大横綱のお休み
9月場所の初日・二日目を連敗した横綱白鵬が、三日目から途中休場となった。ビックリである。てっきり今場所も独走して36回目の優勝を決めると思ったのだが。
これで優勝争いは絶対の本命が消滅し、まあいってみれば早い者勝ちになったわけで、鶴竜、照ノ富士、稀勢の里以下、全員にチャンスありといったところか。ひょっとすると昭和47年1月場所以上の戦国場所になるかもしれないので、期待しよう。
さて、気になるのは休場した白鵬の今後だ。先場所の初日にテレビで解説者の舞の海氏が「白鵬も限界」などと口走って恥をかいたが、ひょっとして一場所早かっただけか? なにしろ横綱昇進後初めての休場だけに、どうなるかさっぱり予想が出来ない。
そこで、こういう時には過去の実例を見ようというのが、本日のお題。
さっそく、優勝20回以上の大横綱たちが、休場後にどんな復活劇を見せたか(あるいは見せなかったか)を調べてみた。
下の表は、白鵬を除く優勝20回超の5人の大横綱(大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍)の横綱昇進場所からの足取りを可視化したもの。いちばん上が新横綱の場所で、最後の緑色が引退場所(朝青龍以外は場所中に引退。朝青龍は場所前に引退) 赤いのが優勝場所、青が全休場所で薄青は途中休場場所だ。

横綱というのは、休場しよう負け越そうが、番付の地位は下降しないのが大きな特徴。つまり、怪我や病気で休まざるを得なくなっても、ほかの力士たちと違ってじっくり治し、あるいは調整することが可能なのだ。
表で見ればそのへんはわかりやすい。青色がずっと続いている期間、つまり長期休場があっても、休場明けに同じ横綱でいられるのだ。古くは龍虎とか琴風、最近でも栃ノ心のように、休んでいる間に三役から幕下以下まで急降下、なんてことはない。2001年7月場所からの貴乃花の7場所連続全休など、もしも大関だったら間違いなく幕下の下位まで下降していただろうが、休場明けの2002年9月場所も番付は横綱のまま。これは横綱の特権のひとつだ。
大鵬と千代の富士は、これをうまく生かして、力士生命を伸ばしたと言えよう。二人ともケガが少なかったわけではなく、休場場所も決して少なくはないが、休場後の場所では、きっちり優勝を果たしている。
とくに大鵬は休場の利用がうまかったようで、1966年1月場所の全休後には第2次6連覇、4場所連続休場後の1968年9月場所からも3連覇を果たしている。晩年に入った1970年にも2場所連続休場し、その間に北の富士と玉の海が横綱に昇進してきたが、その後の3月場所には復活優勝した。大鵬を敬愛する白鵬には、心強いサンプルだろう。
逆に気になるのは、白鵬同様に横綱昇進後に休場がほとんどなかった北の湖の例だ。1974年9月場所の昇進後、休むことなく1981年9月場所まで皆勤し、横綱連続出場653日の記録を作り上げた。これは白鵬が更新するまでは不滅の大記録(白鵬は722日で途切れた) そして、この間に21回の優勝を遂げている。ところがこの初休場の後は、3年余も横綱の地位を維持しながら、優勝はわずかに2回を上積みしただけに終わったのだ。その間に休場場所も10場所にのぼる。明らかに、初休場→連続出場の中断から、大失速しているのだ。
これまで「無事これ名馬」を誇っていた白鵬だけに、どちらかといえばこの北の湖のケースに近いような気がしてならない。緊張の糸がぷつんと、なんてことにならなければいいのだが。
こうして可視化して見ると、大横綱のなかで最も不幸だったのが貴乃花だったこともわかりやすいだろう。優勝のほとんどが、在位期間の前半にかたよっている。ほかの大横綱たちと、ここが大きく違うのだが、いっぽうでそれにもかかわらず、通算優勝回数22回なのだから、凄い。仮にケガがなく、在位期間の後半にも前半並みの優勝回数を積み上げられていたら、どれだけの記録を作れたのだろうか。
ちなみに朝青龍の全休3場所のうち2場所は、例のアレなので、この大横綱がいちばん「無事これ名馬」だったといえるかね。引退直前もあんな事情だったし、まだまだやれただろうにね(優勝してディフェンディングチャンピオンのまま引退したのはこの人くらいか) ホントにもったいなかった。ま、身から出たサビだからしょうがない。「無事これ名馬」ならぬ「暴れ馬」だったんだから。
