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舶来人形東洋見聞録(3)―回生編―

 跡取りが、数え六つになった頃――。

 西洋人形は、かつてお披露目に使われた離れの座敷に、変わらず飾られていた。
 あれからもう一人生まれ、屋敷の中はいっそう賑やかになっていた。場所は移っても、屋敷の人びとの気配を感じることはできた。

 床脇(とこわき)のガラスケースからは、庭の一角が見える。母屋からは、子どもの駆ける足音や女中たちの声が、かすかに届いた。静かな場所ではあったけれど、退屈というほどでもなかった。
 西洋人形は、決して派手ではない慎ましい東洋の日常を、眺め、聞き、感じていた。

「離れの部屋には、時々お客さんが来たり、家族でも大事なお話をしに来たりするの。別に聞くつもりはないんだけど、ここから動けないから仕方なく聞かせてもらってるわ。おかげで、この家の誰よりも情報通になっちゃった。たぶんね」

 その日、離れに大旦那様と馬丁頭が訪れた。
 二人は幼い頃からの竹馬の友らしい。けれど今は、一人が屋敷の主人で、もう一人が長く厩を預かる者である。人前では、互いにその立場を越えることはなかった。

「あら、今日は大旦那様たちが、何やら神妙な顔をしている。これから重たいお話が始まるかもしれないわ」

 西洋人形は興味津々である。馬丁頭が静かに語り始めた。

「今日は、あの者のことで、お願いがございます」

 大旦那様は、遠い記憶をたどるように庭へ目を向けた。
「あの男(ひと)がここに居(お)るようになってから、もうかれこれ十年になりますかいなぁ……。お前がよう面倒見てくれたおかげや、おおきに」

 西洋人形は、巴里からこの国へ来た。
 この国の言葉を、言葉として知っているわけではない。
 けれど、人の声に宿るものは、言葉よりも先に心へ届く。
 大旦那様と馬丁頭が語る言葉の中の記憶が、まるで目の前の出来事のように形を持ち始めた。

 青年の身におきたこと。
 青年を見守った者たちが覚えているもの。
 声にならなかった悲しみまでが、情景となって心へ流れ込んできた。
 そこから先は、西洋人形が軽口を挟めるような話ではなかった。



 明治十九年の春、一人の青年が、古都にある英学校へ入った。
 数え十七だった。
 故郷は、古都から遠く離れた山間の村である。
 家には父と母、弟と妹がおり、小さな田畑と一頭の役牛を、家族総出で守っていた。
 現金には乏しかったが、働ける者が皆で働けば、どうにか暮らしていくことはできた。
 青年は幼い頃から学問に秀で、村では神童と呼ばれていた。
 いつか法学を学び、裁判官になる。
 両親を楽にし、弟と妹にも学問をさせる。そして、いつの日か故郷へ恩を返す。
 それが青年の夢だった。
 その志は、青年一人のものではない。
 村の者たちもまた、彼の行く末に希望を託していた。村を出立するとき、村人総出で送り出した。編んだ草鞋や、梅干しや、道中の弁当を作ってくれた者もいた。

 村長の紹介を受けた大旦那様は、青年を書生として屋敷へ迎えた。
 屋敷が学費と住居、日々の暮らしを支え、青年は英学校へ通いながら、玄関番や来客の取り次ぎ、手紙や書類の清書、帳面の手伝い、役所への使いなどを務めた。
 才ある若者を後見し、世へ送り出すことは、旧家にとっても意味のあることだった。
 青年が将来、官途へ進めば、家の名誉となり、頼れる縁にもなる。
 青年は、自分に寄せられた期待を知っていた。
 だからこそ、よく学び、よく働いた。



 その年の夏、全国的にコレラが流行した。
 故郷の村でコレラの流行が深刻になると、青年を大旦那様へ紹介した村長は、連絡のつく機会に山を下り、町の電信局から屋敷へ第一報を送った。

 電報は、村内に悪病が広がっているため、何があっても青年を帰村させてはならないという短い内容であった。
 村長は電報と同じ機会に、大旦那様宛ての詳しい書状も投函した。
 数日後届いた書状には、青年の家族にも病が及んでいること、両親が青年にはまだ知らせないでほしいと願っていること、知らせれば青年が危険を顧みず帰ってくるおそれがあることが記されていた。大旦那様は両親と村長の意向を受け、青年を屋敷へ留めた。

