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成人式の違和感が、問いとして残り続けた

第4話では、
氣づきすぎる性格が、
人と人のあいだに立つ役割へと
少しずつ形を変えていった頃のことを書きました。

今回は、その延長線上にある、
私自身の「成人式」をめぐる違和感について、
書いてみたいと 想います


成人式は、
大人になる節目を祝う日です。

けれど、
私の地元では、
成人式で振袖を着ることが禁止されていました。

理由を尋ねると、
返ってきたのは、
「前例だから」
「華美になるから」
「格差が出てしまうから」
という説明でした。

私は、
どうしても腑に落ちませんでした。

着物は、日本の文化であり、
大人になる節目を祝う装いでもあるはずなのに、
なぜ、それが一律に禁止されるのか。

※大分県姫島村の事例⇊

「誰かが着られないから、
みんな着ないほうがいい」

その考え方は、
本当に、
誰かを守っているのだろうか。

よその自治体ではOKなのに?うちではNG。

たしかに、
「みんな苦しいのだから、自分もガマンしよう」
この考え方については、もちろんわかりますし、
時と場合と自分の立ち位置などによっては、
実際に、ガマンを選んできたこともあります。


しかし、
この疑問は、
疑問のままにしておけませんでした。

何度か話し合いをしましたが、
担当者との議論は、
いつも平行線のまま。

結局、
わたしたちの代では、
振袖を着られない。

声を届けても、
変わりませんでした。

モヤモヤを抱えた私は、
成人式当日に、
小さな行動に出ることに決めました。

振袖が禁止されているなら、
逆に、
「選べる成人式」を
提案したい。

「和装が華美になるからNG。
 ならば、
 洋装で華美にしよう」

※自分以外の方には、プライバシー保護のため、モザイク処理をさせて頂いております。

写真では遠目なのでわかりにくいのですが、
・青色のカラーコンタクト
・髪の毛はウィッグ
・ヒョウ柄のジャケット
・ミニスカート
・10センチ?ほどの厚底ブーツ

当時の自分なりに考えた、
洋装。でも、華美=派手な装い。

カラーコンタクト以外は、
この日のみの着用で、
リリース(人にあげたり)しました。


洋装=スーツであっても、
自分が、
本人が、
「晴れの日」だと
感じられる格好で
いいじゃないか。

なぜ、
行政がそれを決めているのか?

しかも、
よその町や村でも、
振袖は着てもよかったのに。


その後、
私の起こした小さな行動は、
結果として、
翌年からの成人式で、
振袖も自由に選べるようになりました。


ものすごく、
嬉しかった。

この話をすると、
「自分が着られなかったのに?」
と、聞かれることがあります。

でも、
本当に、
自分のことのように
嬉しかったのです。

自分のように、
選べない不自由さを感じながら、
悶々とした想いを抱える人を、
後の世代につなげたくなかった。

ただ、
その想いでした。


この出来事は、
私にとって、
単なる「若い頃の思い出」ではありません。

祝福されるはずの場で、
違和感を覚えたこと。

その違和感が、
「仕方がないこと」として
流されていく空気。

そして、
声をあげても、
届かない現実。

そのすべてが、
私の中に、
体験として、
問いとして残り続けました。


「誰が決めているのか」
「どんな理由なのか」
「その決まりは、
 本当に、
 誰のためのものなのか」

この問いは、
やがて、
個人の違和感を超えて、
社会や制度そのものへと
向かっていくことになります。

次回は、
その問いが、
「佐伯市の選挙公報をつくる会」
という具体的な行動へと
つながっていった過程について、
書いてみようと 想っています 🌱

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