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舶来人形東洋見聞録(1)―巴里編―

あらすじ
明治の旧家に飾られた、巴里生まれの西洋人形。ものを言えぬその眼が見つめたのは、救われた一人の少女と、救われなかった娘たちの物語だった。

不作の村から、年頃の娘たちが良い奉公先へ上がるのだと信じて発っていく。誰も、その先に待つものを知らなかった。裸足の子守娘も、同じ列にいるはずだった——屋敷の奥方が、その姿を心に留めていなければ。少女だけが救われ、屋敷で静かに育っていく。やがて訪れる、一つの縁。家族を病で奪われ、命のそばで生き直そうとする、年上の青年との出会い。時代にも定めにも抗えぬ人々が、格式という枠の奥で、それでも情を尽くしていく。やさしい世界の話ではない。残酷な世界の中で、人が必死にやさしくあろうとした物語である。人形の眼を通して、この国の飾らぬ美しさが、静かに立ち上がる。

明治二十年。ある関西の豪商の家で、両家の親同士ではすでに話がまとまっていた娘の縁談について、両親と跡取りの長男が話し合っていた。


 母が言った。
「お相手の家とは釣り合いも同じくらいやと思うんやけど、なんせ伝統があるところやから。なんや、うちらのこと成金みたいに思ってるんちゃうやろか」

「あっちの大旦那は気のええやっちゃ。うちも格式あるんやし、なんも卑屈になることあらへんわ」

 父はそう言ってから、少し考えるように続けた。

「まあ、うちが手広くやってるんが、あちらさんからしたら、まだ品がないように見えるんかもしれへんけどな。時代は変わってきとるのにな」

 母が言葉を継いだ。
「嫁入り道具かて最高級品を揃えるけど、あちらさんからしたら何も珍しくないやろし。なにか、うちら らしい、ええ調度品でもないやろか」

 そこで兄が口を開いた。

「舶来品なんかどうやろ。あちらさんは日本一のもんは見慣れとるけど、西洋のものはまだ珍しいやろし」

 父が応じた。
「せやな……家具とかがええか?」


 兄がかぶりを振った。
「いや、東京の洋館を見に行ったことあるけど、西洋の設(しつら)えは家の造りも考えなあかんし。…置物はどやろか」

 兄は、ふと思いついたように顔を上げた。
「そうや。西洋人に生き写しの人形はどうやろ」

 父が身を乗り出した。
「おお、ええな。西洋人は珍しい顔しとるしな。わしも見てみたいわ」

 兄は、東京で見た光景を思い返すように言った。
「洋館に、ちっさい女の子の西洋人形が置いてあったわ。金色の髪で、青いぎやまんの目ぇが入っとった」

 父が、ぽろりと漏らした。
「大人の婦人のがええのお」

「ん?」
と、母が父を睨んだ。

 父は何事もなかったように話を戻した。
「どこで売ってるやろ。神戸にあるか?」

 兄が答えた。
「いや、ちっさいのならあるかもしれへんけど、嫁入り道具やったら、どーんとしたやつがええやろ。あれはただの飾りやのうて、もはや芸術品やからな」

 父が腕を組んだ。
「どうやって仕入れるか、やな」

 兄は、待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「なら、僕がパリに買いに行きます。かわいい妹のためやん。行ってくるわ」


 両親は、突然の申し出に一瞬ぽかんとした。
しかし、兄が以前から西洋文学や芸術に傾倒していることを知っていたため、それが気まぐれな思いつきではないとすぐに悟った。

 父は、これからの家業を考えても、跡取りが洋行することには意義があると納得した。

母はもちろん心配した。
「あんたが行かんでも、目利きを遣わしたらいいやん」


 父は、首を横に振った。
「いや、跡取りが西洋を知ることは、我が家にとっても意義がある。金のことは気にせんでええから、一番安全な便で行ったらええわ。ちょっと元締めに言うて、あの先生を呼んできてもろうて」

 

 娘の知らないところで、さまざまな手続きが滞りなく進んでいった。


 