 弟と妹が発病した後、父は青年へ手紙を書き、家の様子を確認しに来た村長へ託した。しかし村への往来が止められていたため、村長は町へ下りて投函することができず、手紙の発送は数日遅れた。
 青年のもとに父からの手紙が届いた。手紙の日付は、十日ほど前だった。

「何事ありとも帰り来ること相成らず候。」

 父の手紙には、弟と妹が病に倒れ、両親が看病していること、何があっても帰村してはならないこと、大旦那様への恩を忘れず学問に励むこと、家と田畑の証文類は青年も知っている「あの箱」に収めてあることが記されていた。

 青年が父の手紙をようやく受け取ったころ、八月末近く、家族全員が相次いで亡くなった。
 往来の再開を待って村長は再び山を下り、大旦那様へ死亡を知らせる短い電報を打った。
 電報には、父、母、弟、妹が数日前までに全員亡くなったことと、詳しい事情は追って書面で知らせる旨だけが記されていた。
 九月初めのことだった。
 大旦那様は青年を部屋へ呼んだ。

「……そこへお掛けやす。どうか、気をしっかり持って聞いておくれやす。
 つい今しがたな、山を下りて来やはった村長どのから、ようやく電信が届きましてな。……わしらがいちばん案じておりましたことが、ほんまのことになってしもた。
 村への道が塞がれてしもうて、知らせがこないに遅れてしもたんや。……どうぞ、堪忍しておくれやす。
 ご尊父さまも、ご母堂さまも、弟君も妹君も……皆、数日前に息を引き取られたそうどす。……つらいことを、言わなあかんで、すまん」

 詳しいことは、追って連絡があるということだった。
 青年は、最後まで黙って話を聞いた。

「お知らせいただき、ありがとうございました」

 一礼し、静かに部屋を出ていった。
 泣きもせず、取り乱しもしなかった。
 あまりに正しく、あまりに冷静な礼だった。

 大旦那様は、閉じられた襖を見つめたまま、青年を一人にしてはならないと感じた。

 後日、村長から詳しい報告の書簡が届いた。

 書簡には、巡査や村人から聞き取った話として、弟と妹が先に亡くなり、同じ日の午前中に母も息を引き取ったこと、父が三人を乱れのない姿に寝かせていたことが記されていた。

 巡査が人を集め、遺体を消毒したのち荷車で運び出した際、父は上がり框に座って壁にもたれ、合掌したまま荷車を見送っていたという。

 父もすでに感染しており、翌日、質素で余分なもののない静かな部屋で、亡くなっているのが見つかった。枕元には、父自身の衣類だけがきちんと畳まれていたそうだ。

 四人は村と寺の者たちによって一人ずつ荼毘に付され、遺骨もそれぞれ分けて寺に預けてあると、書簡には記されていた。



 それから数日間、青年は無口ながらも、表面上は普段どおりに暮らした。
 朝になれば起き、決められた仕事をし、時刻になれば学校へ出た。
 それでも、食事はほとんど喉を通らなかった。

 青年にとって学問は、自分一人の立身のためではなかった。

 村の人々の期待に応え、貧しい家から送り出してくれた父母に報い、弟や妹を助け、いつか家を支えるためのものであった。

 その家族を一度に失い、学びの先で報いる相手も、支えるべき家もなくなった。

 青年は学ぶ能力を失ったのではなく、学び続ける理由を失ったのである。
 やがて青年は荷物をまとめ、大旦那様へお礼の挨拶とともに告げた。

「帰ります」


「……誰もいてはらへんのに、帰って、どうしはるつもりや。
 ここにおり。今は、ここがお前さんの居場所や」

 大旦那様は引き留めた。青年自身にも、帰った後にどうするのかという考えはなかった。
 ただ、学ぶ理由を失った自分が、この屋敷の世話になり続けることはできないと思っていた。

 大旦那様が青年を留めたのは、ただ哀れに思ったからだけではなかった。
 青年は、村長の紹介を受け、村の期待ごと、この家が預かった若者である。才を見込んで引き受けながら、見込みがなくなったように見えた途端に放り出せば、村長の顔を潰し、家の名にも関わる。一度引き受けた者を、役に立たなくなったからと手放すことは、旧家の主人としてできなかった。
 それでも、体面だけなら、寝床と食事を与えておけば足りたはずだった。

