「卑弥呼の墓」に新たな水の仕掛け──箸墓古墳の渡り土堤が語る3世紀の設計思想

邪馬台国の女王・卑弥呼。その墓の候補として長年議論が続く箸墓古墳で、また一つ面白い発見がありました。
2026年2月19日、奈良県桜井市教育委員会が報道発表を行いました。箸墓古墳の前方部南側にある内濠跡から、「渡り土堤(わたりどてい)」と呼ばれる人工的な盛り土の遺構が見つかったのです。濠を横断して墳丘と外部をつなぐこの構造物は、古代の土木技術と思想を解き明かす手がかりとして注目されています。
箸墓古墳は全長約280メートル。大型前方後円墳の中でも最古級に位置づけられ、3世紀半ばから後半に築かれたとされています。宮内庁が皇族の墓として管理しているため、墳丘本体の発掘はできません。ただ、周囲に埋まった濠の部分は桜井市教委が断続的に調査を続けてきました。
長さ6.4メートルの盛り土
今回の調査は、民有地の開発に伴う緊急発掘として1月から行われたものです。約58平方メートルを掘り下げたところ、幅約8メートルの内濠跡の中に、南北方向に濠を横断する台形状の盛り土が姿を現しました。
数字を並べると、長さ約6.4メートル、底面の幅が3メートル以上、上面の幅が2メートル以上、濠底からの高さは1.6メートル以上。この盛り土から出土した土師器の破片は3世紀半ばから後半のもので、古墳の築造とほぼ同時期に造られたと判断されています。
実は、渡り土堤が見つかったのはこれが初めてではありません。1998年度の調査で後円部の東南側からも一つ確認されており、今回は2例目です。ただし前回のものは両脇が石で覆われていたのに対し、今回は石が確認されませんでした。場所や構造に違いがあることが、かえって当時の土木技術の幅を示しています。
水をたたえる設計思想
この発見で特に面白いのは、「なぜ渡り土堤が必要だったのか」という問いです。
桜井市纒向学研究センターの寺沢薫所長によると、箸墓古墳は緩やかな傾斜地に築かれており、内濠の底は後円部の方が前方部よりおよそ6メートルも高いそうです。つまり、何も仕切りがなければ水は低い方へ流れてしまい、濠全体に水面を保つことができません。
そこで複数の渡り土堤を「せき」のように使い、水面を階段状に調整していたのではないか。寺沢所長はそう分析しています。いわばダムの原理です。3世紀の人々が地形の高低差を正確に読み取り、どこに土堤を配置すれば水が保てるかを計算していた。延べ123万人を動員して8年かけたという試算もある巨大プロジェクトですから、測量や土木の専門集団がいたと考えるのが自然でしょう。
この「水で墳丘を囲む」という行為には、古代中国の神仙思想が関係しているとも指摘されています。不老不死の仙人が住む蓬莱山は海に浮かぶ島として描かれてきました。古墳の周囲に水をたたえ、墳丘を「海に浮かぶ島」のように見せることで、葬られた人物の神聖さや権威を演出した──そうした世界観が、この土木工事の背景にあったというわけです。
科学が照らす箸墓古墳の年代
箸墓古墳の築造年代をめぐっては、考古学と科学的年代測定が絡み合った長い議論が続いてきました。
国立歴史民俗博物館は2009年に、周濠から出土した土器に付着した炭化物の炭素14年代測定をもとに、築造時期を西暦240〜260年頃と発表しました。卑弥呼が亡くなった247〜248年頃とほぼ一致するため、当時大きな話題を呼んでいます。
さらに近年、名古屋大学の中塚武教授らが開発した酸素同位体比年輪年代法が、この議論に新たな材料を加えています。樹木の年輪に含まれる酸素の同位体比は、その年の降水量を反映します。日本列島各地の年輪データを積み重ねれば、年単位での照合が可能になる。従来の年輪幅による方法では「一致するかもしれないし、しないかもしれない」といった曖昧さが残りましたが、酸素同位体比は精度がぐっと上がります。纒向遺跡から出土した護岸用杭材の最外年輪について、この方法で231年という数値が出たことが2024年のNHKスペシャルで紹介され、話題になりました。
もっとも、これらの結果に対しては慎重な見方もあります。分析対象の土器が本当に「築造時」のものなのか、あるいは木材が転用材ではないかといった疑問は解消しきれていません。箸墓古墳の年代は300年前後ではないかとする研究者もいて、「卑弥呼の墓」説はまだ確定には至っていないのが実情です。
墳丘に足を踏み入れられない中で
箸墓古墳の調査には、宮内庁の陵墓管理という大きな制約があります。墳丘への立ち入りが厳しく制限されている以上、周辺部の限られた面積を丁寧に掘り進めるしかありません。
それでも、1998年の渡り土堤の発見に続き、28年を経て2例目が確認されたことで、この古墳が当初から周囲に水をめぐらせる精密な設計のもとに築かれていた可能性がいよいよ高まりました。桜井市立埋蔵文化財センターの橋本輝彦所長は、前方後円墳がどのように成立し、どんな施設を備えていたのかを探るうえで、箸墓古墳が最も基本となる存在だと語っています。
21日には現地説明会が予定されています。実際の遺構を目にした人々がどんな感想を抱くのか、気になるところです。台形に整えられた土の断面は、1800年近く前の土木技術者が残した仕事そのものです。彼らが計算した水の流れ、描いた墳丘のイメージは、発掘という手段を通じて、ようやく現代の私たちにも届きつつあります。
参考記事
〇「卑弥呼の墓」に築造時渡り土堤 箸墓古墳、古代中国の神仙思想か(2026年2月19日)
〇「卑弥呼の墓」で渡り土堤が出土 奈良・箸墓古墳、水をためる機能か(2026年2月19日)
〇「卑弥呼の墓」説・箸墓古墳、前方部周辺にも渡り土堤 築造時の物か(2026年2月19日)
〇桜井市 箸墓古墳 渡り土堤など見つかる 奈良(2026年2月19日)
〇「卑弥呼の墓」で渡り土堤発見 水張って荘厳さ演出 奈良・箸墓古墳(2026年2月19日)
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