封緘のエクリチュール【7】#創作大賞2025 #エンタメ原作部門
前回までのあらすじ(第六話)
戦争が終わり、帰還の船が港に着いた.律は折笠に頼んで見に行くが、船から降りてきた澤田に浴びせられたのは耳を疑う言葉だった。驚く律だが、折笠の口元の笑みにすべてわかってそうしたことに気づく。軍の冷ややかな悪意になすすべもなく。
7 凍る指先に口づけを
翌朝、折笠さんが食後に席を立ち新聞を持って現れた。広い食堂は暖炉の火を入れても、冬場は冷え込む。
「投獄されたそうだ」
パサリ、と私の前に朝刊が差し出される。澤田さんの昨日の立ち姿が写っていた。
部下には責任はない。責任はすべて自分にある。
日本で待つ恋人に早く会いたかった。
そのようなことが書かれていた。恋人、という文字に胸が震える。涙がポタリと新聞紙に滲んだ。
「俺ならもう少しマシな言い訳を考える。正直にすぎる。これでは大尉として擁護してもらえない」
「でも、共感してくれる人だって……」
その人は食後の珈琲を啜ってから、再び口を開く。
「明後日に処刑だ」
「なっ!そんなこと書いてない!」
私は朝刊を折笠さんに思わず放り投げた。折笠さんが静かに空中でぐしゃりと掴む。
「軍部の情報だ」
冷ややかな声に、体が冷たくなる。
「いや。やだ。どうして」
折笠さんはカップから目線だけこちらへ寄越した。
「だって味方だったでしょ。この前は一緒に戦ったんでしょ?」
「良い部下だったが、特に深い思い入れはない」
折笠さんはそう言ってカップを置いた。
私は机から立ち上がって自室へ走って戻った。
どうして。どうして。私はベッドに泣き崩れた。私のせいだ。折笠さんに唆されて降伏を勧めなんてしなければ。きっと澤田さんは私を信じて降伏してくれた。会いたいとも思ってくれてた。会いたい……。
私は何か手がないかと日中考えてみたけれど、夕方気づいたら泣き疲れて寝てしまい、もう明日が来ていた。折笠さんは私を起こさず一人夕食をとったようだった。
翌日、私は恐る恐る、窓を開けてみた。開けることはできた。下に足場はない。でも、カーテンをつたって降りることができるのを何かの映画で観た。思い切ってカーテンを外そうとするが外れない。窓から下を見下ろしていると、折笠さんが部屋に顔を出した。
「ティータイム…。何をしている?今更逃げる気か?」
私は泣きそうな顔で振り返っていた。
「会いたいの。だって、明日なんでしょう?」
「……あぁ。処刑されて、死に様が通りで晒されるらしい」
「そんな……。ねぇ、何かできることはない?本当は私が唆して罪人ですって」
「もうあの手紙はない」
「……。せめて会いたいの。何でもする」
「取引か?」
折笠さんはじっとこちらを見た。感情のよくわからない瞳で。
「お願い。連れてって。澤田さんのところへ」
「……何でもするか? ならば俺ならできないこともない」
私は、その折笠さんの言葉に、迷わず頷いた。もう命など要らないと思っていた。
「本当に後悔しないか? 会えるだけだぞ? 助けられない。その上、おまえは何でも言うことをきく。あまり良い条件とは言えない」
珍しく折笠さんは、慎重に聞いた。
「構わない。命すら惜しくないもの」
「……。わかった。今夜、手筈する。見せたい服でも選んでろ」
私は、あの、きっと澤田さんが好きだと折笠さんが予測したワンピースに着替え、毛皮のコートを羽織ることにした。
「おい、通せ」
夜、折笠さんに連れられて、軍の独房に向かった。軍の折笠さんはいいとして、問題は私だった。
「これは、中佐殿。そちらのご婦人は……」
「聞かずに通せ。今度の昇進を手伝ってやる」
「はっ」
いくつかの警備をかわし、いよいよ独房に近づいた時だった。
「中佐殿がまたなんでこのようなところへ」
「元大尉に話がある」
「しかもご婦人をお連れとは……。見たところ一般人ですな」
「通せ」
「いくら中佐殿とはいえ、私は大佐殿から命じられておりますので通すわけには」
「その大佐に黒い噂があって失脚するとしたら?」