 大旦那様には、東京へ出している息子がいた。我が子の無事を願うとき、目の前の青年を見捨てることだけは、してはならないように感じられた。
 理屈ではなかった。人にしたことは、どこかで巡る。お天道様は、人のすることを見ているのではないか。
 そんな畏れとも祈りともつかない思いが、大旦那様の胸の底にあった。

 さらに幾日かが過ぎた朝、青年は学校へ行く時刻になっても起きてこなかった。
 事務方に頼まれ、様子を見に来た男衆(おとこし)は、青年が寝間着のまま、布団の上で正座しているのを見つけた。
 背筋は伸びていたが、その目は何も見ていなかった。

「ほら、起きんかい」

 事情を知らない男衆は、青年を担ぎ上げた。
 青年は抵抗しなかった。
 力の抜けた身体は、されるがままに持ち上げられた。

「なんて軽いんや。もっと食わなあかんで」

 男衆が青年を廊下へ連れ出そうとしているところへ、事務方から知らせを受けた大旦那様が駆けつけた。


「あきまへん! 優しゅうしたって」

 青年は、すぐに部屋へ戻された。
 事務方は後から男衆を呼び、青年の家族に起きたことを簡潔に伝えた。そして、これからは気をつけるようにと言った。

 男衆は悪いことをしたと思った。
 けれど、今さら青年へ謝るのも照れくさく、何と声を掛ければよいのかも分からなかった。
 青年の方も、人と十分に話せる状態ではなかった。

 屋敷の者が皆、青年の苦しみを同じように理解していたわけではない。
 ある日、若い男衆たちの話し声が、廊下の向こうから聞こえた。

「何や、悲しいのは分かるけど、別に働け言うてるんやないんやろ。学校くらい行ったらええやんか」

「ほんまや。わしも行けるんやったら、代わりたいわ」

 悪意から出た言葉ではなかった。学校へ行きたくても行けなかった者には、学べる身でありながら通えない青年のことが、分からなかったのである。
 青年は、たまたまその声を聞いた。
 青年は、その言葉に傷つきもしなければ、腹も立たなかった。
 ただ、自分の居場所はどこにもないと感じていた。



 青年は、屋敷の皆に心配をかけていることを理解していた。
 理解していても、身体は言うことをきかなかった。
 学校へ行こうと立ち上がれば、腰が抜けたように歩けなくなった。足が震え、壁にもたれたまま、ぐったりと動けなくなった。
 何も考えていない時にも、涙が出た。
 書類を清書しようとして筆を持てば、手が震えた。自分の名前さえ、まともに書けなかった。

 村で神童と呼ばれ、自分は少し天狗になっていたのかもしれない。
 英学校には、各地から秀才や良家の子息たちが集まっていた。その中に入れば、自分などせいぜい中ほどだった。上には上がいた。
 分不相応な志など持たず、村に残って皆と畑を耕していればよかった。弟や妹とも、もっと遊んでやればよかった。
 そんな後悔を繰り返すうちに、やがて涙すら出なくなった。
 吐き出すものなど何もないのに、喉の奥から何かがこみ上げてくるようで苦しかった。
 家族が帰ってこないことも、過去へ戻れないことも分かっていた。
 それでも、家族のいない明日へ向かおうとすると、足は一歩も前へ出なかった。



 部屋にこもりがちになり、数日たったある夜。
 青年は眠れず、布団で仰向けのまま、すだれで月明かりすら届かない暗闇の中、ぼうっとしていた。

 すると部屋の外でなにかの気配がする。
 襖が、音もなく開いた。
 真っ暗な部屋に何者かが入ってくる。ゆっくり畳を擦る微かな音が近づいてくる。

 自分のことなど、もうどうでもよかった。たとえそれが物の怪の類であっても、恐怖は湧かなかった。そのまま目を閉じた。
 その気配が、青年の枕元で止まった。ゆっくりと異様なほど顔へ近づいた。
 青年は目を閉じたまま、息を潜めた。
 何者かが、青年の口元近くへ身を屈めているようだった。青年はその姿を見てはいなかった。

 しばらくすると何者かがすうっと部屋を出ていく気配が分かった。






 その数日前のことである。

 大旦那様は何人かの男衆を集め、夜の間、青年の部屋の近くで過ごしてくれる者はいないかと募った。寝ているときでさえ、息をしているのかすら心配していた。
 屋敷には、幼い弟妹や我が子、甥や姪を病で亡くしたことのある者もいた。自分たちも一人を失っただけで長く立ち直れなかったのだから、郷に残った家族を一度に失った青年の悲しみは、どれほどのものだろうと思う者がいた。
 一方で、言われた役目だけを淡々と果たす者もいれば、いつまで休ませておくのだろうと内心で思う者もいた。
 屋敷の者たちの心は一つではなかった。それでも、今は一人にしてはならないという大旦那様の命に、異を唱える者はいなかった。

