妖精さんとボタニカとクセノキスとリゲティと民族音楽と作品との関わり方
僕は妖精さんの「語り」「誘い」に興味があるけれど
妖精さんの故郷の音、というものを想像してみた。
妖精さんはこの記事
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この記事と
「ペタルコア」で調べて出てきたこの記事
Botanicaの核心には、自然とテクノロジー、ノスタルジアと未来主義、無垢なものと断片化されたもの、といった二項対立の融合というテーマが存在します 。このジャンルの芸術的意図を深く理解するために、建築家フランク・ロイド・ライトが提唱した「有機的建築(Organic Architecture)」の概念が、強力なメタファーとなり得ます。
ヤニス・クセナキスのグリッサンド
「クセナキス」という人がいることをいんさんから聞いた。(「ヤニス・クセナキスのキーワードを教えて」とChatGPTに訊く)
音響・技法
グリッサンド群(Glissandi masses)
クラスター
密度変化
時間の幾何学
ポリトープ(Polytopes)
空間音響(Spatialization)
音の雲(Clouds of sound)
動的構造
音響エネルギー
ふーむ
美学・思想
個の消失/群の音楽
自然現象の音楽化(雨・群衆・ガス運動)
人間中心主義の否定
原始性と科学の統合
音=力学現象
秩序と無秩序の統合
ふーむ
「思想」とだけ打ち込んだ結果がおもしろかった。
4. 人間中心主義の否定
キーワード:非主観・非感情・非ロマン主義
音楽は「感情表現の媒体」ではない
作曲家の感情・心理・物語を排除
人間よりも宇宙・自然・数学の構造を優先
→ 音楽=宇宙の構造の一断面
5. 原始性と科学の統合
キーワード:野生・暴力・儀式・数学
古代儀式・群衆・戦争体験 → 音の巨大エネルギー感
それを数学・確率・幾何学で構造化
野生と理性の同時存在
→ 理性だけでも感情だけでもない
クセナキス:
音楽は「動く建築」
建築は「止まった音楽」
グリッサンド構造は
音を「流体」として捉えた表現だという。有機的だなぁ。
これもグリッサンドらしい
リゲティという人がいるよとAIが言っているから聴いてみた。
なるほど、動きがちがうなとおもう。
クセナキス リゲティ
音の本体動く曲面 静止した雲
がその違いだそうだ。僕の言葉で言えば、振る舞いと佇まいか。
リゲティのミクロポリフォニー
AIによると、ミクロポリフォニー = 「無数の声が溶け合って一つの音の雲になるポリフォニー」らしい。
無重力感、という言葉があったのでその代表作を聴いてみた。
アンビぇんとの類いかな、とおもった。
ボタニカというジャンルがどうやって出てきたのか知らないけれど、「芸術」の中に入るような枠組みの外で「ボタニカ」にクセナキスの表現技法が現れているのはおもしろい。
クセナキス 1922年生まれ
ボタニカ

むっちゃ最近だった。
民族音楽
最強かなと思った。
作品との関わり方
この水平線を吸いたいとコメント頂けたことを思い出す。五感を刺激する作品というのは不思議だなぁ。 https://t.co/JFtxR3IOg9
— in@依頼受付中 (@inner511) February 9, 2026
作品との経験として、自分がその作品とどう関わりたいか、どう入り込んだか(迷い込んだか)、といった「感じ」以上のコメントをもらえるなんていうのは、すごいことなんじゃないかとおもう。
何かの「動き」を作品が生み出せたことが、よくわかるし、劇的だから。作品の中に何かを探しにいく、感じに行く、という姿勢の表れだとおもうから。心が動く、その動きが「ただの興奮剤」になっているケースもあるだろう。なんらかの「理解」や「道筋」になる妖精さんの営みを僕は想像している。
(その点どうなんだろう。音楽って…)
クセナキスの音楽を「演奏」するのはどんな気持ちだろう。演奏者の話。『のだめカンタービレ』の登場人物の、のだめが感じるような窮屈さを感じるだろうか。
僕は極力、というか意識して「演奏可能」な曲をつくっている。
(関わり方として)演奏しても、いいんだぜ?とおもう。
聴くだけでもいいけどさ。
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クセナキスの曲とどう関われるか。
僕の感覚は、「なんかいる」という感じ。それを「眺める」感じ。入っていけない感じがする。いうなれば僕がクセナキスの文脈と自分の重なりを見つけられないだけなのだけど。
園端石さんが、作品のクオリティーの基準で「間テキスト性」という言葉を使っていた。テキストの重なりを生み出すようなトリガーとして、「言葉」とか「映像」があるのかな。などとおもった。
誘う、招待する、招く。
劇場としてのあり方を、hitoikiは想像している。(曲にしても、Xにしても、記事にしても←記事は!?)