「ほう」
「俺につく方が賢いぞ。これで考えろ」
握らせたのは大金だった。
「よほどの事情がおありかと。しかしそのご婦人絡みとなると、中佐殿も立場が危ういのでは?」
折笠さんはそっと警備の男の耳に口元を近づけて何か囁いたようだった。
「はは。それはそれは。中佐殿の見立てならば相当でしょう。どうぞ、通って下さい。さすがに鍵は開けませんが、なに、話すくらいならできるでしょう。どうせ明日までの命。死人に口はありませんから」
冷やりとした石造りの廊下を折笠さんに支えられるようにして通る。
「ねぇ、最後の人はお金で買ったの? どうやったの?」
「ん。興味があるか? そんなことに。なに、俺を好いて集まる女性を適当にあてがうと言っただけだ。女には目がない奴だからな」
私は折笠さんに軽蔑の目を向ける。
「位や、お金、女で人を買うのね」
「…...そういう世界だ」
折笠さんはそれだけ言って、次の扉の前で私に顔を近づけた。
「この先に澤田が居る。あまり多くの時間は取れない。…...一つだけ言う。お嬢さんで誰かを買うことはない。俺のものだからな。わかったら、さっさと最後の挨拶をして戻ってこい」
そうして、ぎゅっと抱擁された。不思議とそれは優しくて、私は何が何だかわからなくなった。
扉を開ける。そこには、牢屋の中に薄汚れた軍服を着た、軍人が一人、眠るようにひそやかな息をしていた。
「澤田さん、澤田さん!」
私は檻に手をかけた。
「…...ん。…...律...…」
目は閉じたままだ。光がほとんどない部屋だったが、目を凝らすと、顔にあざができていた。きっと毎日痛めつけられているに違いなかった。
「澤田さん! 私よ。律よ」
すると、その目がゆっくりと開いた。
「あぁ、律だ。俺、最期だから夢を見てるのかな」
「違うわ。来たの。本当に私よ」
澤田さんは這いずって、ゆっくりと檻に近づいた。私は檻に必死に指を差し込んだ。瞬間、指先に冷たい柔らかい感触がした。
「本当に律だ。どうしたの? こんなところに。罰せられるのは俺だけだよ」
「私が悪いの。私があんなこと書いたから。澤田さんがこんな目に…...」
「ねぇ、本当に律なんだね。もう一度指先を触れてくれる? 俺にはそれで十分なんだ」
私はハラハラと涙を流した。
「澤田さん、助けるから。私、ちゃんと事情を説明してみるから」
「無理だよ。軍はそういうこと聞かないから。律がそう思ってくれるだけで十分だよ。ただその…...申し訳ない。婚約…...してるのに…...果たせなくて。律を一人にすることになる。そんな男で本当にごめん」
私は、檻越しの澤田さんの口を思わず私の唇で塞ごうとした。
「律…...?」
この時代、結婚前の男女は口付けなど交わさない。折笠さんと過ごすうち、そんなことをすっかり忘れていた。
するりと扉が開いた。
「時間だ。逢引きはその程度だ」
長いコートを着た折笠さんがドアに背を付けてそこに立った。檻から手を離すまいとしがみついた私の腕を掴み、簡単にそこから引き剥がして、立ち上がらせる。
澤田さんが、折笠さんを見つめる。
「あなた...…なんですね。…...そんなに律のことを? …...俺にはもうできませんが、律をよろしくお願いします」
澤田さんは、深く礼をした。
「やめて! 悪いのはこの人なの。全部、全部! 私の家族も使用人も皆殺しにしたのよ⁉︎」
私がそう叫ぶと、後ろから口を手で押さえられて、んっと息が詰まる。
振り返ると、その口を、柔らかいものが塞いだ。
澤田さんが息を飲んだ音がした。
「おまえには悪いが、この女を悪いようにはしないつもりだ」
「…...情が移られましたか?」
澤田さんが問う。
「いや、初めておまえに見せられた日、可憐な良い女だと思った。その後、屋敷で会って戯れに関係を持って知った。賢く、気が強く、愛らしい。ただ、欲しい。それだけだ」
「…...そう...…ですか...…」
「…...澤田。冥福を祈る」
「かたじけない」
