【備忘録】忘れかけの70〜75
70《なんてロマンティック!》のコーナー
「君が今まで僕のために作ってくれたすべての弁当、そのフタの内側にくっついていたすべての結露を集めて、森の木陰に池を作り、その池で君と入水したい」
「まぁっ!」
71 今年ここまでで一番驚いたこと
塗装用有機溶剤でおなじみ、
吸ったらダメでおなじみ、
「シンナー」のつづり
"thinner"
君、thだったのか!
72《なんてロマンティック!》のコーナー
「この想いを曲にして、その周波数でもって君を抱擁するために、ああ、僕にヴァイオリンが弾けたなら…」
「まぁっ!」
「そして君が掘っている落とし穴の床材があまりに固すぎるってことを、落とし穴に気付いたそぶりなどまったく見せずに、それとなく教えてあげることができるような、ああ、僕にそんな会話術があったなら…」
「まぁっ、まぁっ!」
73 人間は2種類に分けられる。前髪を自分で切ることができる人間か、切れない人間かだ。これについては論を俟たないので、詳述は避ける。それと同じような具合で、高校野球が好きか嫌いかで人間を二分するやり方もありうるように思える。だとすればその好きか嫌いかの別れ道はどんなものなのだろうか。人間をそのどちらかに分けることになる決定的要因とは?次のインタビューで語られる内容は、その一例だ。
「あなたは高校野球が好きですか?嫌いですか?また、その理由もお聞かせ願えますか?」
「ええ、私は高校野球が嫌いです。まぁ、嫌いと言ったら角が立つし、そこまで強烈な感情でもないので、『苦手』というくらいの言い方にしておくべきかもしれませんが。何故そうなったのかというと、話は私の高校時代にまでさかのぼります。私はサッカー部だったのですが、野球部とグラウンドが隣り合っていました。私が所属していたサッカー部はまったく弱小であり、大会では一回でも勝てれば大満足といった程度の実力でした。で、野球部の方はというと、二回勝ったくらいで大騒ぎという程度でした。要するに、両者似たようなものだったのですが、一点、違うところがありました。それは、野球部の側には謎の自意識とでもいうのでしょうか、『俺たちは他の部の中でも特別だ。何故なら"あの"甲子園を目指しているのだから』といったような選良意識があったのです。先程申し上げた通り、彼らの実力は大したものではなかったのですが、彼らの周囲からは常に『甲子園、甲子園』という言葉が聞こえてきましたし、『甲子園』を目指しているという空気をまとうことで、無条件で応援し優遇しなければならないというような雰囲気を、校内に作り出していました」
「はぁ、なるほど…。でも、失礼ながらそれは…あなたの思い過ごし、考え過ぎということもありませんか?」
「ええ、かもしれませんが、残念ながらいくつか実例があるのです。先程も申しました通り、彼らとはグラウンドが隣り合っていた都合上、時々こちらが蹴ったボールが向こう側に入ってしまうということがありました。そういう時の彼らの態度はなかなかでした。まず『入れんじゃねぇよ!』から始まります。そしてこちらが急いでボールを取りに行こうとすると、サッカー用スパイクでグラウンドに入られるのが嫌なようで、『入んじゃねぇよ!』が続きます。あの横柄かつ横暴な態度は、あれからいくつもの季節が過ぎ去った今になっても、私の脳裡に焼き付いています。しかしこれだけではありません。実のところ、サッカーボールだけが野球場の方に入るわけではなく、野球の球も頻繁に、サッカー場の方に入ってきていたのです。いわばお互いさまだったわけです。で、ここからが問題なのですが、あれだけ"聖なる"野球用グラウンドに入られることを拒んでいた野球少年たちは、サッカーのグラウンドには普通に、球を拾いにズカズカ入ってくるのです。弱小サッカー部ということもあってグラウンドは芝ではなく土ですし、こちらとしては野球のスパイクで入られたところで別になんということもないわけですが、問題は、『俺たちはいいけど、お前たちはダメ』という例の肥大した自意識です。勢いに乗ってもう一つ、私の脳裡に、そしてあの高校の校庭に刻まれた事実を、お話ししておきましょう。ある日、私は朝練に行きました。部室に入ったところ、サッカー部員はまだだれも来ていませんでした。しかしどうでしょう。サッカーのグラウンドに人影があるではありませんか。それは勝手にサッカーのグラウンドに入り込んでブンブン素振りをしている、数名の野球部員たちでした。自分たちはといえば、とにかく部外者が野球のグラウンドに入るのを拒んでいるのにもかかわらず、自分たちが他所に入るのはいいのである、ということなのでしょう。どういう具体的理由があってわざわざサッカー場で棒を振り回していたのか知りませんが、その時もやはり彼らのバットには、練習着には、そして汗をしたたらせた顔には、『俺たちは甲子園を目指しているのだから』という例の大義名分が、刻まれていたように思います。まことに、かっとばせー!でありますな!」
「なるほど…。そういった経緯で、高校野球が嫌いというか苦手になった、ということなんですね。まだ他にエピソード等ございますか?」
