見出し画像

封緘のエクリチュール【5】#創作大賞2025 #エンタメ原作部門

前回までのあらすじ(第四話)
  支配下の律は優しさといたぶりで翻弄する折笠に抗えない。彼の弱い一面に大戦の影を見て、そっと毛布をかける。閉じた世界に息づくのは行き場のない憎悪か投影の愛か。


5 暗号に隠して


「ああ、手紙の時間だな」

  低い声が階段を降りてきて、私の錠に鍵を挿す。こんなことをしなくても、どこにもいけやしないのに。


  使い慣れた私の部屋の机の前に座っていることが、なんだか奇妙に感じられる。後ろで脚を組んだ、あの冷たい視線が差しているからか。

  私は用意された便箋を手に取り、小さく息を吐いて、ペンを走らせる。
  澤田さんは私のフランス文学の引用文の裏の意図に気づいたようだった。君の引用は美しい。読むのがやっとだけど、というようなことが記されていたからだ。
  私は新しく仕入れた情報を記すべく、次なる引用文に埋め込む言葉を考えていた。

* * *

  折笠さんは、夜、書斎にこもることがあるが、その時、決まって、新聞の束と書類を照らし合わせている。それはドイツ軍の手にしている情報だった。

  ある夜、部屋へ先に行くように言われたが、折笠さんが来ないので、また書斎で眠ってしまったかと降りて行って、部屋の扉をそっと開けたところで、目が合ってしまった。

「なんだ? 俺が居ないと寂しいのか?」

  まったくそう思ってない口ぶりで聞かれる。そして、じっと鋭い目がこちらを見据えた。

「それとも、読みたいのか? ......来い。」

  私がランプが付いた机の前に行くと、折笠さんは私の腰をさっと掴み、脚の間に座らせた。

  そうして、肘を付く。もう片方の手では、ポケットから、パイプタバコを取り出した。時折吸っている濃い香りの。私はついっとパイプから顔を背けて、肘側に顔を寄せる。

「ああ、お嬢さんは、この香りが、嫌いだったな。」
  その香り、というより煙たいのがダメだった。折笠さんは、くるりと指で回してそれを再びポケットに閉まった。

「別に......」
  構わないのに、と続けようとするが、言葉を飲み込む。

「読めるか?」
  そう後ろから囁かれて見下ろした机の上には、ドイツ語の新聞と日本語の新聞と、数字の羅列が書かれた紙。それと、まさに今、折笠さんが解読しながら書いていたと思われる几帳面な文字が記された紙。

  そっと手を触れて、見比べてみる。しばらく静かに紙をめくるのを繰り返して、私は首を横に振った。

「そうか」

  私はするりとその脚の間から床に降りる。そして目を擦った。

「眠いのか? もうすぐ行く。待ってろ」

  夜、折笠さんより先に眠ってはいけないことになっていた。私は眠い素振りをして部屋へ帰ると、ドアの向こうに気配がないことを確かめて、慌てて、メモに書きつける。

——十日後の、朝八時。空爆。

  それはドイツ軍からの進軍予告だった。澤田さんたちの駐屯する基地に空爆の予告が出ていた。一方で、折笠さんは日本軍参謀かつドイツ軍のスパイであるから、日本軍には偽の指令を流すのも仕事だ。

——越境の要所につき、見張りを継続のこと。

  その指令に従い、見張りを継続していれば、空爆にさらされるだろう。折笠中佐の指令には気を付けるよう既に伝えてはいたが、ここまで具体的な危険が迫っていては、早く知らさねばいけない。

