自己紹介①|奏でる・綴る・22歳の決断|はじめてのnote
はじめまして。礒山久理と申します。
note初投稿です。
気がつけば、音楽と共に生きてきました。ここではそんな私の道のりを振り返って書いてみます。
現役のピアノ指導者で、元バレエピアニスト。今も年に一度ほど小さなソロコンサートを開いています。
2001年に、バレエピアニストのための情報サイト「稽古場のピアノ」を立ち上げて以来、ピアノや日々のことをさまざまな場で書き続けてきました。
noteは、言葉をじっくり綴れる場所として、以前から気になっていたところ。ようやく一歩を踏み出します。どうぞよろしくお願いいたします。
自己紹介
名前 いそやまひさり
1960年9月 乙女座 INFJ
好きな言葉
*犀の角のようにただ独り歩め
*自分の感受性くらい自分で守れ
ばかものよ
*生きてるだけでまるもうけよく道を訊かれる、猫好き、本好き
雪国生まれ雪国育ち
🔹音楽の道
レコードと本に育てられた日々
そもそも幼稚園に通わずに育った。入学前の毎日は家の中でレコードを聴くか本を読むか。外をぶらぶら歩いては毛虫に出くわし、泣いて帰って来るような子どもでした。
新聞記者だった父(故人・若い頃連載で新聞協会賞をいただいている)はそれなりに「情操教育」を意識していたのかもしれない。昭和40年前後、当時にしては珍しかったステレオを家に迎え入れてくれたのです。何を聴くのも自由。そのおかげで5歳にも満たないかどうかのうちに、一人で黒い円盤をプレーヤーに置き、そっとレコード針を落とす子どもになっていきました。

当時、私が聴いていたのは本当に雑多な音楽。童謡の「雨降りお月さん」や「浜千鳥」、ジャズのLP「魅惑のテナーサックス」井沢八郎の「ああ上野駅」、ボニー・ジャックスのコーラス、映画音楽、そしてやはりメインはクラシック。ソノシートで聴いたのはクロイツアー豊子さんが弾くショパンの「別れの曲」や「菩提樹」などのシューベルトの歌曲。
そして何より大好きだったのがメンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトだった。たしかヴァイオリンはミルシテイン。オーケストラは忘れてしまったけれど、この2つの協奏曲は小学生になる頃にはどこを聴いてもわかるほど身体に馴染んでいました。
家の中には本があふれ、新聞社の原稿用紙と社名の入ったボールペンが遊び道具。親から受けた文化的な環境の恩恵は本当にありがたく、それはかけがえのない豊かなものだったと思う。そうした日々が、私の根っこをかたちづくってくれたと、今はつくづくと感じるものです。
合唱三昧の学生時代
小学2年のとき、カワイ音楽教室のグループレッスンを受け始めました。初めての鍵盤楽器との出会い。親に必死になってやりたい気持ちを伝えたあの頃の記憶は鮮明です。
絶対音感があった私は、グループでの聴音は、音を聴いた瞬間、「ド」「ファ」と誰よりも素早く音名を言い当ててしまいます。「ひさりちゃん、ちょっと黙ってて」と言われたこともありました。引っ越しのため、3年ほどで教室を辞めることとなったのは残念でしたが、小学校の合奏サークルでワーグナーの「タンホイザー行進曲」を指揮したり、小4では卒業証書授与式の間、電子オルガンでBGMを演奏したりと学校教育の中で質の良い音楽体験を積むことができたのは本当に幸せなことでした。
中学に入学して間もないある日、放課後の音楽室から聞こえてきた柔らかく響く合唱の歌声。耳も心も奪われました。演劇か合唱かと迷っていたのも忘れ、吸い込まれるように合唱部へ入部。岩河三郎作曲、高田敏子の詩による「一日に何度も」やクラスで伴奏も弾いた「山のいぶき」、Nコンの課題曲など、懐かしい思い出が蘇ります。
この選択が後の音楽人生に大きく影響したのは今になってよくわかります。
