疲れた。

なんか、曲を作る人に片想いのラブレターを書いている気がする。しかも肝心なことを書けておらずなんか伝わっていない感じがする。他人は他人。伝えることは伝えよう。けどまだちょっと怖いし。そんな片思いを、音楽を営む人たちに、想いを寄せている。神経衰弱。(読み手によっては、記事の書き方によっては、「キモい」と言われてしまうかもしれない恐怖。残りの学生生活が地獄になるリスクを背負う。喩えですよ。)その反応に、返事に、僕は心のどこかで恐怖している。一体何を感じたのか、伝わっていないのか、伝わった上で、「キモい」と思われているのか。言葉たらずは、心足らず。言葉にすることで、言葉にしないことで生まれる関係性がある。愛とは、技術なのだ。



そんな時に通知が来た。いいねがついた。

食パン丼さんがこの記事を見つけてくれたらしい。ニコニコでもXでもなくnoteから来てくれた。好きな人からいいねが来たかと思えばはしゃいでしまうのが男の子の性である。(いや、恋愛という意味じゃなくてね。比喩ね。比喩だからね!!!ツンツン)

上の記事で、僕は「美味しい」という言葉を使った。それは僕が詩とか音楽とか人が作ったものに対する評価の仕方だ。身体化する時にほとばしる一つの感情であり、尚且つ味わうという能動的な主体的な聞き手読み手としての責任も含めた言葉として愛用している(味わって食べる、よく噛んで食べる、寿司は出てきたらすぐ食べる。素手で)。

音楽は、詩は、言葉は、音は、海を泳ぐ魚が内臓をつけたまま横たわっていたり、干物にされていたり、巣につけられていたり、刺身にされていたり、ぐつぐつ鍋の中で転がっていたり、そういういろんな手を加えられて、表現されて、僕らの前に現れる。塩辛いのが好きな人もいれば、甘いのが好きな人もいる。アニサキスが怖い人もいれば、そうでもない人がいる。

話を戻します。

食パン丼さんにはとても興味があって、あの応援ソング作った!から始まって興味があった。一目惚れだった。本当に僕は、煩悩に塗れている。一目惚れをいろんな人にしている。自制しなくては。

あの応援ソング、この歌。

そんな食パン丼さんのnoteの記事をチラッと読んだ。

言いたいことができた。
かきたいことがたくさんできた。
あなたに話したいことが、数え切れないほどたくさんできた。
そしてそれは、これからも増え続けていくと思う。

https://note.com/1ta1node/n/n8a97a1154e22

音楽との関係性を、僕も振り返りたいと思った。
春の風に吹かれながら。

春の風の記事。

紹介記事を書くという試みをして、良かったなと思えたことが増えた。

ちょっとここで振り返りというか恥ずかしいけど自分のこと。

僕がなぜ人とのつながりに喜びを覚えるか。エピソードがある。

僕はとあるきっかけで劇(舞台)に流す音楽を作る仕事をしたことがある。僕が作った音楽が、俳優の言葉と行為を物語の文脈の中で支えるようにと、物語を支えるようにと、俳優が言葉を発する力になるようにと作った音楽を、俳優が、演出家が喜んでくれた時、嬉しいと思った。曲を作ることは、楽しいとかそんなものではなかった。物語を、人を生かすという使命しかなかった。

関係性の話はもう一つある。一つの劇が終わればまた別の劇の曲を作る。新しい物語との出会い、俳優との出会い、戯曲家との出会い、飲み屋で話すこともあれば稽古場で話すこともある。海外から戯曲家が来て、台本について聞くこともあったりした。(印象深かったのが「沈黙」というプロットが台本に書かれていて、僕は僕の解釈を述べた。そのプロットを書いた戯曲家はいった。「それをどう現実に表現するか、それは、僕は、人間性の余地として残したいんだ」と)

こういう人との出会い、言葉との出会い、異質な精神との出会いが、(いざこざも含めて)、僕の命の食べ物なのだと思える。僕には喜ばしく感じる。僕の命はそれで喜んでいる。

食パン丼さんの記事に触発されて色々書いてしまった。この記事が誰かに読まれて、いつか誰かに読まれて、何かが起こるだろうか。などと妄想する。(欲望)

ーーー

ボカロPという言葉がある。

ボーカロイドをプロデュースする人のこと。

だったら、僕はボカロPPをやってみようと思えた。なんだそれ。キュレーターかな。今はただ紹介記事を書くことしか想像できないけれど。

孤独な革命。

こういう恥ずかしい恋文を、もう少し書いていこうと思う。

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