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中米旅行記20日目“パナマ・ビエホから考察するパナマ人の歴史感覚”パナマ・ビエホinパナマ

2013年10月22日
 朝7時過ぎに他の多くの若い宿泊客達と共にサンタ・カタリナの宿をバスで出発し、ソナで別なバスに乗り換え、14時くらいにパナマ・シティにある巨大な国営バス・ターミナルに到着した。道中の車内では、すっかり二日酔いになっていた他の宿泊客達が終始沈黙しながら虚ろな表情で窓の外を眺めており、私は昨晩飲み過ぎなかった自分の選択が正解だったと思った。私はパナマ・シティを起点に、この日はパナマ・ビエホを、翌日はポルト・ベロを訪れる予定だった。前者は“パナマ・ビエホとパナマ歴史地区”として、後者は“パナマのカリブ海側の要塞群:ポルト・ベロとサン・ロレンソ”の構成遺産として、それぞれ世界遺産になっていた。
 私は彼等と別れてタクシーでユース・ホステルに向かい、荷物を置いてから徒歩30分かけてパナマ・ビエホに来た。
 パナマ・ビエホは1519年に植民者、ペドロ・アリアス・ダビラPedro Arias Dávilaが作った太平洋沿岸で最初のヨーロッパ人集落で、17世紀に放棄されるも、優れたダムのレイアウトや当時のスペインの建築様式を今に伝える遺産として知られていた。集落が存続していた152年間も数度火災や地震に見舞われたが、1671年の海賊、ヘンリー・モーガンHenry Morgan一味による襲撃が放棄される決定的原因となった。
 現在のパナマ・ビエホには、10棟ほどの建物の土台や壁の一部だけが残されている状態であり、例外的に修道院El Convento de la Concepciónと、大聖堂La Catedral Dedicada a Nuestra Señora de la Asunciónの塔ひとつがほぼそのままの姿を残していた。どの建物も赤茶色の土を間に詰められた石垣のようなもので造られており、部分的に赤煉瓦も利用されていた。井戸もあった。

El Convento de la Concepción
La Catedral Dedicada a Nuestra Señora de la Asunción

 また、それら建物の周囲には、自然の景観を損なわない程度の適度に手入れをされた南国の草木が生えており、中でもパナマの国の木、Sterculia apetalaが板のように平らな独特の根を地上に露出しているのが印象的だった。パナマ・シティは他の中米の町に比べ、サン・ホセと並び飛び抜けて都会的だったが、パナマ・ビエホの周辺に限っては建物のみならず、草木までもが例外的に17世紀の状態を目指して保存されているようだった。そしてその草木の生えた土地から道路一本隔てるともうそこは都会で、敷地の他方の端は海に面していた。海岸には嘗ての畑の跡らしき固まった泥の列が、波に侵食されつつも、時間の流れに抗おうとするかのように何とか自らの存在を保っていた。その先の海の水平線とちょうど同じ高さに位置する橋には、アメリカ大陸を貫くパン・アメリカン・ハイウェイが走っており、自然とは別様な形で大陸の広大さを私に見せ付けているのであった。そんな新旧の人工物と自然物が同席するパナマ・ビエホ周囲の景色は、30mほどの高さの前述の大聖堂の塔に登ると一望することが出来、旅は物理的移動だけでなく時間的移動ももたらしてくれることがしみじみ感じられた。

Sterculia apetala
畑の跡?とパン・アメリカン・ハイウェイ
La Catedral Dedicada a Nuestra Señora de la Asunciónからの景色

 同じツアーでコイバ島へ行ったパナマ人女性二人は、「パナマ・ビエホは観光客の来るところではない。」と言っていたが、私は来て本当によかったと思った。加え、同じくパナマ人女性であるサンタ・カタリナのユース・ホステルのオーナーは、「今しか見ないパナマ人に比べ、日本人は未来のことも考えて行動している。」ことを褒めたが、私はパナマ人は過去に興味がないのか不思議に思った。現に、パナマ・ビエホには私しかいないようだった。
 宿への帰路にて、私は無性に甘いものが欲しくなって売店に入った。するとそこでは体全体から優しさが滲み出て来るような雰囲気の高齢の中国人男性が、妻らしき高齢の中国人女性と嫁らしき中年中国人女性と働いており、東洋人が珍しいからか私に話し掛けてくれた。私は数えるほどしか知らない北京語の単語で、彼との会話にならない会話を楽しんだ。彼は長年マイノリティーとしてパナマで暮らす間に培われたのであろう人徳を感じさせ、私は当旅行記13日目然り、旅の途中での幸運な一期一会に感謝した。
 宿へ戻ってからは売店で買ったアイスにコーラ、スプライトのような炭酸飲料とインスタント・ラーメンを飲食した。朝まで3泊も海沿いの町に滞在していたので、体がいつの間にか蓄積した塩分を糖分で中和しようとしている気がした。
※参考資料
パナマ・ビエホの歴史について
PATEL, S. S. (2013, March). City of towers. Archaeology Magazine, A publication of the Archaeological Institute of America. https://www.archaeology.org/issues/79-1303/sidebars/538-panama-city-panama-viejo-captain-henry-morgan
UNESCO World Heritage Centre. (n.d.). Archaeological site of Panama Viejo and historic district of Panama. https://whc.unesco.org/en/list/790/
UNESCO World Heritage Centre. (n.d.). Sitio arqueológico de Panamá Viejo y distrito histórico de Panamá. https://whc.unesco.org/es/list/790#



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