 青年を担いだ男衆が、自ら買って出た。
 それは特別な夜番ではなかった。
 男衆は日中、いつもどおり働いた。夜になると、大部屋の寝床から自分の布団を運び、青年の部屋前の廊下へ敷いた。
 書生部屋と使用人部屋は、母屋とは別棟にあった。
 書生には狭いながらも一人部屋が与えられ、住み込みの男衆は大部屋で雑魚寝していた。
 寝る場所が大部屋から廊下へ変わるだけなら、大げさな役目でもない。
 男衆はそう思っていた。

 青年の部屋の出入り口を塞がない位置へ布団を敷くと、炊事場のばあさまが、夜食の握り飯を持たせてくれた。
 ばあさまは、次からは食堂に取りに来るように言った。
「むしろご褒美やな」と男衆は思った。

 深夜、一度部屋の様子を確認することになっていた。大旦那様は特に早まったことをしないか危惧していた。男衆も、弟のような年頃の若者が、まるで木石(ぼくせき)のごとく動かない姿が心配であった。

 起こさないよう気をつけて、ただ寝息を確かめるのである。
 男衆は呼吸を確かめると、行儀よく布団に収まっているときは、それ以上何もせず、静かに部屋を出た。
 男衆は毎朝、青年が眠っていたか、食事や水に手をつけたか、夜の間に変わったことはなかったかを事務方へ報告した。必要なことは、事務方から大旦那様へ伝えられた。

 大旦那様は、青年を励ますようには命じなかった。ただ一人にせず、何かあればすぐ知らせるようにと言った。
 誰も青年へ、学問へ戻れとも、家族のために生きろとも言わなかった。
 その時の屋敷にできたのは、それだけだった。



 夜番が始まって幾日か過ぎた、あの深夜──。

 何かが出ていったあとも眠ることのできない青年は、しばらくして厠へ行こうと襖を開けた。
 薄暗い廊下の端に、男衆が眠っていた。
 出入り口を塞がないよう、少し離れた場所に布団を敷いていた。
 男衆は青年より遅く眠り、青年より早く起きていた。そのため青年は、これまで男衆が毎夜そこにいることを知らなかった。
 勝手に廊下で寝ているはずはない。男衆は、役目として自分を見守っている。
 青年は、その事実を理解した。しかし、それ以上何も感じなかった。
 ただ、自分が眠っている間も、誰かがそこにいたという事実だけが残った。

 ──青年は、見守りが始まったばかりの残暑の頃、掛けずに眠ったはずの布団が、朝にはきちんと掛けられていたことを思い出した。



 見守りは、およそ三か月続いた。
 訃報から数週間が過ぎても青年は完全には回復していなかったので、屋敷の者たちは学校や書生としての仕事へ無理に戻そうとはしなかった。
 まず、人と顔を合わせずに済む人気(ひとけ)のない場所の掃除を任せた。蔵の外周や、塀の内側沿いの草むしりなど、青年は短い時間から、自分にできる小さな用事を少しずつ始めた。

 やがて季節が移ろったある日、青年が落ち葉をかき集めているところを、馬丁頭が見かけた。
 男衆にしては身なりがこぎれいで、表情には生気がなかった。声を掛けても多くを話さず、今は決まった仕事を持たず、できることだけをさせてもらっているという。
 それなら、厩の仕事を少し手伝わせてみてもよいのではないか。
 馬丁頭は、そう考えた。

 翌日、馬丁頭は事務方に事情を聞いて、厩の手伝いを無理のない程度にさせてみることにした。
 厩の手伝いが始まった。青年の実家には役牛がいた。馬の扱いに詳しかったわけではないが、大きな家畜を恐れなかった。
 餌と水を欠かしてはならないこと。
 食欲や息遣いをよく見ること。
 力ずくで動物を従わせてはならないこと。
 家畜と暮らす者が身につけている基本を、青年は知っていた。