合唱部にはまり込んだ中学生活を終え、高校へ進学。志望校よりランクを下げて入った高校では、このままではまずいと真面目に勉強を決意し帰宅部を決め込んでいたのですが、結局誘いを断ることができず、いつのまにやら音楽部へ。気がつけば又歌っていました。
新設高校で少人数の弱小部であったがゆえの自由さで、ルネッサンス、バロック時代の音楽、バッハなどの宗教曲に触れる機会に恵まれ貴重な音楽体験となりました。フォーレのレクイエムを知ったのもこの頃。父が亡くなった高2の夏、フォーレばかり聴いていました。
こうなると大学ではもはや当然とばかりに学内の混声合唱団へ。北海道教育大学教育学部での専攻は幼児教育。ですが、音楽漬けの毎日で「音楽科の学生よりも音楽科っぽい」と言われるほどでした。合唱に明け暮れ、そしてピアノ練習室に籠もって弾く毎日でした。
22歳の決断
大学時代まで、私の音楽活動の中心は合唱でした。ピアノはというと、小5で音楽教室を辞めてからは独学。ただひたすら好きな曲を弾き続ける日々でした。合唱の伴奏やビートルズなどのポップス、大好きなドビュッシーやラヴェルの小品、キース・ジャレットやビル・エヴァンスが好きだと言うには申し訳ない、即興というには拙い、とりとめのない音の連なりを気の向くまま耳の赴くままに奏でていました。
転機が訪れたのは大学4年の時でした。大学の合唱団でモーツァルトの「戴冠ミサ」に取り組み、私はソプラノのソリストとして本格的に専門家のレッスンを受けることになったのです。

「ちゃんとレッスンを受ける」とはこういうことかと目から鱗が落ちる思いでした。それまで独学で、自分の好きなように弾いてきたピアノ、アマチュアの発声で歌ってきた自分の世界に新たな扉が開かれたような感覚です。衝撃でした。
周囲の9割以上が教師を目指す大学でしたが、私は40人のクラスを指導する学校の教師は自分には合わないと感じ、進路に迷っていました。そこで、自分に深く問いかけたのです。「あなたは本当はどうしたいの?何がやりたいの?」と。答えはシンプル。「音楽がやりたい」。
ここから私の音楽の道が始まります。大学4年、22歳の秋、私は音楽の道を歩む決意をしました。それから声楽とピアノの本格的なレッスンに励む日々が始まったのです。幼児教育の卒論を書きながら。
さて、ピアノの先生になるまでの道のりは、次回このnoteでお話したいと思います。引き続きお読みいただけたら嬉しいです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
🔹noteに綴りたいこと
1. ピアノレッスンの現場から見える“いま”
〜日々感じる、音と人とのストーリー
2. 大人のピアノリスタート応援ノート
〜音楽との再会をより豊かなものとするために
3. ピアノを始めるのに遅すぎることなんてない
〜人生の後半に奏でる私だけの音
🔸礒山久理🔸
音楽好きな父の影響でクラシックを始め様々なジャンルのレコードを聞いて育つ。音楽教室講師を経て礒山久理ピアノ教室を主宰。生徒の心に寄り添い、楽しみながら上達するピアノレッスンを実践し多くの生徒を育てている。
30代よりバレエピアニストとしてのキャリアを重ね、「バレエとピアノの素敵な関係」「ブルクミュラーフェスティバル(2014年音楽之友社主催)」NHK「ららら♪クラシック」へ出演。又「ティータイムコンサート」等ソロピアニストとしても活動を継続。
「クロワゼ」等バレエ雑誌のほかメディアでの紹介多数。
ピアノを黒河好子、霧生トシ子、田中まり子、アキレス・デッレ・ヴューニュの各氏に師事。北海道教育大学、幼児教育専攻。メンタルヘルス協会心理カウンセラー資格保持。
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ピアノと音楽のある日々が、少しでも豊かなものになりますように。