「ええ、これで最後にしますが、ある年の離任式でのことです。この式での校歌斉唱は、離任する先生方がその学校の校歌を歌いそして聴く、最後の機会となるわけで、とても感動的な場面です。歌によって様々な想い出を想起し、胸を熱くする、式の要所のひとつです。が、ここで偉大なる野球部の登場です。この年離任する教師たちの中に、副顧問だかなんだったか詳しくは忘れましたが、野球部と関わりの深い教師が含まれていました。で、彼に対して特別にという偉大なる配慮を働かせて、何の権利や許可があってか、ステージ下に勝手にズラッと整列した野球部員たちは例の、『野球部式校歌斉唱』をはじめたのです。『野球部式校歌斉唱』とは何か?それはつまり、野球場の応援席でやるような、後ろ手を組んで腰を後方に反らせ、歌うというより斜め上に向かって大声で歌詞を叫ぶような具合でなされる、アレです。もちろん、副顧問と野球部員の間では、つまり内輪では、これはとても感動的な何かなのかもしれません。それは否定しません。が、ステージ上には他にも離任する先生方はいますし、体育館内には野球とは無関係な大勢の生徒たちがいるのです。要はそんな『内輪ネタ』とは関係ない、がなり声叫び声ではなく普通に校歌を歌い、聴き入りたいと思っている人たちが大勢いるのです。にもかかわらず『まぁそれはそれとして、俺達の、俺たち流の儀式をやろうぜ!』と彼らに思わせたものは一体なんだったのでしょうか?他の人が迷惑する可能性には目もくれず、自分たちの勝手な思い付きを勝手に押し通すのを彼らの中で是とさせたものとは、一体なんだったか?私はやはりこれも、『自分たちは特別だし、自分たちは応援されている。つまり自分たちは学校を挙げて期待され、愛されている』という意識が原因になっていると思うのです。まぁ、このあたりの私の拙い心理分析の正否はどうでもいいし、もしかしたらまったくハズレているのかもしれません。しかし、ともかく事実としてこうしたことがあったということです。そしてこうした事実のいくつもが私に『うわっ…』という具合に鳥肌を立たせ、『なんだこいつら…』という具合に血の気を引かせ、結果的に私を『高校野球苦手党』の党員にした、ということです」
「…なるほど、わかりました。ご協力ありがとうございました」
『前髪自分で切れる派・切れない派』『高校野球愛好党・苦手党』のように、人間を2種類に分けることは可能だが、「では如何にしてどちらかの派や党になるにいたったか?」というその経緯や原因、つまりはその分かれ方の物語については、とても2種類ではきかないようだ。そのことを上記のインタビューは教えてくれる。協力してくれた聞き手、話し手の両名に感謝したい。
ちなみに、正規のインタビューが終わった後にちょっと付け足すような具合で、『高校野球苦手党』の話し手氏はボソッと、こんな風にも言っていたそうだ。
「もちろん、この逆であった場合、つまりはサッカー部が『国立!国立!』という雰囲気をまといつつ横柄かつ横暴な態度を取っていた場合には、私は『高校サッカー苦手党』に真っ先に入党していたでしょう。そしてわざわざマウンドの上でリフティングをする彼らの姿を描写し、彼らがいかに『清く美しい』何かから程遠いかということを、あなたに語っていたことでしょう。それでは、失礼します」
74《なんてロマンティック!》のコーナー
「おじいちゃんおばあちゃんになっても僕と一緒に、紙やすりの会社に苦情の電話をかけてくれる?」
「まぁっ!」
「おじいちゃんおばあちゃんになっても僕と一緒に、涼むためだけにワークマンプラスに入ってくれる?」
「まぁっ、まぁっ!」
「そしておじいちゃんおばあちゃんになっても僕と一緒に床屋に行って、『三日坊主でおねがいします』って注文する僕のうしろから、『それ髪型じゃないよ!床屋さん苦笑いしてるよ!』って丁寧に指摘する役を引き受けてくれる?」
「まぁっ、まぁっ、まぁっ!」
なんてロマンティック
75 屋内から見る限り、夏はどこを切り取っても美しい季節です。窓枠のこちら側にいて、冷房の効いた部屋から眺めれば、駐車場の車のフロントガラスに貼られたサンシェードにすら、季節感を感じることができます。が、一歩外に出てみると……のしかかるような不快感!夏よ、もう四季から脱退してくれ!と思うような不快感!要はこの場合、窓や壁こそが、感性を喜ばせる「季節感」と、肉体を焦がす「不快感」を分けるものなのです。内側にいれば「季節感」を感じ、外に出れば「不快感」を感じる。この世の万事がこの調子で、なんらかの原因や分岐点、経緯があって、好きだとか嫌いだとか、得意だとか苦手だとか、偉大であるとか愚劣であるとかが、分かれているようなのです。そう、ちょうどボールがファウルポールのどっち側に飛んだかで、ファウルかホームランかの運命が分かれるようにして。そういう意味では、73に登場した高校野球苦手党の彼がいつかの夏に、もっと素敵な球児たちと出会っていれば、ファウルではなくホームランに、苦手党員ではなく愛好党員になっていただろうに、ねぇ!
というわけで最後は、プレイリスト『私が3兆回リピートした楽曲集』から夏っぽい曲を。四季はどんな方向からでも、どんな角度からでも切なく胸を締め付けてくるものですが、この曲は夏ならではの締め付け方を凝縮したような、ひと夏だけではなく記憶の中にあるすべての夏のすべての切なさの中を駆け抜けるような曲です。ちなみに、いくつかバージョンがあるようで、その内の2つが特に好きなのですが、どちらがいいか決めきれません。そういった次第なので、
「どっちのバージョンがいいか、おじいちゃんおばあちゃんになっても、君と議論していたい」
「まぁっ!」
「そしてやっぱり、紙やすりの会社に苦情の電話をかけていたい」
「まぁっ!まぁっ!」
なんてロマンティック!