 馬丁頭は、青年の仕事をしばらく黙って見ていた。
「馬のことは、まだ何も知らんみたいやな。けど、お前は獣の世話の仕方は知っとるの」

 馬にとって、青年がどこの家の者であるかも、何を学んでいたかも、何の意味もなかった。
 青年が水桶を運べば水を飲み、飼葉を入れれば首を下げた。手が止まると、馬は桶の中を探るように鼻先を動かし、やがて青年のほうへ顔を向けた。
 その眼は、慰めるようでも、励ますようでもなかった。ただ、次に与えられる水や飼葉を待っていた。

 青年が動かなければ、この馬は水を飲めない。飼葉も食べられず、汚れた寝藁もそのままになる。

 それは、家族を救えなかった青年にも、今すぐできることだった。

 水を汲み、飼葉を運び、寝藁を替える。減った桶を満たせば、馬はまた静かに口をつけた。

 馬は青年の過去を尋ねず、家族のために生きろとも言わなかった。ただ、飼葉と水と手入れを必要とした。

 青年は馬のそばにいる間、過去に取り残された者ではなく、ただ目の前のことに心を向けていられた。

 ある日、青年は初めて、自分から馬丁頭へ尋ねた。

「この馬は、何という名ですか」


 ──馬の世話は、青年の傷を消したのではない。

 傷を抱えたまま、一日ずつ生きる助けになった。

 翌朝も青年は厩へ行った。その次の日も、同じように馬の名を呼んだ。

 立て直していこうと心に決めたわけではない。ただ、昨日できたことを、今日も一つずつ繰り返した。


 十二月初めのある夜、青年は部屋の襖を開け放ち、男衆が来るのを待った。
 冷たい空気が、狭い部屋へ流れ込んでいた。
 男衆が布団を抱えて現れると、青年は頭を下げた。

「今まで廊下で、こんなに寒い中面倒見てくれてありがとうございます。もう、大丈夫ですから。申し訳ありませんでした」

「なんや、知ってたん? まあ、布団持ってきたし今日はここで寝るわ。元気になってくれたんなら嬉しいけど大丈夫か?」

 青年は、以前の自分へ戻ったわけではなかった。
 深く沈んでいたところから、ようやく少し浮かび上がったにすぎない。
 それでも男衆は、青年の顔にほんの少し明るさが戻ったことを確かめ、安心した。
 その夜までは廊下で眠り、翌日から元の大部屋へ戻った。



 ゆっくり時間をかけて、周囲は静かに見守ってくれていた。
 周囲の気遣いに気づけるようになると、青年は、ありがたいと思う一方で、自分のために手間と心配を掛けていることを申し訳なく思った。
 食事を運んでもらうことも、仕事を減らしてもらうことも、夜ごと誰かが廊下で見守ってくれていたことも、すべてが胸に重かった。

 何かを返したくても、まだ十分には働けない。その負い目から、青年は自分を急かすこともあった。
 けれど馬の世話だけは、無理に以前の自分へ戻ろうとしなくても、今できることを積み重ねられた。水を運び、飼葉を与え、寝藁を替える。青年はそこで初めて、世話を受ける側ではなく、目の前の命へ与える側でいられた。
 そうして厩へ通う日が重なるうちに、青年は少しずつ、書物へ目を戻せるようになった。

 大旦那様は、青年へ学問に戻ることを急がせなかった。
 ただ、いつかこの屋敷を離れることになっても、自分の力で暮らしていけるように、せめて学校での学業だけはひととおり終えさせたいと考えていた。裁判官になるという当初の志に、何としても戻させたいわけではなかった。
 大旦那様がその考えを伝えると、青年は、出られる日にだけ学校へ出るようになった。
 学校へ行けない日には屋敷で書物を読み、書生としてできる仕事をしながら、厩の手伝いを続けた。

 学校へ再び通えるようになってから、青年は馬丁頭の下で、厩の記録にも少しずつ関わり始めた。
 飼料をいつ、どれほど仕入れたか。
 どの馬がよく食べ、どの馬が疲れているか。
 獣医を呼んだ日と、診察料や薬代。
 蹄鉄や馬具、車具を修繕した日。
 馬車を使った日と、その行き先。
 初めは馬丁頭の話を聞き、青年が帳面へ記すだけだった。
 やがて青年自身が、何を残しておけば後から役に立つのかを考えるようになった。



 古都へ来た翌年の明治二十年三月、青年は一度、故郷へ戻った。

 大旦那様は事務方に遺族としての手続きや、住んでいない家や土地に関する書類などを調べさせ、馬丁頭を青年へ同行させた。

 村は残っていた。
 だが、去年の春に青年を送り出した時と同じ村ではなかった。
 病に倒れた者、隔てられた者、村を離れた者。残った者たちも、それぞれに失ったものを抱えていた。

