【物語の劇性、俳優の身体性】輪郭線 / ナースロボ_タイプT(結サさん)

結サさんの声
https://x.com/Yuisa_sekisei

はじめに出会ったのはこの曲だった。劇か。いいな。

と思ったら、劇はこの曲が初めてだったらしい。

なんか色々やっているようだ。

初期はカバー

この曲は「異質さの混合物」?

この曲は「うーん」?

曲の中で一貫しているのは、僕が「異質さの化合物」と呼んでいるもの。もっと直接的に言って仕舞えば、コード進行に「妙」を加えること。「予想外の波」と言ってもいいかもしれない。

予想外の波の、別バージョンの記事

そして、語り。

自分と親しい音の使い方をされると、ついつい取り上げたくなってしまう。

似たものを、感じるんだよなぁ。(恋煩い)

でも僕には、この変幻自在さがない。僕は結サさんの自在さを感じる。節が変われば場が変わる。サイコロを振ると場所が変わるような。一つの幕の次に別の幕が控えているような。舞台装置が変わるような。そういう演劇的な体験をしたように、僕はおもう。びしびし感じる。単に転調というには惜しい。別の言葉にしたい。いやまぁ、転調か音階の変化なのだろうけれど(僕は巷で有名な音楽理論をよく知らない)。いやわからない。不躾に分解してみようかな。

「異質さの混合物」は混合物に異質さを感じるけれど、結サさんの曲は違う気がする。なんて言葉にしたらいいだろう。異質さを感じない流れを感じる。僕はそこに惹かれる。なんかこれは、僕なりに、取り入れたいな。素敵だな。そう思う。一つの曲を聴くのに、いろんな身体感覚を刺激される。それは、素敵な体験だと、僕は感じる。呼吸一つで俳優が演技を変えるように。

一体どんな身体感覚から、こういう構成が、音のつながりが、流れができてくるんだろう。命の神秘を感じる。合唱。合掌。(←尊さの表現)

ここまでたくさんの曲を一つの記事でコピペすることはなかったな爆

Xを見ると、結サさんは受験生だという。これからもずっと作り続けたら、認識が変わったら、思考が変わったら、どんな曲になるだろう。生きる楽しみが増えた。そう思えた。

まさかのCULT P さんリスナー爆こうして、文化が作られるのかぁ・・・どんな音楽に影響されたのか、そういう話をしたら、面白いんだろうな。

この曲を思い出した。



ーーー

蛇足。

高校生、今度大学生、その年で、Xでスペースひらけば人が来る。万単位で再生される。作った音楽が認められて、安定している気がする。一方で、「創作者の憂鬱」シリーズにあるような、悶々としながら曲を作り続ける人もいる(いや、僕の勝手な想像だ。みんな楽しく曲を作っているのかもしれない)。その差の、溝の、断崖の、深さを感じた。

それは全てたまたまの連続で、結サさんは「憂い」を持たなくてもいい星の下に生まれた、僕はそうではなかった。と割り切ってもいいだろうか。他人と比べてしまう僕の弱さを、僕は感じている。曲を作って人に認められたなら、どんなに嬉しいことだし、「楽」になれるだろうか。もしかしたら結サさんは純粋にボカロが好きで、再生されなくても作り続けていただろうか。イラストも描いているらしい。TTちゃんが「好き」になった経緯も気になるが。「好き」と関わる方法としてのボカロ、音楽。だとしたら、僕は、多分音楽を好きではないんだろう。か!

か!

ーーー

結サさんのTTちゃんへの情熱を感じたところで書き足しておきたくなったことがある。現代の「推し」文化は、神を崇めることに等しいということ。神は力だ。神の力を得るために、例えば可愛いを得るために感染呪術としてキーホルダーを身につける。そのアイテムを手に入れるために、秋葉原のビルの階段(石段)を登って社(アニメイト)に赴き、お守り(グッズ)を買う。劇場(インターネット)では浄瑠璃や歌舞伎(ボカロ曲、茶番、劇)が行われ、神が登場し、その力を露わにする(例えば源義経)。歌舞伎の隈取は、神の力の象徴、荒事というのは、神技。人は、神を見たがる。

もしその宗教性、崇拝性、「推し」文化の延長線上に再生数があるのだとしたら(知らないけど)。神ではなく人間を「推す」僕のあり方は、到底、認められないんだろうな。と思った。

か!

僕はひっそりと、死んでいくんだろう。

か!


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