「もう助からないかも」その咳を、私は知っていた
「猫ちゃんはいったん預かりますが、
診察は順番です。
駐車場でお待ちください。」
救急病院の受付でそう言われ、
私たちは車に戻った。
腕の中でえずき続けていたキナコは、
もう私のそばにはいない。
診察室へ連れていかれた。
車に戻りながら、私は思い出していた。
——この咳を、私は知っている。
昔、チワワを飼っていた。
名前はキルアといった。
オスのとても賢い子で、
でも「その犬の種類はなんですか?」と言われるくらい大きかった。
狂犬病の予防接種やフィラリアの検査で病院に行くたび、
「少し心臓に雑音がありますが、問題ないです」
と言われていた。
キルアが10歳の秋。
夜中、激しい咳をしているのに気がついた。
とはいえ、その年は夏の終わり頃から咳が続いていたので、
私は「またか」と思い、しばらくウトウトしていた。
でも、一向に咳がやまない。
さすがにおかしい。
そう思ってキルアのベッドに行くと、
キルアは血を吐いて倒れていた。
慌てて夫を起こした。
でも、夜中だったこと、
こんなふうに動物が急変するのは初めての経験だったことで、
私たちはただ「キルア、キルア」と名前を呼ぶことしかできなかった。
何をすればいいのか。
どこに連絡すればいいのか。
私も夫も何もわからず、
ただおろおろするばかりだった。
そしてキルアは、ほどなく息を引き取った。
その後、私たちは犬を飼うことはできなかった。
キルアの最期がかわいそうで、
ペットショップでチワワを見るたびに胸が痛くなったからだ。
あの夜、もっと早くキルアの様子を見に行っていたら。
すぐに病院を探していたら。
何かできることがあったんじゃないか。
考えても仕方がないとわかっているのに、何度も考えた。
何より、何もできないままキルアを死なせてしまった私が、
また犬を飼ってもいいのだろうか。
そんな気持ちが、ずっと心のどこかに残っていた。
それでも、時間は少しずつ
私の中の怖さを薄めていったのかもしれない。
ある日、奇妙な巡り合わせで
トイプードルとラグドールの子を二匹、
同時に飼うことになった。
二匹は一緒にうちに来たからか、
とても仲が良く、まるで兄弟のように育った。
トイプードルの方は「マロン」と名付けた。
あまり大きくならない体質だったのか、
半年たっても2キロにも満たない小さな体。
ラグドールの方は「キナコ(きな粉)」と名付けた。
体重は半年で3キロを超え、
もちろんもっと大きくなることは予想された。
大きい猫を飼うことが夢だった私は、
キナコの大きさに満足していた。
そして、少し帰宅が遅くなったある日に事件は起きた。
玄関のかぎを開けると、
キナコがひどく咳のような、
何かを吐き出そうとえずいているような声が聞こえてきた。
餌でものどに詰まったのかな?
そう思いながらキナコのところに行くと、
吐くしぐさはしているが、何も出ていない。
口の中をのぞくが、何も見えない。
その時、私は不意に思い出した。
——私は、この咳を知っている。
脳裏にキルアの最期が浮かんだ。
キルアも、こんな咳をしていた。
これは何かを詰まらせたんじゃない。
私は救急動物病院に電話をした。
「何か吐いていますか?」
「舌は出ていますか?」
電話口の看護師さんは冷静に状況を整理してくれた。
その応対をしているうちに、
私はキナコの命が危ないことを確信していった。
「すぐに来てください。」
そう言われて、私たちは夜の11時に救急病院に向かった。
娘は、えずき続けるキナコを抱きかかえて
車の後部座席に座っていた。
キナコの涎で服が汚れるのも気にせず、
ずっとキナコの背中をさすり続けていた。
夫は何も言わずに車を走らせた。
30分かかる道を20分で着いた。
救急病院に着くと同時に、
娘からキナコを受け取り、
玄関に飛び込んだ。
受付に足を踏み入れた瞬間、
大型犬の血が床に広がっているのが見えた。
ケガなのか病気なのか、私にはわからない。
でもそんなことより、
腕の中でえずき続けるキナコの方が、
私にはずっと重要だった。
「猫ちゃんはいったん預かりますが、
診察は順番です。
駐車場でお待ちください。」
翌日は月曜日。
娘に「車で送るから帰りなさい」と言っても、
嫌だと言って帰らない。
私たちは車の中で四時間待った。
「お待たせしました」
きっと私たちよりずっと疲れているだろう。
それでも先生と看護師さんは疲れを見せず、
てきぱきとキナコの症状を説明してくれた。
肥大型心筋症。
心臓の筋肉が厚く硬くなり、
血液をうまく送り出せなくなる病気だという。
ラグドールに多い病気らしい。
キナコの肺には水がたまっていた。
心臓がうまく働かなくなったことで肺に水がたまり、
呼吸ができなくなっていたのだ。
「応急処置でいまは安定しています。
ただ、あくまで応急処置ですので、
一週間は酸素室に入って心臓の負担を和らげます。
肺にたまった水は、利尿剤を使って抜いていきます。」
私たちは酸素室と酸素ボンベを借りて、
キナコを連れて帰った。
家に着いたら5時半だった。
それでも私たちは眠らなかった。
昨日まで何の問題もなく元気だったキナコを
もう少しで失っていたかもしれないという恐怖と、
助かったという安堵。
いろいろな感情が入り乱れて、
眠ることができなかったのだ。
一週間。キナコは、室内温室のような
ガラス張りの酸素室の中で過ごした。
誰にも抱いてもらえず。
マロンとも遊べず。
狭いガラスケースの中で、一週間、一人きりで。
ガラス越しにキナコはにゃあにゃあ鳴いた。
それでもガラスケースの外は酸素が薄い。
抱っこしてあげることはできなかった。
そして、一週間後。
キナコの容態は安定した。
先生から、
「もう少し病院に来るのが遅かったら、助からなかったかもしれません」
と言われた。
肺にたまった水で呼吸ができなくなり、
いわば「溺れているような状態」だったという。
あと少し遅かったら、キナコは死んでいた。
不要となった酸素室から酸素ボンベを外しながら、
私はあの夜のことを思い出した。
玄関を開けたときに聞こえてきた、キナコの咳。
私は、あの咳を知っていた。
キルアと同じ咳だった。
あのとき、
何もできないままキルアを死なせてしまったと、
私はずっと後悔していた。
あの夜、もっと早くキルアの様子を見に行っていたら。
すぐに病院を探していたら。
何かできることがあったんじゃないか。
何年たっても、ずっとそう思っていた。
でも。
あの夜のキルアの咳を、
私は忘れていなかった。
だから、キナコの異変に気づくことができた。
キルアを救急病院へ連れていけばよかった。
何年たっても消えなかったその後悔が、
キナコの咳を聞いた瞬間、
止まっていた時間を動かした。
今度は、何もしないまま失いたくない。
だから私は、
迷わず救急病院へ電話をすることができた。
キルアが帰ってくるわけではない。
失った命の重さも、
あの夜の後悔も、
これから先、消えることはないと思う。
それでも。
キルアを救えなかったあの夜の後悔が、
何年もの時を越えて、
キナコの命につながった。
そう思ってもいいのかもしれない。
今日もキナコとマロンが、賑やかに家の中を走り回っている。
その足音のどこかに、キルアもきっといる。
あの日、キルアとの記憶が一瞬で頭をよぎったように。
以前、姪っ子を助けようとした瞬間にも、
同じような「記憶の走馬灯」を経験したことがあります。
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