 かつて暮らした家の前に来た。
 昨年の夏から伸びていたのであろう枯れ草の間から、春の訪れとともに新しい緑が顔を出していた。
 人が住まなくなると、家というものは、わずかな間にこれほど荒れてしまうのか。
 青年は建て付けの悪くなった入口の引き戸を開けた。
 家族の誰かが奥から顔を出すかもしれない。そんなことはあり得ないと分かっているのに、まだ心のどこかで期待していた。

 青年は敷居で足を止めることもなく、かつて毎日そうしていたように、そのまま家の中へ入った。

「一度、風を通さなあかんな」
 後ろにいた馬丁頭は、すぐには青年に続かなかった。
 入口で家の中へ向かって静かに手を合わせ、一礼してから、敷居をまたいだ。

 馬丁頭が開けられる小窓や戸を開けて回る間に、青年は納戸へ入った。そこに置かれていた長持ちを足場にして天井裏へ手を伸ばし、油紙で何重にも包まれた桐の小箱を取り出した。
 箱には、わずかな現金と、家や土地に関わる証文、先祖から残された古い記録が収められていた。青年はそこに、自分が受け継ぐ家の歴史を垣間見た。
 空いた家と土地については、古都を発つ前に、事務方からいくつかの方法を教えられていた。
 村長らと家や土地について必要な話をしたのち、青年は家族の遺骨を預かる寺へ行き、本堂で家族がどのように弔われたのかを聞いた。

 住職は白い布に包まれた家族の骨箱を持ってきてくれた。
 父が、母と子どもたちの姿を整え、父もまたきれいな姿だったということ。箱を開けると、一人ひとりの生きた証(あかし)が、白いお骨として収まっていた。
 住職は、その場で納骨のための短いお経をあげた。馬丁頭も見守る中、青年の親族が誰もいない静かな本堂に、木魚の音と住職の読経が響いた。寺にお布施をし、家の墓に埋葬してもらった。

 家と小さな土地は、すぐには売らなかった。
 家跡を農具や薪を置く場所として使いたいという村人がいたので、家賃を受け取らない代わりに、地租と寺への務めを引き受けてもらうことになった。細かな手続きについては、屋敷の事務方が後から力を貸した。

 馬丁頭は道中、青年を一人にしなかった。
 何かを言って慰めようとはせず、ただそばにいて、古都の屋敷まで連れ帰った。

 帰る家も、待つ家族もなくなった青年の姿を間近で見たことが、馬丁頭の胸に深く残った。
 その帰村を境に、馬丁頭夫婦は青年を実の息子のように思うようになった。
 養子に迎えることも考えたが、馬丁頭の家にはすでに跡取りがいた。
 青年に故郷の家と名を捨てさせてまで、別の家の末に連ならせることを、夫婦は望まなかった。



 それからも青年は、学校へ通いながら、書生仕事と厩の手伝いを続けた。
 若奥様がこの屋敷へ嫁ぎ、西洋人形が運び込まれた頃、青年は数え十九だった。
 この屋敷では、若奥様や、行儀見習いとして預かっている嫁入り前の娘たちに、若い男の奉公人とのいらぬ噂を立てさせぬよう、奥向きに仕える者と、表や外回りで働く男衆の動線を分けていた。
 そのため青年は、同じ屋敷にいながら、若奥様の姿を婚礼の日や新年の挨拶の折に遠くから見かけたことがあるだけで、直接言葉を交わしたことはなかった。



 明治二十五年頃、青年は学校での学業をひととおり修めた。
 家族を失ったことで長い足踏みを余儀なくされ、初めに思い描いたとおりの道ではなかった。それでも、遠回りをしながら、学ぶべきことを、ひとつずつ身につけていった。

 その頃のある夕方、青年は大旦那様と若旦那の前へ呼ばれた。
 机の上には、学校を修了した証明書類と、厩から事務方へ提出した帳面が並べられていた。

「よう、最後まで励みはったな。結構なことや」

 大旦那様は、それ以上のことを長くは言わなかった。
 屋敷は青年へ、これまで学んだことを生かせる道を示した。
 このまま屋敷の事務方へ入ることもできる。望むなら、付き合いのある者を通じ、古都か近隣の役場で書記として働く口を探してもよいと、若旦那は話した。
「お前やったら、どちらへ進んでも務まると思う」

