“カイロで最も有名なモスクへ”カイロinエジプト
2023年8月14日
この日、私はカイロを散策し、前回記事ではエジプト考古学博物館とアブディーン宮殿を訪れた際のことを書いたが、当記事ではムハンマド・アリ・モスクMuhammad Ali Mosqueとスルタン・ハサン・モスクMosque Madrasa of Sultan Hassanを訪れた際の様子を書いて行く。ムハンマド・アリ・モスクは“カイロ歴史地区”の構成遺産として世界遺産登録されていた。
まず先に訪問したムハンマド・アリ・モスクは、19世紀にオスマン帝国のエジプト総督、ムハンマド・アリー・パシャMohammed Ali Pashaの指示で建設されたカイロ最大級のモスクである。私がネットで調べたところだと町内一の名モスクらしかったので、カイロに数百あるモスクの内、私はここを訪れることにしていた。
モスクは砂とガラクタに塗れた宗教的とは言い難い汚らしい丘の上に立っていて、砂の色の城壁に囲まれていた。しかも歩道は舗装されていなければ、暑くて疲れてもいたので、私はくたくただった。人は沢山いたが、彼等のほとんどはツアーのバスや乗用車で来ているようだった。この城壁内の敷地には当モスクの他、国立軍事博物館と国立警察博物館も入っていた。

当モスクは横長の直方体で、その上には一回り小さい直方体が乗っていた。小さいほうの直方体には、大きなドームが乗っていた。大きい方の直方体上、この大きなドームの四つ角には、同ドームの1/4の大きさのドームが、同ドームの四辺には、同ドームの1/2の大きさの半ドームが乗っていた。また、各直方体の四つ角からは、細い塔が伸びていた。特に、大きい直方体後部の互いに線対称な二つの角から伸びた塔は、長くミナレットになっていて、他6本の塔はドームを被っていた。ここまで述べたドームは全て白く、両直方体の外壁は基本的に濃い黄土色だった。ただ、大きい直方体の上下三層の内、一番下の層は白かった。加え、白い半ドームの乗った出入口から見て、右と左に当たる建物側面には、白いテラス屋根が付いており、このテラス屋根には白い小さなドームが列をなしていた。このテラス屋根は、モスク背面へと延長し、繋がり、コの字型を形作るように建物を囲んでいた。故、上空から見ると、モスクはコの字の横線2本に挟まれた格好になるのだが、モスクとコの字の縦線部分には正方形の空間があり、ここは中庭になっていた。

内部は白壁になっており、同じく白い四角柱数本が天井を支えていた。この天井には巨大なドーム5個が十字を描くように並んでいた。内、四方の4個には、緑地に白い向日葵のような模様が数十個描かれていた。他方、金色を基調とした真ん中のドームでは、円を中心に数十もの四角形が放射状に広がっており、大きな金色の向日葵のように見えた。室内上部に何個もある縦長の蒲鉾型の格子窓は、どれもオレンジ色の膜で覆われていて、室内全体は薄暗く、大きなシャンデリアを模した照明だけが薄明りを添えていた。この微妙な明るさは宗教的な荘厳さと相まって、室内全体を夜のような静けさで覆っており、キラキラした金色のドーム型天井の模様は、神のような神聖なものが放つ神秘的な光のようだった。


前述のように当モスクは丘の上にあった為、モスクのそばからは遠くまでカイロの景色を見渡すことが出来たが、カイロの街はどこまでも砂色で角形の無個性な建物が広がるばかりで、その景色は感動ではなく、都会の途方もなさを体現していた。

丘の上からは、道路を挟んでスルタン・ハサン・モスクを見ることも出来た。当モスクは、上空から見ると若干左に縊れた凸の字型になっていて、凸の下半分には正方形に近い中庭があった。凸の字の一番上の横線がファーザード部分になっており、凸の中段の左右の端にはミナレットが付いていて、左端のものの方が太くて高かった。凸の上半分には、先のつんとなったドーム型の大きな屋根が乗っており、それを1/5ほどの高さの小塔10本余りが囲んでいて、王冠のようだった。外観は砂色一色で、王冠のようなドームの形状も相まって、モスクは宗教的建築物と言うよりもアラビアン・ナイトにで出来そうな砂の城みたいだった。汚いカイロの街でなく、別場所に位置していたら、すごくロマンチックに見えただろう。

以上で本日行く予定だった場所は全て行けたことになるが、まだ時間に余裕があったので、私は前述の国立軍事博物館と国立警察博物館の内、取り敢えず前者に入った。
国立軍事博物館は黄土色の角形の白い平屋で、館前には、ミサイルを乗せたトラックや、パラボラ・アンテナの骨格のようなものを荷台の屋根に乗せたトラック、戦闘機、戦車、19世紀のエジプト提督、イブラヒーム・パシャIbrahim Pashaの黒い騎馬像などが置かれていた。

内部には、ムハンマド・アリー・パシャとイブラヒーム・パシャの白い胸像、国旗を振ってピラミッドの前を練り歩く軍人達の絵、赤や青のバス・ローブのような民族衣装、黒ずんだ金の大砲のようなもの、2匹の馬に引かれた馬車を運転する男性二人の像、軍服に水筒や鞄などの軍人の日用品などが展示してあった。しかし、私はこれら物品よりも、天井の装飾に目が行った。基本的に天井は緑や茶色を基調としていて、尖がりの二つある玉葱型に近い形が鱗のように何枚も浮き彫りにされたもの、魔法陣のような丸く大きな模様が浮き彫りにされたもの、シャンデリアを中心として放射状に三角や四角が10個ほど浮き彫りにされたものなどがあり、どれもイスラム教やキリスト教からの影響を感じさせず、とてもユニークだった。


国立警察博物館は特徴のない角形の白い平屋で、外から見る限り人はがらがらだった上、私はもう入館して展示物を鑑賞するだけの体力がなかったので、やめておいた。
それから私はどうにかして約4km離れたラムセス駅へと1時間かけて歩き、19時頃、ルクソール行きの夜行列車に乗った。暑さと長距離の徒歩により、私は空腹すら忘れるほど疲弊していた。
※“カイロ歴史地区”の歴史に関しては、ユネスコの世界遺産リスト参考。