 兄は、初めてのパリ行きに胸を高鳴らせていた。
水都とも呼ばれる街で育った彼は、船旅に何の不安も抱いていなかった。

 ところが、外洋の揺れはまるで次元が違った。

 胃袋が浮き上がるような壮絶な船酔いから、逃げる場所はどこにもない。南シナ海では蒸し暑さに苦しめられ、インド洋では、荒馬に跨ったまま突き上げられては振り落とされそうになるような、終わりのない縦揺れに翻弄された。

「なんでこんな思いをしてまで、パリに行くんやったっけ……」

 後悔しながら数日を耐え、ようやく慣れてきたかもしれないと思った矢先、スエズ運河の強烈な暑さと乾燥が、弱った身体に追い打ちをかけた。

 まともな食事も取れず、コンソメスープと水だけで過ごしたため、出発時に着ていた誂えものの背広は、すっかりぶかぶかになっていた。

 ようやく港へ到着したと安心したのも束の間、今度は陸酔いに見舞われ、さらに数日苦しむことになった。

 




 パリの高級人形店に、東洋人の客が二人やって来た。

一人は、現地に長く滞在している中年の日本人美術商。
もう一人は、妹の婚礼調度品として西洋人形を買い求めに来た青年だった。

 店の奥から、西洋人形は珍しい客を眺めていた。
とりわけ高級な人形は日差しを避けるため、奥まった棚に陳列されていたのである。

「あら、珍しい。若いジャポネだわ。ふうん、初めて見たけど、なかなか かわいい顔してるじゃないの」


 青年は、美術商を通じて店主に尋ねた。

「この店で一番高級で、最先端の流行をまとった人形はどれですか」

 店主は、最高級品の並ぶ棚から一体を選び、真紅のドレスをまとった人形を見せた。

「こちらの棚は、どれも最高級で最先端の人形です。中でも、私はこちらをお勧めします。結婚祝いでしたら、やはりこの華やかな赤でしょう。パリでも一番の売れ筋ですよ」

 青年は、その人形をじっくりと眺めた。

 美しい顔。繊細な装飾を施した帽子。きれいに整えられた巻き毛。そして、鮮やかな真紅のドレス。日本人の目にも、いかにもめでたく、晴れやかに映る人形だった。

 それでも青年の目は、並んだ人形の中の一体に引き寄せられていた。
特別目立つわけではない。だが、なぜか気になる。

 玉虫色に光るショットシルク ──シャンジャント・タフタ── のドレスをまとった人形だった。

「こちらがいい。きっと、この人形のほうが妹は喜ぶ」

「お目が高い。そちらも、とても素晴らしい人形です」

 青年は、さらに尋ねた。

「西洋の婦人は、婚礼のとき、どのような装身具を身に着けるのですか?」

「ウェディングドレスでしたら、このオレンジの花の冠と、長いベールを身に着けますね」

「ほう。このオレンジの冠は、色味が合わないな。けれど、このベールは美しい。これを帽子に付けたらいいのか」

 青年は、象牙色の長いベールを人形にあてがってみた。

 西洋人形は仰天した。

「キャー! なんてことするの? こんなのを付けて舞踏会に行くマダムなんて、いないわよ!」


 美術商も困った顔をした。店主は慌てて説明した。

「ノンノン!このドレスは、夜の舞踏会で大人の貴婦人がまとうものです。純潔の象徴であるウェディングベールを合わせるなんて、パリの人間が見たら驚きますよ。婚礼の品としてお選びになるのでしたら、こちらの白いドレスの人形はいかがですか?」


 しかし、青年は譲らなかった。

「この人形でなくてはならない。透ける象牙色のベールが華やかで、よく似合っているじゃないか」



 西洋のドレスコードを熟知した店主は、最初こそ、「なんと非常識な!」と驚いた。

 だが、ふと考えた。

「いや、東洋人から見たら、この装いこそトレビアンなのか」

 芸術家らしい妙な納得が、胸に落ちた。

「世界のファッションは日進月歩。固定観念を打ち破ってこそ、また新しいファッションが生まれるのかもしれない。いつの日か、マダムが短髪にする流行が来るかもしれない。マドモアゼルがパンタロンを穿くようになるのかもしれない……トレビアン!」



