【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 第三章 7
第三章 赤目の盗賊
7 偽名の裏側
「おのれ、ヴェランめ!」
じきに初老の域に差しかかるであろうと思われる男は、暗い天幕の中で、眼前の、大きな水晶球を置いた卓に、両の拳を激しく叩きつけた。旅芸人風の、装飾品や刺繍で派手に飾り立てた衣を纏っている。そして、喉元には、赤と黄の花を模した首飾り――フロイが持ち出したものとよく似た首飾りが、輝いている。ミリスリィ王国南部、国境周辺で興行している旅芸人一座、ラチェンス座の座長、イグニードである。
イグニードの前の水晶球に、先刻、部下であるヴォーゲンからの報告が入った。それによると、ヴォーゲンらによるフロイらへの襲撃は、またもや失敗に終わったとのことだった。フロイらと共にいる男には、充分注意するよう、ヴォーゲンには申し渡してあった。それが、このありさまだ。血気盛んな、復讐心も憎悪も人並以上に強いあのヴォーゲンは、早まってしまったのだ。もっとじっくり、計画を練って、襲撃するべきだった。
とはいえ、ヴォーゲンの血の気の多い性格は、多分に主であるイグニードに似ていた。故に、イグニードとしても、ヴォーゲンをあまり責め立てる気には、ならなかった。ヴォーゲンは、これまで、実によく役立ってくれたのだ。そのことも相俟って、ヴォーゲンに、イグニードは、目をかけているといっても過言ではなかった。従って、この度の彼の失態についても、むしろ、彼の襲撃を阻んだ男に対して、憎悪を覚えた。フロイらに同行する、リュインと名乗る男だ。リュインというのは、偽名である。男の本当の名は、ヴェランという。
ヴェランは、魔法石を使いこなす能力があることから、イグニードの仲間により、十数年前に、ミリスリィでかどわかされた。そして、彼らの女主人オルヴィエタの役に立つようにと、訓練された。ヴェランは、めきめきと頭角を現した。そして最近では、イグニードらの仲間として認められ、組織内での地歩を固めつつある。イグニードらのように呪印魔法を使うことができるわけでもなく、経験も浅い若造が、このように重用されるなど、異例のことだった。その若く、引き締まった筋肉質の身体と、甘い顔立ちとで、オルヴィエタに取り入ったのだ。イグニードら、他の仲間は、この新参者を、快く思っていなかった。
そのヴェランは、イグニードが放った追手、ヴォーゲンらを薙ぎ払い、彼らに甚大な被害を与えて、占い師フロイを救出した。その後、まんまとフロイらに自分を味方と思い込ませ、同行している。そして、再度攻撃を仕掛けたヴォーゲンを、またしても打ち破ったというわけだった。どこで嗅ぎつけたのか、占い師が首飾りを盗んで逃亡したことを知ったので、それを自分が捕らえ、ジディアへと連れて行き、その功績で、占い師と首飾りを自分のものとした上、さらなる寵愛を女主人から得ようという魂胆だろう。
――そうはさせぬわ。
これ以上、新参者の、真の魔法使いではない、秘石魔法の使い手にすぎぬ若造に、権力を与えてなるものか。それに、あの占い師と首飾りは、己のものとなるべきなのだ。
――邪魔者は、始末せねばなるまい。
自ら乗り出し、己の手で、確実にヴェランを討つのだ。血を求める獣のような、残忍な笑みを、イグニードは唇に上せた。
この際、多少派手な騒ぎを起こしても、構うまい。何か問題が生じたならば、それは、おめおめと占い師の逃亡を許した、カルヴェントの責任だ。
カルヴェントといえば、彼の放ったフロイの追手、ファーガスも、実に小うるさい存在だった。幾度も刺客を送ったが、いまだ、片付いていない。ファーガス自身も相当の腕利きであるが、加えて、妙なことに彼は、占い師フロイと共に逃げた少年たちの関係者と、行を共にしている。その奇妙な連れというのが、どうも厄介な存在のようだった。フロイを己の掌中に収めるためには、このファーガスらも、排除すべきだ。
イグニードは、再び水晶球に両の掌をかざし、意識を集中した。あちこちに散らばっている部下たちに、連絡を取るのだ。そして、邪魔者どもの抹殺を命じる。
それにしても、と、イグニードは思った。王都ミリィスの辺りで活動しているカルヴェント、彼はもはや、進退窮まっている。盗賊組合の情報収集能力は、予想を遥かに上回るもので、シュティンク座に関し、よからぬことが種々明るみに出ているようだ。ほとぼりが冷めるまで、一度、姿をくらますよりほか、ないのではあるまいか。ファーガスにフロイを追わせているカルヴェントであるが、そのうちに、彼自身の方が、逃げ出さねばならなくなるに違いない。
仲間の窮状に、しかしイグニードは、同情など一片たりとも感じなかった。むしろ、好都合とさえ思った。
カルヴェントが失脚すれば、仲間の中でのイグニードの存在の重みが増す。それは、実に、喜ばしいことだった。
フロイらを襲撃した部下から、イグニードが敗北の知らせを受け取った、次の日のことだった。彼の予測に違わず、追い詰められたカルヴェントは、ついに万策尽き果て、最後の選択肢をとらざるを得なくなった。つまり、全ての謎を抱えたまま、当局や盗賊組合、それに神殿の追及を逃れた――行方を、くらませたのだった。ただ、彼が最も恐れたのは、イグニードの考慮の及ばない事柄――ミリスリィ当局、もしくはそれに近いところに潜んでいると思われる人物の出方だった。このまま事態が進展すれば、その者は、口封じのため、カルヴェントを排除しようとするかもしれない。そう考え、彼は、姿を消すことを選んだのだった。
続く
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