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一人では変えられない、でも——声は消えなかった

第5話では、成人式で感じた違和感と、
そのとき私が小さな行動に出た話を書きました。




あの出来事のあと、私の中には、
ずっと残り続けていた感覚があります。

「声を届けても、変わらないことがある」
そして同時に、
「疑問は、疑問のままにしておけない」

そんな、少しやっかいな性格です😅

でも振り返ると、その“やっかいさ”は、
いつも私を次の場所へ運んでくれました。


選挙が近づくたび、胸に増えていく“空白”

成人式の一件からしばらく経っても、
私はずっと「人権」や「違い」という言葉に、どこかで反応し続けていました。

誰かの尊厳が、当たり前のように扱われないこと。
誰かが声をあげても、「仕方ない」で流されてしまうこと。

そうしたことが、
日常の中で、小さく、小さく積み重なっていくことに、
私は敏感になっていたのだと想います。

そんな私が、次に強く引っかかったのは——
「選挙」でした。

選挙が近づくたびに、ふと感じることがありました。

候補者の名前は見える。
ポスターもある。
でも、その人が
どんな人なのか?
何を考えているのか?が、見えてこない。

誰が、どんな想いで立っているのか。
これから、何をしたいのか。

そもそも、
選択肢となるはずの「候補者の情報」が、十分に届いていない。
そのこと自体に、私は強い違和感を覚えました。

「選ぶ」とは、本当はどういうことなんだろう。
そう、私は考えるようになりました。

「選ぶ」という行為は、
「選択肢」があって、はじめて成り立つものです。


「それは、本当に“選択”だろうか。」

たとえば、
本当は「10」の選択肢が存在しているのに、
自分の手元に届いているのが「3」だけだったとしたら。

私たちは、その「3」の中からしか、選ぶことができません。
それを、本当に「選んだ」と言えるのだろうか。

そんな疑問が、頭から離れなくなりました。

「選挙」というのは、
定数を上回る候補者がいるからこそ、行われます。

つまり、「選挙」とは本来、
複数の選択肢の中から、意思をもって選ぶ行為のはずです。

だからこそ私は、
「選挙」という場面においては、
選択肢となるすべての候補者の情報が、等しく届いてほしい
と、強く想うようになりました。

誰かを推すためでもなく、
誰かを落とすためでもない。

ただ、
知ったうえで、選びたい

その当たり前の願いが、
なぜ、こんなにも難しいのだろう——。

そんな違和感が、
私の中で、はっきりとした「問い」になっていったのです。


調べてみたら、そもそも“ない”ことを知った

私が住む佐伯市は、
九州の中でもとても広いまちです。

九州で一番広い面積をもつまち=大分県佐伯市(さいきし)

合併によって市域が広がり、
候補者の情報を得るのが難しくなった場所もあります。

だからこそ、候補者の情報がまとまったものがあると助かる。

そう思うのは、ごく自然な感覚だと想います。

そこで私は調べました。

すると分かったのは意外な事実でした。

佐伯市には、
選挙公報が発行されていない。

「え、ないの?Σ(・ω・ノ)ノ」
正直、最初はそれが信じられませんでした。

よそはあるのに、うちはない。
よそはOKなのに、うちはNG。

またコレか。。。モヤモヤモヤモヤ。。。🤔

そして、選挙公報がない理由も分かりました。

“ない”のは偶然ではなくて、
発行するための条例がないからでした。

つまり、言い換えると——

「決めていないから、ない」
ということでした。

その瞬間、私の中で、
またあの感覚が動きました。

「これって……本当に、このままでいいのかな?」


市民としてできることを、全部やってみようと思った

私はそのとき、強い怒りがあったというよりも、
静かな確信がありました。

「この問題は、誰かが言い始めないと、ずっと“ないまま”になってしまう」

そして私は、思いました。

一人で言い続けるより、
名前をつけよう。

声を、形にしよう。

そうして、仲間と一緒に
佐伯市の選挙公報をつくる会」を立ち上げました。

私たちがやろうとしたのは、単純なことでした。

  • 候補者の情報が届きにくい現実があること

  • ネットだけでは届かない人がいること

  • 「紙で見たい」という声が確かにあること

それを、ちゃんと見える形にして、届けること。

そして何より、

“選挙”という場面で、誰も置き去りにしないこと。

そのために、制度を調べたり、
候補者や関係者に問いかけたり、
いろいろ動き始めました。


手書きの文字に、胸が熱くなる日があった


会の活動の中で、何度もハッとする瞬間がありました。

たとえば、2021年当時の、
(立候補予定者と言われる)
「後援会事務所」を持っていた方々に、
公開質問をしたときに返ってきた手書きの回答。

実際の回答
(「ネットで公開しても良い」と答えている方の中で)
一部をご紹介させて頂きます。⇊

アンケート回答者の中でも、
山野内眞眞人んだけは、想い別紙に込めて、ご回答くださいました。
山野内さんは現職時に、選挙公報についての勉強会も開いてくださいました。

アンケートの回答の中には、
「すべての有権者に候補者の情報が行き届く」
「反対する理由が見つからない」
「候補者の主張を知る手段として有効」
「広い佐伯市では、情報が届きにくい」
「公平な情報提供が必要だと思う」

などなど。

——そう書かれた文字に触れるたび、胸が熱くなりました。

「やっぱり、同じように感じている人がいる」
「政治活動をしている人・してきた人でさえも、
 自分の情報を全域・全世帯には届けられないと感じている」
「これは“私だけの違和感”じゃない」

そう確信できたのです。

会の活動は、確かに小さかったかもしれません。
でも、そこには確かに、市民の声がありました。


それでも、決まらない現実があった

けれど同時に、私は少しずつ氣づいていきました。

話すことと、決めることは、同じではない。
共感があっても、納得があっても、
「決定」まで進まないことがある。

全国の9割以上の市が発行・市民の半数が希望する選挙公報、佐伯市議会が発行条例案を否決 : 読売新聞

佐伯市議会、市選挙公報発行の条例案否決 反対意見「投票日2日前に届く地域も」 - 大分のニュースなら 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate

佐伯市の選挙公報をつくる会 | ~【ご報告】現佐伯市議会において、選挙公報の発行は否決されました~ | Facebook

市民がどれだけ願っても、
制度は、別の場所で動いている。

その現実は、かなり大きな学びでした。

だからといって、諦めたわけではありません。

むしろ、逆でした。


“声がある”という事実は、消えない

活動を続ける中で、私の中に残ったのは、
ひとつの静かな確信です。

声は、確かにあった。

「ほしい」という声。
「必要だ」という声。
「知りたい」という声。

その声は、
誰かの暮らしと、尊厳と、選ぶ力に直結している。

そしてもうひとつ、
同時に残った問いがあります。

決める場所に、私はいない。

市民として、外から声をあげる。
それは、とても大切なことです。

でも、外からでは動かない仕組みがある。
外からでは届かない“最後の壁”がある。

佐伯市において、
選挙公報を発行するための条例制定、
11人が賛成、12人が反対。

1人の差。
多数決。

それを、私は自分の体感として知りました。


この経験は、のちに私の中で、
ある想いへとつながっていきます。

「1人にならなければ、変わらない」

それは強い言葉に聞こえるかもしれません。

でも、私にとっては、
怒りではなく、
現実から生まれた静かな結論でした。

外から声をあげることの限界を、
私は“体験として”知った。

次回へ続く。。。🌱

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