泣き叫ぶ私に澤田さんは、何もかも手放した優しい目をして、折笠さんに抱きすくめられるようにして、扉を出た。
「私、私、澤田さんが好きなの。一緒に死ぬ!」
私は折笠さんの胸を叩いた。
折笠さんは鼻で笑った。
「シャルロットも似たようなことを言った。女はみんなそうなのか」
そこでその名が出るとは思わなかった。
「そうよ。シャルロットを愛していたんでしょう?」
「あれは政略結婚のようなものだ。フランスの情報を仕入れるのに便利だった。よくハニートラップは女が使うが、その逆というところか」
「そんな…...」
「約束通り、一つ言うことを何でも聞いてもら…...」
私の目には涙がいっぱい溜まっていた。
「フン。まぁいい。今夜くらいは追悼の時間をやろう。明日、処刑が執行されたら、おまえが何をきくべきか言う。それまでは、一人部屋で悲しみに暮れているんだな」
翌々朝、夜通し泣き腫らした目でふらふらと食堂に降りる。折笠さんがいつものように新聞を読んでいた。
「ひどい顔だ。珈琲を淹れてやる」
新聞を閉じて立ち上がると、ポットの珈琲をコポコポと私のカップに注いでくれる。そうして、さらりと二枚の紙とペンを私の前に置いた。
「おまえが泣いていても、俺は待たない。
一つ言うことを聞いてもらう。
今日からおまえは、俺の女だ。娶る。
澤田じゃない、俺の女として、生きろ」
婚姻届。一番上にそう書かれている。枠内には几帳面な字がかっちりと埋められ、署名欄が一つ空いていた。軍の形式と一般的な形式の紙。
当時、軍部の人間は軍には専用の婚姻届を出し、承認される必要があった。身分や職業、親の承認の有無など、書く必要があり、不相応だと受理されないこともある。例えば、士族や華族以上の身分の娘でないと認められないこともあった。
親の承認の有無の欄には、有に印が付いていた。
「私、あなたの親御さんに挨拶していないわ」
目の前の問題をそうつぶやく。
「構わない。土の下、空の上だ。俺の親族はドイツ軍に皆殺しにされた」
「そんな」
あまりにもさらりと口にしたその人を見上げる。
「俺が軍の情報を口外するリスク源はすべて消された。親も、 姉貴も、祖父も、親戚も、そしてシャルロットもだ」
私が押し黙って見つめていると、二枚の紙をその人が見せた。
親族の同意書。そう上部に書かれた書類にはきちんと文字が埋まっていて、印が押されていた。
「軍のスパイとして生きるとはそういうことだ。まぁ、こういう偽装書類もお手のものだが」
この人も他に誰もいないのだ。そうだったのだ。
でも……。
「どうして私なの?」
聞かずにはいられなかった。別に今更抗うつもりなんてないけれど。ただ、知りたかった。
「……お嬢さんが、毛布をかけてくれたから」
折笠さんは少し横を向いて答えた。
「……だって、寒そうだったから」
私は口を尖らせる。あんな、書斎で無防備に寝てしまって。
「ああ、寒かった。ずっと寒くてたまらなかったよ」
横顔が恐ろしいものを見るように険しくなる。
「でも、起きて私だって見てたのね」
そう言うと、こちらをちらりと見た。
「それだけを言ってるわけじゃないが……まぁいい。人の気配がすると目が覚める。戦地で染み付いてる。ああ、ついに俺の寝首でもかきにきたか。さぁ、どうする。その華奢な腕で。と薄目を開けたらな、毛布をかけられたんだ。それに、この屋敷で生きているのは、もう俺とお嬢さんしかいないだろう」
シン、と静寂が訪れた。と思ったら、ボーン、ボーン、と壁の時計が八時を知らせた。
私は音に導かれるように、まだ、音が鳴っているうちにさらさらと署名をした。
今日から自由はない。でも、どこかでそれでいいとも思っていた。
「式は華々しくできないが、純白の上等なドレスは買ってやる」
「要らないわ。そんなもの」
私は呆れたように笑った。それは、私の知らないはずの顔で、どちらかといえば、折笠さんが時々する癖の顔だった。
「……そう言わず、着てくれ。俺だけが見る。それでいい」
不思議とその声が穏やかで、寂しそうで、私は、肯定も否定もしなかった。
