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封緘のエクリチュール【6】#創作大賞2025 #エンタメ原作部門

前回までのあらすじ(第五話)
ドイツ軍の暗号文を試しに見せられた律は、澤田の危険を察知する。そこで、暗号混じりのいつもの手紙をしたためるが折笠にバレてしまい仕置きを受ける。それでも澤田を助けるために、律は折笠に取引を持ちかけて。


6  帰還のどよめき

白い布がはためく駐屯地で俺は榊に律からの手紙を見せて興奮気味に語った。
「戦争が終わる」
「え? いや、読んでいいんっすか? 愛の結晶......」
 榊はためらいがちに便箋に目を落とす。澤田の指さした先にはアルファベットが綴られていた。
「あー、無理っす。俺、英語の成績ギリギリで一応エリートコースに入れたので......」
「これ、フランス語」
「まったくわからないっす」
 榊は頭を振る。

「律が、降伏して戦争を終わらせて欲しいって言ってる」
「はぁ? 降伏なんかしたら僕ら敵にいいようにされますよ」
「いや、危害は加えないから、ただ、領土から手を引いて欲しいと」
「そんなん都合のいい嘘なんじゃないんすか」
「律が......折笠中佐から直接聞いたらしい」
「中佐は今、ドイツ軍に寝返ってるんでしょう?」
「うん。だから、中佐からの、この土地で見張りを継続しろって指令と、食い違うから、律が正しいんだ」
 俺は笑みを浮かべた。
「うーん、でも、俺らの手柄なくなっちゃいますよ」
「今はこちらが劣勢にある。下手をすれば全滅だ。それよりは、降伏で捕虜にもならないならずっといい」

 帰りたいんでしょう?

 と榊は俺に言わなかったけど、わかっていたのだと思う。俺の頭の中が、律に会える、という喜びでいっぱいだったことを。

「まぁ。大尉が決めたなら、俺は従いますよ。そろそろ美味いもん食いたいっすからね」

* * *

『引き上げる日本軍』
 折笠さんは新聞の見出しを私に見せた。実際、日本軍が選んでそうしたのだから、その見出し通りなのだけど、降伏、とも、敗戦、とも書かれていない所に、日本の意地を感じる。

 その見出しを見た日から一週間と数日経つ頃、私は、部屋の鏡前で、クローゼットから引っ張り出したワンピースを体に当てては鏡を見てとっかえひっかえしていた。

「ティータイム......だが......」
 私の部屋のドアのない入り口から覗いた折笠さんが、ぴたり、と止まる。

「もうすぐ、帰還の船が着く時間でしょう」
 私は興奮気味に言った。
「そうだが。色々と軍部の手続きがあるからすぐには会えないぞ」
「いいの。港から船に向かって手を振ったらきっとわかってくれるから」

 取り引きをした日から、折笠さんは私を屋敷内で自由にして、手を出さなくなった。食事とお茶は一緒にするが、それ以外は、お互い別々に過ごしていた。

「......お嬢さんには、これが特に似合うと思うが。俺は好みだ」
 折笠さんは部屋にゆっくりと入ってきて、紺色の立襟のワンピースをクローゼットから取って、私に差し出す。

「それは、あなたの好みでしょ? 澤田さんに久々に会うんだから澤田さんが好きなのにしないと」

 折笠さんは、気怠そうな顔をして、クローゼットから、ベージュのリボンタイ付きのワンピースを取った。
「澤田なら、これだ」
「どうして? わかるの?」
 私は驚いて聞く。
「華奢で少女っぽくてわかりやすく可愛いから」
 自分の恋人を単純と言われた気になる。
「うーん。あなたはどうして、それなの?」
 私は紺のワンピースを指さす。
「聞きたいか?」
 その人は勿体ぶったが、私は即座に頷く。
「肌がほとんど出ず、淑女然としている。首元が襟で覆われて詰まってるだろ?剥いだら、案外赤い痕でも付いてそうで、覆われているストイックさが脱がし甲斐がある」
「もう、そういうことばっかり」
「男なんてそんなものだ」

 私は勧められたベージュのワンピースを胸に当てる。あの日、この人が屋敷に侵略してきた夜に来ていた服。だから、ちょっと痛いし重い。それに......

