私が“立つ側”に行くと決めるまで
第八話では、
私が自分自身を「プロ市民」でありたいと意識しながら、
行政や議会、地域に関わり続けてきたことを書きました。
声をあげる側でいること。
問いを投げる側でいること。
外から関わり、揺さぶり、つなぐ側でいること。
それが、私の役割だと想っていました。
正直に言うと、
「議員になる」という選択肢は、
その頃の私の中には、まったくありませんでした。
「あなたが議員になった方がいい」
ボランティア活動をしている中で、
20代の頃から、ぽつりぽつりと、
こんな言葉をかけられることがありました。
「あなたが議員になったらいいのに」
「あなたみたいな人が、議会にいたらいい」
そのたびに、私は笑って、
どこかで受け流していました。
それは、ありがたい言葉である一方で、
私にとっては「過分な評価」に感じられていたからです。
私なんかが。
私にそんな器があるわけがない。
私は、外で動く方が向いている。
そう、どこかで決めていました。

「推した人」だけが、代弁者じゃない
私の中には、もう一つ、強く持っていた感覚があります。
それは、
議員は、自分が投票した人だけの代弁者ではない
という想いでした。
議会にいる議員は、
全員が市民の代弁者であり、
言い換えれば、全員が「自分の分身」でもある。
だから私は、
特定の議員だけと付き合うことはしませんでした。
それぞれの議員が、
どんな背景を持ち、
どんな分野を得意とし、
何を実現したいと語っているのか。
その時々のテーマに応じて、
必要だと想った議員に、
こちらから連絡を取り、話をし、
時には一緒に動いてきました。
「あなたは、かなり特殊だよ」
そんな私に対して、
何人もの人から、こう言われたことがあります。
「あなたのような市民は、かなり珍しい」
「正直、議員からすると、扱いづらいと思う」
理由は、こうでした。
多くの議員は、
「自分に票を入れてくれた人」
「これから票をくれそうな人」を
無意識のうちに意識して活動している。
そこに、
特定の議員に肩入れせず、
あちこちにアプローチする市民が現れると、
「この人は、何が目的なんだ?」
「味方なのか、敵なのか?」
そう警戒されてしまう、と。
実際、私は、
市民として要望を問いかけた時、
既読スルーをされたこともありました。
後になって、
不自然な言い訳とともに、
こちらが責められたこともありました。
別の議員には、
議会での発言の真意を直接聴きたいと
説明の場を求めただけで、
「恐怖を感じた」と言われ、拒否されたこともあります。
そのやり取りは、
第三者にも確認してもらいましたが、
私に落ち度はありませんでした。
それでも、
「市民が議員に直接聴く」という行為が、
ここまで歪んで受け取られる現実に、
私は何度も言葉を失いました。
それでも、やめなかった理由
それでも私が、
市民として関わることをやめなかったのは、
「おかしい」と感じた自分の感覚を、
なかったことにしたくなかったからです。
誰かが声をあげなければ、
何も起きない。
誰かが聴かなければ、
声は消えてしまう。
その役割を、
私はずっと引き受けてきたつもりでした。
1票差が突きつけた現実
そして、
2024年12月議会。
選挙公報発行条例案は、
11対12で否決されました。
たった1票。
その結果を前に、
多くの人から、同じ言葉をかけられました。
「あなたが1人、議会のあの場にいたら、違っていた」
「この1票差は、何かを示している気がする」
私は、その言葉を、
すぐには受け取れませんでした。
でも、時間が経つにつれて、
一つの事実だけが、
静かに残り続けました。
決める場所に、私はいなかった。
外からでは、越えられない線がある
市民として声をあげることは、
間違いなく大切です。
でも、
外からでは越えられない線がある。
外からでは、
どうしても届かない「最後の扉」がある。
それを、
私は自分の体感として、
はっきりと知ってしまいました。
「立つ側」に行く、という選択
それでも私は、
「議員になりたい」と
強く願ったわけではありません。
ただ、
逃げられなくなったのです。
問いから。
現実から。
そして、自分自身から。
「それでも、疑問は、
疑問のままにしておけない」
この感覚を、
抱え続けてきた私にとって、
“立つ側”に行くことは、
野心ではなく、必然でした。
次回は、
この決断をどうやって形にし、
どんな葛藤の中で、
実際に一歩を踏み出していったのか。
そのことについて、
書いてみようと想っています 🌱
