1970年のこんにちは

昨日書いたように、正月早々から大阪まで出かけて、万博記念公園に行ったせいで、いろいろ思い出しました。

あらためて思ったのは、1964年の東京オリンピックと並んで、1970年の日本万国博覧会(通称・大阪万博)が私の成長に果たした役割の大きさ。ハッキリ言って、この二つがなければ、今の私の大部分は違ったものになっていたでしょうね。

東京オリンピックについては前に書きましたが、なにせ当時はまだ5歳。記憶の大半は後年の模造記憶でしょう。

でも万博の時は11歳。小学校6年生。記憶は鮮明に残っています(もちろん時を経て多少ぼけていますが)

昨日も書いたように、私の自慢は「万博のパビリオン全部見た」ですが、じつをいうとその内容はよく覚えていないものが大半です。そりゃそうか、意外と真面目な産業展示とかが多かったから、小学生男児にはあんまり関係なかったんだろうな。

でも、会場マップ(今でもわが家のどこかに眠っているはず)を手に駆け回ったおかげで、今でもだいたいの位置関係は記憶しています。その知識を武器に、万博見物に来た親戚を案内してまわったりもしたもんです。ほんとに「万博小僧」だったんですねえ。

しかし、あらためて記憶をたどってみると、半世紀近い時の流れって、たいへんなものですね。

ソビエト連邦をはじめ、チェコスロバキア、アラブ連合、南ベトナムなど、当時はあって現在は存在しない国のパビリオンがたくさんありました。そして当時は意識しなかったけど、中華人民共和国や北朝鮮をはじめ、参加していなかった国もたくさんあったんですね。EUも、まだECだったし。

それでも、当時の万博小僧は、このイベントを通して「世界」というものを知ったのです。

たぶん、生まれてはじめて「外人さん」に接したのも、この時だったはず。それだけでも、けっこう大変なことだったんでしょうが、そのほかにも、この万博会場で初めて知ったもの、触れたもの、そして食べたものがたくさんありました。そう、このとき初めて食べたものがいっぱいありました。

アメリカ企業館なるパビリオンのレストランでは、ハンバーグなどのアメリカ料理を供していましたが、その付け合わせに必ずついてきたのが「ミックスベジタブル」 グリーンピース、ニンジン、コーンの三種の野菜ミックス。当時はまだ珍しかった冷凍食品で、万博後しばらくたってから日本でも手に入るようになりました。もちろん今ではどこでも普通に売ってます。当時は物珍しさもあって、嫌いなはずのニンジンもこの形態ならば、けっこう喜んで食べてました。

たしかベルギー館にあったのがフレンチフライ。ジャガイモを揚げたポテトフライはたぶんそれまでも食べたことがあったのでしょうが、ここでのそれには、なんとも美味なソースがかかっていました。それは、当時かなり料理に詳しかった私の母親にもわからなかった謎のソースで、その後、親子でいろいろ混ぜ合わせて再現を試みたりしました。これも今では普通に知られているオーロラソースってやつだったんですが。

いま思い出すと、どれも大した食べ物ではなかった気がしますが、当時はたいへんなご馳走でした。というか、その後に日本に入ってきて普及したものが多かったんでしょうね。

数あるパビリオンの中で、私が一番好きだったのは、ガス・パビリオン。「笑い」がテーマとかで、全体に柔らかい線で構成された建物、メインで上映していたコメディ風の短編映画(クレイジーキャッツ主演だった。あの映画、どこかで再見できないだろうか?)、そして最後にホアン・ミロの大作壁画「無垢の笑い」が披露されるという展示。私はこれで初めて見たミロの作品に見せられ、今でも一番好きな画家だったりします。

アメリカ館の売り物の「月の石」は、月面着陸からまだ日が浅かったせいか大変な人気でしたが、わが家は台風襲来のさなかに突撃し、待ち時間ゼロで見物しました。またワシントン州館ほかのパビリオンでも「月の石」の展示があるのを探り当て、混雑を避けて見物しましたっけ(まあこちらは「月の砂粒」程度のものでしたが)

入場待ちがいちばん長かったのは、たしかソ連館。2時間ほど行列した記憶があります。ここの行列でロシア人(たぶん)の観光客と交流し、記念バッジの交換をしました。その時のバッジ、レーニンの肖像が浮き彫りになった銅色のバッジも、たぶん家のどこかにとってあるはず。

今でもよく言われることですが、当時万博で展示された「未来の技術」には、その後実用化されて普及したものもあれば、今もって実現できていないもの、幻のまま終わったものなど様々。まあ、科学技術なんてそんなものか。

そんななかで、数多く、またバリエーションも多かったのが映像展示。

これぞ未来の映画といったふれこみの異形の映像技術が次々と披露されていました。マルチスクリーン、巨大スクリーン、360度全周スクリーン、そして全天スクリーンなどなど。当時は、そのうち映画っていうのはこういう形になるのかなどと思っていました。

そして半世紀近くがたった今、実現したものは?

巨大スクリーンは、辛うじてアイマックスなどで普及してますが、そのほかは少なくとも商業映画館では実用化されていません。

1970年当時、すでに映画はカラー、音声、ワイドを完全にものにしていたのですが、その後に発達したのはけっきょくのところ、CGという「そこにないものを撮影する技術」くらいですかね(あとフィルムのない映画という技術革新もなされていますか) 映画って意外に発達してないんですね。

とはいえ、あそこで見た映像の数々は、今も脳裏にしつこく残っています。

こんな具合に、万博が私に残したものは、強烈かつ多様でした。

なので、私にとって、その後日本で開催された、多くの博覧会(つくば科学博、沖縄海洋博、花の万博、愛・地球博など)は、すべてマガイモノ。いやちゃんと見に行ってないんですが、見に行こうという気も起きないほど、大阪万博っていうのは大変なものだったんです。

46年ぶりに垣間見た、あの夢のようだった万博会場の跡地は、太陽の塔以外はほとんど面影もなく、一抹の寂しさもありましたが、いっぽうでどこかに夢の残滓を感じ取りもしました。

今回は駆け足どころの騒ぎではなかったので、そのうちじっくり見物に行ったろうかと思ってます。

ちなみにガンバ大阪のホームである万博記念競技場も吹田スタジアムも、かつての万博会場では広大な駐車場だった場所に建っていると、元・万博小僧の眼力は見抜きましたよ(笑)

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