「でも、これ、半袖だから、もう寒いわ」
 季節は冬を迎えようとしていた。

* * *

 船着き場には、大勢の人だかりができていた。遠くに船が既に見えていた。
 外に出るのは久々だった。最初から折笠さんに頼るつもりで、頼んだら、あっさりタクシーで送ってくれた。

 海風が手をかじかませ、私は手をこすり合わせて、口に付ける。その片手を掴まれ、折笠さんは自分のコートのポケットに突っ込んだ。
 長身で、西洋人のような端正な顔。黒のロングコートが様になる。並んで歩くと、女性たちが振り返った。そういえば、舞踏会でも歓声が上がっていたっけ。

――本当は非道なサディストなのに。

 しかし何も手を出されなくなってから、こうして見ると、確かに澤田さんとは違った格好良さがある、とドキリとした。


 船が着き、足場がかけられる。大きな歓声がわいた。みんな、引き上げて来る家族や恋人に一目会いたいと思っているのだ。

 私も、じっと目を凝らす。あ、と慌てて、折笠さんのポケットから手を引き抜いた。だって、まるで恋人同士みたいではないか。
 折笠さんは、一瞬、不服そうな顔をして、すっと顔を背けた。

 しかし、歓声に混じる怒声があった。最初それは、小さかったが、次第に大きくなっていく。


「司令官は誰だ?!突き出せ!
なんで降伏なんてして帰ってきた!」

 家族や恋人にとっては嬉しい帰国だが、決して凱旋ではなかった。形上は、負けを認めたのだ。
 澤田さんの決断によって。

「非国民め!」

 胸に冷ややかに突き刺さる言葉。

「首謀者は誰だ。死んで詫びろ!」

 そんな言葉も聞こえた、気がした。

――いやだ、澤田さんにそんなこと言わないで。悪いのは、私だ。

 急に不安に襲われて、隣の折笠さんを見上げる。

 口元が小さく笑っていた。

 その瞬間、すべてを悟った。
 全部わかっていて、そうしたのだ。

「あ......」

 私が口を開けて泣きそうな顔を向けると、ゆっくり折笠さんが見下ろした。

「帰るぞ。戦争のいろはもわからないお嬢さんに務まる役じゃなかったということだ」

 ぐっと手を引かれる。

「いや。帰らない。会うまで帰らない!」

「連れてきてやったんだ。手間をかけさせるな」

 その時だった、歓声と怒声がぴたりと止んだ。何事かと振り返る。
 一番見たかった姿がそこに立っていた。

「私です。私が降伏を宣言しました」

 その言葉の重さを推し量るような、重苦しい沈黙とかすかなため息によるどよめき。

「正直、日本軍は劣勢にありました。これ以上、戦死者を増やすよりも、無条件の降伏を選びました」

 冷静な声。引き締まった顔。

 もういいではないか。せめてここにいる人が待つ人たちが帰ってきたのならいいではないか。

「卑怯者!うちの奴の戦死を無駄にして!」
 どこかの婦人が叫んだ。

 ああ、待つ人だけではない。もう待つ者がない人も集っているのだった。

 その声を皮切りに、「非国民!」という野次がそこかしこから飛び、大きな叫びとなっていった。

 引き裂かれそうな心で見つめていると、人だかりを割って行く軍服がいくつか。

 澤田さんが敬礼をする。

 再び沈黙が訪れた。

「国民の皆さん、我々日本軍は一丸となって戦いました。このたび、参謀の司令に背いて、独断で降伏という決断をした罪は重く、慎重に処遇を決めたいと思います」

 参謀、という言葉に隣の折笠さんを窺い見る。

「でも、あなたは本当は……」
「俺は表向きは中佐であいつの上司。しかも参謀で上層に顔がきく。あいつは俺の司令に背いた」
「でも、でも、そのまま駐屯したら空爆に……」
「それを知っているのは、俺と、お嬢さん、おまえだけだ。この日本の中ではな」

「わ、私、言ってくる……!」
 私は夢中で駆け出そうとした。しかし、ほとんど屋敷でも動いていなかったから、足がもつれて、後ろからその人に抱き抱えられる。

「何を言うんだ。俺が本当はドイツ軍だって? 司令は空爆から助けるため私がしましたって? 誰がそんなこと信じる」
「て、手紙があれば」
「それは俺たちに譲る暗号だろう? あとで持ち物は全部検査して、余計なものは奪う。日本に持ち込ませない」

 私にはそれ以上言葉が見つからなかった。何を言おうとこの人の前では無駄になってしまう。

「ほら、帰るぞ」

 その人は私の手を引いて通りに出て、タクシーを拾い、車内に押し込んだ。
 窓から必死に見ても、もう人だかりと、大きな船の形しか見えなかった。

(つづき↓)


ひとこと

フランス出張から帰国し、帰りのフライトの乾燥で喉を痛めて風邪を引きながら現実の仕事をこなして、今日、ようやく本作を仕上げました。これから三日間に渡り、一気にラストまで順に公開します。 目が離せない展開を追って下さいね!

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