 青年は、すぐには答えなかった。
 どちらも、身寄りのない青年が自分の力で暮らしていくための、堅実な道だった。長年世話になった屋敷も、青年をこの先まで抱えておこうとしているのではなく、一人で立てる場所へ送り出そうとしていた。


 開け放たれた障子の向こうから、馬のいななく声がかすかに聞こえた。

 青年は机の上に置かれた厩の帳面へ目を落とした。
 そこには、青年がこれまで記してきた、馬と厩の日々が並んでいた。
 初めは、馬丁頭が話すことを記すだけだった。
 今では、何を残しておけば後から役に立つのかを青年自身が考え、事務方が見ても分かるように書き直していた。

「事務方でもな、お前の帳面はほんまに助かってんのや」
 若旦那が言った。
「厩へ置いとくには惜しい、言う者もおるくらいやさかいな」

 青年はしばらく黙っていた。

「ありがたいお話です」
 そう答えてから、もう一度、厩の帳面を見た。
「私は、厩に残りとうございます」

 大旦那様は、理由を尋ねなかった。
「厩の者として、か」

「はい」

 馬を見る経験では、青年はまだ馬丁頭に及ばない。けれど厩を支えるには、馬の世話だけでなく、帳簿や経費の管理、獣医や業者とのやり取り、事務方への報告も必要だった。
 青年は、自分がそこで役に立てることを知っていた。
 何より、馬と現場の仕事を好んでいた。

「よそへ出て身を立てる道もある。それもよう分かったうえで、なお、ここへ残ると決めたのやな」
 大旦那様が尋ねた。


「はい。学ばせていただいたことを、ここで使いたいと思っております」

 青年は、ほかに道がなかったため、仕方なく馬丁になるのではなかった。
 屋敷の外で身を立てる道もあると知った上で、馬のそばに残ることを、自分で選んだのである。



 青年は、正式に馬丁となってからも、学んだことを厩の仕事に生かした。
 馬丁頭が馬を見る。
 青年は、馬と数字の両方を見た。
 馬の体調や飼料、馬具や馬車に関わる出来事を帳面に残し、事務方にも分かるように整えた。
 近隣の家から馬や馬車の手配を頼まれた時には、屋敷の予定や馬の疲れ、人手を確かめ、馬丁頭や事務方と相談しながら調整した。
 馬丁頭の経験と青年の記録は、いつしか厩を支える二つの力となった。青年がいなくなれば、馬丁頭だけでなく、屋敷の事務方も困るようになっていた。
 青年が馬の世話だけでなく、厩の記録や費用の取りまとめまで担っていることを知る者は多くなかった。
 大旦那様や若旦那、馬丁頭、事務方の上役、獣医や出入りの業者は、その仕事を理解していた。一方、若い奉公人や下働きの目には、厩で馬を世話する一人の馬丁にすぎなかった。

「しんどなったら、いつでも事務方へおいでや」
 若旦那は、時折そう声を掛けた。

 青年はそのたびに礼を言い、馬のそばに残った。

 学業を修めてから一年ほどが過ぎた頃、青年は少しずつ貯めた給金で、屋敷から歩いて通えるところに小さな部屋を借りた。仕事はこれまでどおり厩へ通いながら、暮らしの上では自分の足で立とうとしたのである。

 部屋は一人で寝起きするには足りたが、所帯を持てるほどの広さはなかった。



 青年が数え二十五になった頃、仲介する者から一度、縁談の話があった。
 相手は、遠くない村に住む娘だった。
 仲介する者は、正式に話を持ち込む前に、まず娘の母親へ内々に青年のことを伝えていた。
 青年は学校での学業をひととおり終え、古都の旧家へ長く勤めている。人柄も仕事ぶりも確かで、今では厩の実務を任されている。ただ、両親も親族もなく、縁談の後ろ盾となる家がないことも隠さずに話した。
 母親はその場では断らず、父親にも話してみると答えた。

 まだ正式な縁談になったわけではなかった。
 それでも、仲介する者から話を聞いた馬丁頭夫婦は、娘を迎えることになったなら、どの部屋を使わせようかと、ひそかに話すことがあった。 それは、青年が夫婦で暮らせる住まいを整えるまでの、仮住まいとしてであった。

