映像記憶 ― わたしのなかのスクリーン|エッセイ⑬
1⃣ フラッシュバック?
「記憶力いいよね。そんな昔のこと、よく覚えてるわね!?」
60代に入ってから、そんなふうに言われることが増えてきた。
「あの時、シルバーのキラキラした靴がブルーのドレスにすごく似合ってたわよね。もう20年以上も前かな。」
そんな何気ない会話で相手が驚くたびに、こちらのほうが少し不思議になる。私にとっては、それが当たり前に浮かぶ記憶だからだ。
阪神大震災のあたりから、「フラッシュバック」という言葉をよく目にするようになった。
辛い感情をともなった場面を、まるで“今この瞬間”のように再体験する現象。
でも、ふと思う。
もしかしたら私は──ほぼ通年、フラッシュバックしてるようなものかもしれない?
え? 私の記憶って、そもそもフラッシュバック的?
2⃣「映像で思い出す」という自覚
“映像記憶”という言葉を知ったのは、比較的、最近のことだ。
ネットの記事や、放送大学の心理学関係のテキストの中で見かけて、「あれ?これ、私のこと?」と。
たとえば──誰かとの会話。
部屋の中の光や空気感、テーブルの上のカップに注がれた緑茶、相手の声、しぐさ…。
それらが映画のワンシーンのように目の前にありありと再現される。過去のことなのに今まさに目の前のように”見える”のだ。
「覚えている」。それはたぶん、一般的には出来事の“意味”を記憶しているということだろうか。だろうか、というのは正直、そういった覚え方がピンとこないということ。
私の場合は“映像”で記憶している。アウトプットがそれ、と言うほうが良いのかどうか。そのあたりはわからない。
そして、その映像には、温度や匂い、音や気配までセットになっている。
3⃣ 記憶に引き戻される感情
便利?
いや、そもそも疑うことを知らなかった。
自分のこの感覚が当たり前であり、この記憶の仕方以外知らないのだから。他人様とそんな話もするはずもないし。
絶対音感もそう。それと同じ。
持っている人にとっては“ただそう聴こえるだけ”。
映像記憶も“ただそう見えるだけ”。
ただ、この記憶はどうもネガティブなことを一層忘れにくくするものなのか。幼い頃のつらい記憶もそのまま再現されてしまう。そこは私にとって圧倒的マイナスポイント。
「時間が解決してくれる」と人は言うけれど、私の中ではその場面が色あせない。
過去を“思い出す”というより、“再生される”。
気がつくと、その時の街中の雑踏や駅の階段に落ちていたもの、どんよりした気分までリアルに感じている。
まるで自分の内側に、小さな映画館があって、勝手に上映が始まるような。
4⃣ この感覚がくれるもの
って、なんだろう?
悪いことばかりでは、もちろんない。
こんな感覚で良かったことって何かなと考えてみた。
映像記憶の感覚を持っているからかどうかは、本当にはわからない。
けど、良さそうなことのひとつには読書の楽しみがある。
文章を読みながら、同時に目の前にその内容が映像化されて浮かぶ。これは多分そうはならない人の数倍、読書の楽しみがあるというものだろう。
そして、美術。
色彩の微妙な変化を感じ、動かない画面からも感情や温度感を受け取る。
その“見える力”が、私の心の深いところで私を育ててきたのだと思う。
5⃣ 美しい映像を
お邪魔だったり、お得だったり。
自分の記憶の正体がわかったとき、自分と少し仲良くなれた気がする。
「ああ、そういうことだったのか」と。
できれば、もう少し早く知りたかったけれど──まあ、物事にはタイミングがある。
この”記憶装置”をもう少し楽しみながら、あの世に旅立つその時には、
「これだけは忘れたくない」と思えるような美しい映像を魂の一部に刻んでいられたらいい。
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礒山久理/プロフィール
音楽好きな父の影響でクラシックを始め様々なジャンルのレコードを聞いて育つ。音楽教室講師を経、現在、松戸市にて礒山久理ピアノ教室を主宰。生徒の心に寄り添い、楽しみながら上達するピアノレッスンを実践し多くの生徒を育てている。
30代よりバレエピアニストとしてのキャリアを重ね、「バレエとピアノの素敵な関係」「ブルクミュラーフェスティバル(2014年音楽之友社主催)」NHK「ららら♪クラシック」へ出演。又「ティータイムコンサート」等ソロピアニストとしても活動を継続。
「クロワゼ」等バレエ雑誌のほかメディアでの紹介多数。
ピアノを黒河好子、霧生トシ子、田中まり子、アキレス・デッレ・ヴューニュの各氏に師事。北海道教育大学、幼児教育専攻。メンタルヘルス協会心理カウンセラー資格保持。
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