夜半に開く、紙文具屋の日々の欠片 第十四夜
第十四夜 君影草
若い頃、一人暮らししていたアパートの近くに古い中華屋があって、毎日のように通っていた。ここの餃子がうまくて、ほぼ餃子定食かタンメンに餃子を付けるかの二択だった。ある時、会社を辞めたと云うと、次が決まるまでうちで働けばいいと、半ば強引に決まってしまい、しばらくその中華屋で働いていたことがあった。餃子作りも覚えた頃、知り合いが事務所を構えることになって声がかかり、そこで働くことになって、それと同時に事務所の近くに引っ越すことになった。しばらくは仕事も忙しくて休みもなく、落ち着いた頃に行ってみると、店は駐車場に変わっていた。
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あの餃子が食べたくて、休みの日に作ってみると、思っていたより難しかった。自分の脳は新しいことを覚えると、古いことをひとつ忘れるように出来ているらしかった。それでも諦めずコツコツ作り続けていたら、いつかこれだと思える餃子が出来ていた。結婚してからは、餃子の担当はハルさんになった。そうして、いつからか餃子の日は餃子しか食べない、その分たくさん食べる日になった。
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いつの間にか、丸いポストの前に立っていた。目の端に緑が揺れて視線を移すと、若草色の暖簾と木の立て看板があり「紙文具拵処 久奈屋」と書かれていた。暖簾のさきの引き戸を開けると、眩しい光に包まれて思わず目を瞑っていた。目を開けてみると、古いガラスケースや木の棚などに紙文具が並べられていた。ふと目に留まった紙文具を手に取ると「其方は、洋手紙〈君影草〉です」と後ろから声がして振り向くと、店主が立っていた。君影草とはスズランのことで、四色の便箋とグレーの封筒、封緘紙のレターセットだと云う。「手紙、書いて行かれますか」と聞かれてふと、ハルさんの顔が浮かんだ。「入り口の丸いポストがちゃんとお届けしますので」。
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洋手紙〈君影草〉を購入してから案内された古い木の机と椅子は、不思議と誂えたようにしっくりと馴染んで、いつまでも座っていたいような気がした。ピスタチオ色の便箋一枚に書き終えると、グレーの封筒に入れて封緘紙を貼った。「お届け先を具体的に思い浮かべてから、ポストに投函してみてください」そう云われ、一冊の本を思い浮かべてから、何も書いていない封筒を投函した。
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気がつくと、そこは見慣れた団地の一室で、桃の花と自分の写真の飾られた机の上には、唯一、何度も読み返した古い文庫本『星を継ぐもの』があった。その三十三ページを開くと、何も書かれていない、封緘紙でとじただけのグレーの封筒が挟まっていた。不思議なことには慣れているはずなのに、まだまだ不思議なことが起こるんだなと思いながら、八十八ページに挟んであった古びた本屋の栞を、封筒と同じ三十三ページに挟み直してから本を閉じた。
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「ナツさん、珈琲淹れましたよ」のハルさんの声で、いつの間にか夜が明けていたことに気がついた。いつものようにハルさんは自分の写真の前に珈琲カップを置くと『星を継ぐもの』を手に取って栞のページを開いた。「ナツさん、今年も誕生日覚えててくれてありがとう。お手紙もあるの?」そう云うと嬉しそうに栞をそっと撫でてからグレーの封筒を開けた。「まぁ、餃子のレシピ!」〈君影草〉の便箋一枚に書いたのは、餃子の作り方だった。「ナツさん、本当にありがとう!お隣の晶子さんにたのまれてたから助かるわ。大切にするわね、夏彦さん」そう云うと、ハルさんは桃の花のせいでいつもより明るくみえる、自分の写真をそっと撫でた。
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次回は、3月19日(🌑)の夜半に暖簾をお出し致しますので、またふらりとお立ち寄りください。今宵の紙文具は、夜半の棚にご用意しております。どうぞお気軽にご覧くださいませ。
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【今宵の紙文具】
綴る紙文具
洋手紙 君影草
内容:便箋4色各2枚 計8枚・下敷き1枚
封筒・ラベル大小・封緘紙各2枚
サイズ:便箋 148×210mm
封筒 162×114mm
紙文具拵処 久奈屋
夜半に開く、紙文具屋です。日々にささやかな物語を添える、綴る・包む・本に纏わる紙文具をご用意しております。
手紙用品や蔵書票など、眠れない夜や紙文具をご入用の際には、どうぞ下記のリンク先よりお立ち寄りください。
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