 こうして、西洋人形は青年の手に渡った。

    



 パリの日本美術商の店へ運ばれた西洋人形を、店を手伝っていた日本人留学生が梱包しようとしていた。
その手をふと止めて、ひとりが青年に声をかけた。

「すいません、少しだけ、少しだけ時間ください。写生したいんです。婦人を描きたくても、本物の女性をじろじろ見てられませんし」

 洋画留学生たちは、許可を得るとすぐさま人形を取り囲んだ。


 西洋人形は、異国の男たちに真剣な眼差しを向けられ、得意げになっていた。

「あたしを描けるなんてあなた達、本当に運がいいわね。あたしこそパリの花、そのものなんだから」


 彼らは、凄まじい速さで、迷いのない線で、西洋人形の輪郭、ドレスのひだなどを紙に写していった。

 それから、長い船旅に耐えられるよう、西洋人形は手際よく丁寧に梱包されていった。

 青年は、異国で学ぶ同世代の日本人たちが、実際にどのような暮らしをしているのか知りたかった。

 作業が一段落したころ、留学生に尋ねた。

「僕はルソーやジュール・ヴェルヌを読んで、深く感銘を受けています。フランス文学や芸術に触れたいと思い、妹の嫁入り道具を買いに行くという口実で、ここまでやって来ました。パリでの生活は、どうですか?」

 青年は彼らから、夢や理想だけでは語れない、異国で暮らす現実を聞いた。

 西洋人形もまた、彼らの語らいに心を傾けていた。

青年の実家が武家筋の豪商であること。
跡取りとして人生を決められていることに、不満を抱いていたこと。
ルソーの自由や権利の思想、ジュール・ヴェルヌの冒険譚に憧れていたこと。

 言葉だけではない。その言葉に結びついた記憶や情景まで、西洋人形には感じ取ることができた。

 話の途中、留学生が尋ねた。

「妹さん、おいくつですか? えっ、まだ十六? 婚儀は、女学校を卒業する来年ですか。まあ、適齢期なのでしょうね」

 男たちの間に、しばし沈黙が落ちた。

 やがて留学生が、にやりと笑った。

「若旦那さんはどうなんですか? もしかして、すでに許婚とかいらっしゃるんですか?」


 西洋人形は、興味津々に食いついた。

「え? 聞きたーい!」


 青年は、少し遠い目をして答えた。

「まだおらへんよ。どうせ親が決めてくるやろうし……。好いた女がおったとして、親が気に入らへんだら許されへんし、結婚できたとしても、嫁さんが不幸になるやろうしな」

 西洋人形は、その言葉の奥を探った。

「誰か気になる人がいたの? でも、諦めたの?」


 外がすっかり暗くなるまで、異郷の地で出会った同郷の若者たちは、新しい時代について語り合った。

「今日は、ほんまにありがとうございます。あの、よかったら日本語訳の本、いかがですか? こちらでは手に入らないでしょうし。船旅は退屈やろと思うて、いくつか持ってきたんですけど、それどころやなかったです。こちらでフランス語の原書を買うたんで、少しずつ読んでみますわ」

 青年は、ジュール・ヴェルヌの日本語訳の本を差し出した。

 留学生はその物語のあらすじ程度しか知らなかったらしく、表情がぱっと明るくなった。

「いいんですか? 嬉しいです。絵のことばかり考えているから、たまには文学にも触れたら、作品の肥やしになるかもしれませんね」

      

 留学生たちの苦労を聞いた青年は、率直に言った。

「自分は、安全な場所でぬくぬくと文学かぶれを気取っとったけど、自分がいかに甘ちゃんか、思い知りました。まずは、自分の立場を全うしていこうと思います。皆さんほどの情熱には及ばへんかもしれませんが、僕も芸術を愛してます。国に帰ったら、自分なりに芸術や文化を守っていけるようにがんばりますわ」

