【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 序章 2
序章 盗賊競技会
2 訪れた予感
白熱した準決勝に、観客席の入り口近く、隅の方で、じっと見入っていた小柄な人影があった。十二、三歳の少年と思われた。裾を引き 摺るような長衣を纏い、ほっそりと、痩せている。短く切り揃えられた髪も大きな瞳も、淡い茶色で、色白である。
――羨ましいな、あの、ハシャルという人。活き活きとしていて……。
こんな競技会に出場して、活躍し、称賛されることなど、この少年には、望むべくもないことだった。むしろ、人から憎まれ、蔑まれてしかるべき存在だ。そう、思っていた。自分になど、何の価値もない。どころか、有害なだけだ。
競技場の様子に夢中になっている少年に、一人の若い男が近付いた。筋骨逞しい、恰幅のよい男だった。鼻がひしゃげ、えらが張っている。むんずと、乱暴に少年の襟首を掴むや、引き摺るようにして立たせる。そして少年を引っ張り、競技場を出て、人目につかない物陰に入った。
少年は、蒼白になっていた。
男は、腹にこたえるような低い声で、言い放った。
「こら、フロイ! お前、あんなところで、何、油を売りくさってるんだよ、え? 仕事があるだろ、仕事がよ。お前がいなくなったってんで、俺は、わざわざお前を捜す羽目になったんだよ。ちょっと目を離した隙に、いなくなりやがって!」
「……す、すみません。仕事に使う薬草を買いに来て、この競技会の噂を聞いたんで、ちょっとだけ覗いてみようと思って……。このところ、仕事ずくめで、忙しかったし、たまには少し息抜きをしないと……」
男のえらの張った顔が怒りに歪んでいくにつれ、少年、フロイの声は、消え入りそうになった。フロイは、次に起こることを予期して、身を固くした。途端、フロイの頬に、激しい痛みが炸裂した。頭が、中で鐘が乱打されているように、がんがんと痛んだ。目に星が散る。男の怒声が、その苦痛を倍加した。耳元で、一語一語が、脳を揺さぶるように響く。
「お前、自分の立場がわかってるのか? お前にゃ、そんなことをする権利なんざ、ないんだよ。お前は、言われたとおりに働いてりゃいいんだ。さっさと戻れ!」
そう、自分には、何もできやしない。この連中に、悪用されるだけなのだ。悔しさとやるせなさに、胸を焦がしながらも、フロイは、従順そうな表情を取り繕い、頷いた。
「はい。すみませんでした……」
自分一人では、この状況から抜け出すことはできない。けれども、あの少年のような盗賊と一緒だったら、逃げて、何かをすることが、できるだろうか。これまで悪いことに使われてきた自分の命も、何かの役に、立てられるだろうか。
そう考えた瞬間、突然目の前に光が閃くように、一つの予感が、フロイを訪れた。
――あの少年は、自分の運命を、変えるだろう。
思いがけず生じた希望に、フロイは、慄き、打ち震えた。しかし、その予感を、フロイは、ひとまず胸の深奥へと押しやった。このことを、他の者に悟られてはならない。夜、一人になったならば、己の運命を、詳しく占ってみよう。己の運命は、他人の運命のようには、よくわからないものだが――。
男に引き立てられるようにして戻っていく途中、フロイの一見静かな瞳の奥では、希望の灯が燃えていた。
序章 了
第一章へ続く
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