと浮気している人なんだから、この人は。待っている間に情報収集しないと。
壁際に本棚を発見。何冊あるんだろう。本が好きなのかな。読んでいる本を見れば、どんな人か分かるって言うよね。
椅子から立ち上がって本棚に近づく。すると、中段に著者名が「清水のぞみ」となっている本があった。作家さんなの?だから、聞いたことある名前だって思ったんだ。スマホで検索してみる。なんか有名な賞をもらってた。この『ガンからの奇跡の生還、私の場合』って本。
「お待たせ。コーヒー淹れたよ。どうぞ」
「あ、はい」
椅子に戻るとコーヒーのいい香りがした。心が落ち着いていく。なんか和んじゃいそう。早く言わなきゃ。
「あの、単刀直入に言います。お父さんと別れてください」
「えー、いきなりね。あなたのお母さんから少し聞いてたけど。せっかくコーヒー淹れたんだから飲んでよ。私のお気に入りなの」
そう言われると余計に飲みたくない。身体が硬直してしまうのが自分でわかる。
「もちろん毒とか入ってないし。美味しいから是非飲んでほしいの。お願い」
なんでそんなに?別にいいけど、コーヒー飲むくらい。
「じゃ、いただきます。せっかく淹れていただいたので」
コーヒーカップを口元まで運び、ひと口飲んだ。……美味しい。確かに美味しい。自然と口元が緩んだ。
「ど、どう?」
「あ、はい、美味しいです、すごく」
「良かった!美味しいわよね、このコーヒー!誰かと分かち合いたかったの、この美味しさを。先月、偶然見つけたんだけどね。ああ、本当に嬉しい。ありがとう」
「いえ、そんな、コーヒーをご馳走になっただけですから、はい」
心から嬉しそうな笑顔を見ていると、お父さんがこの人を好きになった気持ちが分かった気がした。でも、駄目よ。浮気だもん。お父さんは、お母さんと私のお父さんだもん。
「コーヒー、私、飲みました。私の話を聞いてください。お父さんと別れてもらえませんか」
「うーん、困ったなあ。あなたの気持ちは分かりました。でも、私とあなたのお父さんは付き合ってるわけじゃないし」
「じゃあ、もう会わないでもらえます?」
すると、にこやかだった清水のぞみの表情が、急に真剣なものに変わった。
「それは嫌。私、あなたのお父さんのこと、好きだもの」
「は?ふざけないでよ!」
「ふざけてないわ」
「私のお母さんに悪いと思わなの?」
「しおりには……うまく言えないけど、許してもらっているの。私はしおりのことも大好きだし、傷つけるつもりもない。ただ、しおりに私が甘えているの、ずっと。そのことは申し訳ないと思ってる」
「何言ってるのか全然分からない!」
「そうよね。でもいいの。あなたは理解する必要はないわ。私の考えを押し付けるつもりはない」
「お母さんと同じこと言うのね」
「あら、そうなの?嬉しい。しおりと私の心は通じ合っているのよ、ずっと前から」
「そんなの知らない!もうあなたには頼まない。お父さんにお願いするから。二度とあなたに会わないでって。約束してくれなかったら私、お父さんと親子の縁を切るわ」
「馬鹿!簡単にそんなこと言わないで!」
清水のぞみは鬼の形相になっていたが、やがて柔らかな表情に戻って言った。
「分かったわ。あなたがいいと言うまで、私はあなたのお父さんに会わない。これでいい?その代わり、時々あなたがウチに遊びに来て。これが私の条件」
「なんで私が!嫌よ」
「人の友達を奪っておいて放っておくの?私、寂しくて死んでしまうわ」
「大げさ過ぎでしょ。大体、私のこと何にも知らないじゃん。文句しか言わないよ、来ても」
清水のぞみは首をブンブン横に振って言った。
「私には分かる。あなたはとても優しい人。あなたが私の淹れたコーヒーに美味しいって笑顔を見せてくれた時、私がどんなに嬉しかったか。またコーヒーを飲みに来てよ。暇な時でいいから、ね」
「……分かった。分かったから勝手にお父さんに会わないでよね」
「はい、分かりました」
私は少しだけ安心してもう帰ろうと思ったんだけど、ひとつだけ気になっていたことを聞いた。
「あの、聞いてもいいですか?」
「あ、距離感のある話し方。タメ口じゃないと嫌」
「……ひとつ聞いてもいい?本棚見たんだけど、作家さんなの?」
「うん、そうなの。たまたまね、書いたやつがベストセラーになってね。そのおこぼれで今もちょこちょこ書いてるわ。それがどうかした?」
「浮気とかして週刊誌に撮られたら大変じゃない?やめた方がいいよ」
私がそう言うと、のぞみはなぜか大笑いして言った。
「あはは、おっかしー。あなた、本当に優しい人ね!私の色恋なんて世間様は興味ないわよ。あと、浮気じゃないからね、お父さんも言ってたでしょ」
「浮気じゃないなら何なのよ!」
「……教えない。私からは言いたくない。もっともっと仲良くなったら言いたくなるかも」
「ズルい!ズルい人、嫌い」
「コーヒーは飲みに来てよね。じゃないと寂しくてお父さんに会いたくなるから」
「はいはいはいはい、分かりました。また来るから今日はもう帰ります」
「うん、また来てね。今日は楽しかった。来てくれてありがとう」
なんでありがとうって言われなきゃいけないのか分からなかったけど、聞いたらまた長くなりそうだったので黙って帰った。
【第四話】私の名探偵