 留学への憧れも、実家への反発も、少しずつ別の形へと昇華されていた。

 青年は、留学生たちとの出会いによって、胸の内でもつれていた感情にひとつの区切りをつけた。そして帰国後の自分に、ようやく希望を見いだしかけたところで ──



「あ、またあの船に乗るんか……」


 思い出しただけで、喉の奥に何かがこみ上げてきた。




 西洋人形は、彼らの会話に結びついた記憶を感じ取っていた。

 東洋の景色。東洋の文化。東洋人が西洋文化に抱く憧れ。

 異なる文化のすべてが、彼女には興味深かった。

 しかし、何よりも驚いたのは、かわいい顔をしたジャポネが、実は二十三歳の大人だということだった。




 二重の木箱に収められ、西洋人形はジャポネとともに日本へ向かった。

 長い航路を無事に終え、船が港に着くと、西洋人形はジャポネの生家へと運ばれた。屋敷の者たちが慎重に木箱を開いた。

 そこは、今までに見たことのない室内だった。

 白木の木目が美しい低い天井。格子状の枠に紙を貼ったような仕切り。その上には、エキゾチックな木彫りの透かし模様 ──のちに欄間と知るもの── が、仕切りごとに設けられていた。

 室内では誰も靴を履いていない。先が牛の蹄のように二つに割れた靴下で、皆が歩いている。

「この人たち、部屋に上がるたび、いちいち靴を脱ぐの?」

 

 兄がパリ行きを願い出てから、すでに半年近くが過ぎていた。

 やがて、その妹が姿を現した。

「あら、兄妹だけあって似てるわね。顔のパーツも整っているし、まあまあ及第点ね」



 妹は結納も滞りなく済ませ、嫁ぐ覚悟をすでに定めたような、落ち着いた佇まいをしていた。

 兄は、成長した妹の様子に少し寂しさを覚えたらしい。照れ隠しのように、茶化して言った。

「しばらく会えへんかったけど、ちょっと見ん間になあ……。もう子ども扱いできへんな。あんなにちっちゃかったのに」

 父は、船旅で再び痩せた息子を見て笑った。

「代わりに、お前がちっちゃくなってもうたのう」

 周囲から笑い声が上がった。

 しばらくして、家族で西洋人形を眺めていると、使用人が祝言当日の段取りを一通り記した書付を持ってきた。

 その中に、婚家の伝統に従い、当日のみお歯黒(おはぐろ)を施す、と記されていた。

 妹は女学校で先進的な教育を受けており、それが十年以上前からすでに廃れた風習であることも知っていた。

 妹の顔が、一瞬こわばった。

 けれど、すぐに平静を装った。


「何か、不本意なことでもあったのかしら?」

 西洋人形はそう思った。


 母は、少し困惑した表情を浮かべた。

「今どき、まだこんな事しはるの?」


「由緒ある家やから、急にはやめられへんのやろ」

 父はそう言い、さらに娘へ向き直った。

「なあ。お前が大奥様になったら、次からやめたらいいんや」


 母は、少し不満げに父へ言った。

「この子がやるには変わらんのやから、そんな事言わんといてください」

 父は娘に言った。

「まあ、母様もやったんやし。辛抱しいや」

 その隣で、兄が父に同意を求めるように言った。

「うちは、嫁さんにはさせへんでな?」

 話が広がりそうになるのを察し、母が少し厳しい口調でたしなめた。

「ここで、そんな事言わんとき」


 誰も、本人の気持ちをあえて尋ねなかった。

 ただ、「しゃーない」という空気だけが、その場に漂っていた。


▷ 次話:舶来人形東洋見聞録(2)―古都編―



第一部 あとがき

 明治時代を舞台に、東洋と西洋、それぞれの目から見たカルチャーショックを描いてみました。
 たとえば、海外で生まれたカリフォルニアロールを、日本人が初めは「これは寿司ではない」と感じたとしても、今では一つの食文化として広く知られています。
 それと同じように、異なる文化の中では、衣服や習慣も、本来とは違う意味で受け取られることがあったのではないでしょうか。
 舞踏会のドレスに婚礼のベールを合わせた青年と、それを非常識だと思いながら、やがて新しい美の可能性を感じたパリの店主。
 文化の違いから生まれる驚きや誤解も、見る人が変われば、新しい解釈や美しさにつながるのかもしれません。
 そんな想像から、この第一部を書きました。


全4話 収録マガジン


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