俺は軍装を整え、大佐のもとに出向いた。
「あぁ、ついに君も女を娶るか。ちょうどいい機会だろう。うん? あの財閥令嬢か? またこれは上玉を掴んだものだ。いや、君は国まで掌握しそうな破竹の勢いだ」
大佐は律の名前を見て、即座に許可証発行の手続きを踏んだ。律の姓は財政界を筆頭に軍部でも当然名が通っている。俺には少々上等だった。
「しかし最近、財閥筆頭が姿を見せないらしいが何かあったのかね」
「少々、お身体を悪くされて、静養なさりたいようです。お側で様子を見ております」
「そうかそうか。まぁ君がいれば心強いだろう。しかしなんだ、この女、澤田の婚約者とかいう噂があったような……」
「……そのような噂が?」
俺はシラを切った。
「ああ、いや、噂だよ。だが正直、澤田のような男じゃ守りきれん。狙われやすい立場だ、財閥筋の娘は。下手をすれば、澤田の処分にも巻き込まれていたかもしれん。ある意味、運の良い女だ」
大佐は肩をすくめ、続けた。
「第一、澤田は非国民として処刑された。……いや、ここだけの話だが、日本の劣勢の責任を一身に背負って姿を消してくれた。君のおかげで随分と話が早くなったよ」
そう言って、大佐は俺の肩に手を置き、ニヤリと笑った。その手が気味悪く肩を撫でた。
「ところで、今回の婚姻を認めて下さったので、一つ土産話を」
「おお、なんだね」
「……大佐は軍の金を随分使い込んでいらっしゃる。使途は民間人などの支援とされているが実態はない。随分、闇博打にのめり込んでいらっしゃるご様子、上部に報告致しておきました」
「……な」
「数日後には、私が大佐となるでしょう」
俺は、待て、と声を荒げる大佐を置いて、市井の婚姻届を出しに向かった。
その数日後、軍上層部では議論が起こっていた。
「いや、あれが大佐になって早々、退役を申し出るとは」
「澤田はかつての仲間だ。我々には降伏に荒ぶる民意を一人で背負ってくれて都合が良かったが、そう陥れた彼にはそれなりに病むところがあったんでしょう」
「あれが病むと思うか? あの残忍で冷酷な任務に忠実な男が。それより、急に財閥令嬢を娶ったが、なんでも退役して二人でひっそり山荘で暮らすとかいう噂がある」
「あれほど女に興味がなかったのに? 女は彼にとって道具でしょう」
「何を考えているのか。しかもその女、澤田の婚約者だったらしい。澤田を失って、精神崩壊して狂人になっているとか。そんな女と暮らす意味があるか?」
「さぁ。なぶったり、人形にしたいんですかね」
男は、うーむ、と髭を顎になすりつける。
「表向きは大佐への出世後すぐ華々しく身を引いた、ということにして、まぁ、功労者だから余生くらい静かに過ごさせてやろう」
「裏向きは?」
「敵軍に通じていたという噂が実はある。降伏したのにドイツ軍が日本に不当な条項を結ばなかったのも彼の調整の手柄だとされているが、きな臭い。それに、ここまで早期昇進し、財閥と婚姻を結んで財は相当に得ただろうが、気狂いの女に入れ込んで名誉も何もかも捨てるなど、そこまでの男だということだ。鼻を摘んで今のうちに放逐してしまうのがいい」
「まぁ、残しても厄介でしょうね。目が良く頭が切れすぎる。前大佐の金遣いを告げ口して辞任に追い込んだが、我々のところまで上ってきて追い出されてはたまりませんからね」
「目的のためには手段を選ばぬし、誰にも媚びない、つかない。一匹狼で能力だけで軍部でのし上がってきた、バケモノだからな」
男たちは煙たいグラスを持ち、一気に飲み干した。
(つづき↓)
ひとこと
二週間の海外は日常が全部リセットされたような心持で、戻ってきたら、日々がまっさらに感じました。ようやく日本での日々を思い出し、昨日から創作意欲が戻り、するすると筆がのったので、創作大賞に向けて全作品を仕上げ中です。新たに書いたり、リライトしたり、あらすじも加筆しないといけないし、行ったり来たり。それでも、この数ヶ月丁寧に温めてきたので、行き来してもすぐに入り込めますね。心を込めてお届け致します。