 青年は、何も期待していないように振る舞っていた。
 それでも、返事が届く頃になると、朝から何度か厩の入口へ目を向けていた。

 やがて、娘の父親から断りの返事が届いた。
 青年の人柄や仕事に問題があるわけではない。けれど、親も親族もいない男へ、娘を任せることはできないということだった。
 その日の午後、馬丁頭は事務方の部屋へ呼ばれ、仲介する者から届いた返事を聞いた。
 厩へ戻ってきた馬丁頭は、しばらく青年へ声を掛けなかった。

 青年は馬具の手入れを続けていた。

「話は、なくなった」
 やがて馬丁頭が言った。

 青年の手が、ほんの一瞬だけ止まった。
「そうですか」

「お前の人柄や仕事に、何ぞ問題があったいうことやない」
 馬丁頭は、かえって言葉を続けにくそうにした。
「向こうさんも、娘御の先々を考えてのことや。親も親族もおらん男へは、娘を任せられんと……」

 青年は、磨いていた馬具へ再び目を落とした。
「無理のないことです」

 それだけ言い、手を動かし始めた。
 革を拭く布が、同じ場所を何度も往復していた。

 馬丁頭は、もう何も言えなかった。
 先方にも、娘の先々を案じる事情があった。
 誰かが悪かったわけではない。
 ──その日を境に、青年は自分の縁談について口にしなくなった。



 流れ込んでいた情景が、ゆっくりと遠ざかっていく。
 西洋人形は離れの座敷で、遠い過去からの記憶の情景を感じていた。

 最後に残ったのは、厩の薄暗がりで、同じ場所を何度も磨き続ける青年の手だった。

 気がつけば、大旦那様と馬丁頭の話は、現在へ戻っていた。
 馬丁頭は、青年を息子のように思っていることを話した。
 けれど、親代わりではあっても正式な親ではない。家同士の縁を結ぶ後ろ盾にはなれなかった。

 馬丁頭は頭を下げた。
「旦那様も、あれのことは気に掛けてくださっていると思います」

 馬丁頭は、しばらく伏せていた目を上げた。
「仕事のことなら、もう心配はございません。馬のことも帳面のことも、今ではあれがおらんと厩も事務方も困ります」
「せやけど、所帯を持つ話になりますと、わしら夫婦がどれほど息子のように思うていても、それだけでは足らんのです」

 馬丁頭は、静かに畳へ手をついた。
「親も親族もおらん男へ娘御を託すのは難しい。家と家との縁やさかい、それも無理のないことやと思います」
「それでも、身寄りがないというだけで、あれ本人を見てもらうところへも進めんままでは……あまりに不憫で」
「無理に話をまとめていただきたいのやありません。ただ、あれの身の上も今の仕事も承知したうえで、一度会うてみようと言うてくださる方を探すのに、お力を貸していただけませんやろか」

 大旦那様は、馬丁頭の下げた頭をしばらく見つめていた。
「顔を上げよし。言われんでも、わしも気にはかけておった」

 庭の向こうから、跡取りの笑う声が聞こえる。

「仕事の先は見えてもな、ひとりで帰る先があらしまへんままでは、あかん」
 大旦那様は静かに頷いた。
「よろし」

 しばしの沈黙ののち、わずかに声を落として続けた。
「……わしも、探そう」

 青年はまだ、自分を案じる者たちの話を知らなかった。

 西洋人形は、庭の向こうから聞こえる跡取りの笑い声に耳を澄ませていた。


▷ 次話:舶来人形東洋見聞録(4)―精華編―



あとがき

 昨年、「戸籍証明書等の広域交付制度」というものを知り、自分のルーツに興味があったことから、両親それぞれの先祖を辿れるところまで、戸籍の写しを取り寄せたことがあります。

 明治からの戸籍は現在のものとは違い、家単位で記されており、戸主を中心に、その親や子、兄弟、孫、さらには除籍された叔父や叔母まで、信じられないほど多くの情報が残されていました。戸主の親の欄には、江戸時代に生まれた父親の名が記されていることもあり、紙の上で明治からさらにその前の時代へと繋がっていくような、不思議な感覚を覚えました。

 何代か前の祖父には大勢の兄弟がいましたが、そのほとんどが一、二歳で夭折し、成人まで生きたのは二人だけだったことも分かりました。

 七五三が祝い事として受け継がれてきたほど、子どもが無事に成長することは、決して当たり前ではなかった時代なのだと思います。

 現在とは価値観も暮らしも異なる時代に、それでも懸命に生きた人々の姿を想像しながら、この物語を綴りました。



全4話 収録マガジン



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