* * *

  私はペンを走らせる。手にした情報を編み込んで。

  ふと、その人が後ろで小さく口ずさみ始めた。軍歌......ではない。どことなく哀愁が漂う曲。

「意味が取れるか?」
  歌い終わるとその人が後ろから問うた。

「はい。戦地におもむいた恋人を想う哀しい曲ですね」
  まるで私の心情を表すような歌。

「おまえは本当に語学が堪能たんのうだ。昨夜、フランス軍の暗号文を入手した。あとで、解読しろ」
「はい」

  ここで、私にできるのは従うこと。彼への手紙を綴る必要がなくなれば、私は従うことすら手放して、命を失くしてしまうのだろう。

  望み、など今更もたない。ただ、この国の状況を伝えることが、私が知る情報を伝えることが、もしも、何か彼に役立つのなら。
  私はペン先でゆるく曲線を描く。


  「書き終わったか。貸せ」

  ペンを置いて便箋を揃えた私を見て、その人は大きな手を伸ばし、私から便箋を受け取る。

  私の天蓋てんがい付きベッドをソファ代わりに、平常から軍服に身を包んだその人の手で便箋がめくられていく。

「ふん。よくもまぁ、書くことがあるものだ」

  前線で無事にしているか。今日はどうだったか。そういえば面白いフランスの本をまた読んだの。私は大丈夫。ずっとずっと思い慕って待っている。

  そんな下らない内容に見えるだろう。

  しかし、ついと、その人が目線をある一点に戻し、眉をひそめた。

「なんだ、これは」
  口から疑問が漏れた。
  そして、急に口ずさみ始めた。

  ドイツの歌ではなかった。無論、日本でもない。それは、フランスの恋の歌だった。
  それは私の胸を突き刺す。

「おまえ、俺に隠し事をしているな?」
  小さく口端を歪めた意地の悪い顔が近づいてくる。

「こんな密書、よくも俺に見せたものだ」
  その人は私の腕を強く握った。加減を知らない力が、胸中に恐怖を生む。

「そんなの、ただの言葉よ」
  私は腕を振りほどこうとするが、先ほどの錠のようにびくともしない。

「嘘をつくな......おまえの声、震えている」

  その人が私の顎を掴み、じっと目の奥を覗きこんでくる。嫌になるくらい整った顔に、はまったガラス玉のような冷たい目。
  見つめられても決して瞳を揺らさないこと、それが私にできる精一杯の努力だった。

  もう片方の指先が、便箋の一語をなぞり、私の唇につけられる。

「読め」

  その命令に、私は目を見開いたまま、小さく首を振った。

「ほう。珍しい。従わないことが何を意味するかわかってやっているのか?」
  その人はいやらしい笑みを浮かべた。

  どうして。今までだって一度も気づかなかったのに。ただの恋文に埋め込まれた言葉なんて無意味だと見逃すはずなのに。

「少しだが言葉がわかる。わざわざフランス語を混ぜて、何を書いている?」
  唇に当てられた指先が押し込まれる。うっかり噛んでしまわないように避けると、舌先を探られた。

「......っ。ただの言葉遊び」

  独自暗号を混ぜてますなどと、舌の根が切れても言えない。

  その人は興味深そうに私を眺めて、ククッと笑った。

「ドイツ軍の暗号文を読めないフリをして素早く解読して、恋人に危険を知らせるとは。スパイの言葉を横取りする女スパイなど怖いものだ......反省は?」

  私は指を舌で挟んだまま、ぐっと唾を飲み込む。昨夜、書斎で読んだ密書の指令を、澤田さんに知らせようとしたことがバレている。


「そうか。だんまりか。なら、今日は俺とも言葉遊びをしよう」

  言葉を取られて、しまった、と思ったが遅かった。
  私の身体は、私がずっと使ってきたベッドの上にあった。
  抵抗する間もなく、組み敷かれる。

「腕は、頭上だ」

  両腕を強く掴まれて、頭上で束ねて、先ほどの鎖で縛られる。
  言葉は従えなくとも、今は従うしかなかった。

「さぁ、言葉遊びだ。どんな言葉を聞かせてくれる?」

  私はその問いかけに押し黙って、その人の顔を見つめ返し  た。毎日求められては奪われて、の繰り返し。従う以外に道はない。これが何になるというのだろう。胸に冷ややかな風が吹いた。

「また、だんまり。......ああ、そっちがいいのか? この前の、声を殺させた時は面白かったな」

  その言葉に急に記憶が引きずり出されて、私の身体が強張る。


『さぁ、声を殺して。俺のものになれ』

  その第一声の後、長くひどくいたぶられた記憶がよみがえる。
  気づけば、私の身体が小刻みに震えていた。

「い、いや......あれは、嫌。折笠おりかさ様」
「おまえが俺の名を呼ぶなど不相応ふそうおうだ。教えただろ?」
「あ......ご主人様」

  口がゆっくりと満足を描く。

「そう。ご主人様は何をしてもいいにきまっているよな?」
  首筋を冷たい指先でなぞられて、びくりと体が跳ねる。

「あれがいやなら、言葉でたのしませろ」
  頬をおおう冷たく大きな手。

  私は必死に縛られた腕をよじって鎖を鳴らす。

  首筋に唇を沿わせて強く吸い上げられたかと思うと、ガリッと歯を立てて噛みつかれる。
  この前の、赤い痕を体中に刻み付けられた時のことを思い出し、ゾクリとした。

  私は以前から考えていたそれを今しかないと思い至った。手紙が届かなければ、澤田さんたちは空爆に巻き込まれることは明らかだった。だったら。

「取引をしましょう」

  私の首に頭を埋める折笠さんにそう言うと、ゆっくりと顔が上がる。

「取引? ほう。面白い」
  ひとまず話を聞いてもらえそうだ。

「私は、独自暗号を持ってる」
  目の前の折笠さんが瞬きした。

「さっきのまどろっこしいフランス文学か?」
「それもだけど、他にもある。あなたが気づいてない部分」
「......で?」
「日本には、使わないと約束して。そうすれば技術を譲る」

  折笠さんは私の目を静かにじっと覗きこむと、ククッ、と笑い始めた。

「あまり賢い取引には思えんが、まぁ聞こう。それで対価は?」
「澤田さんたちに手を出さないで。私を解放して」
「フン。随分虫がいい話だ」
「でも、ドイツ軍のより強力だから」
  引き下がってはいけないと強く睨むように真っすぐ見つめる。

「確かに、おまえは一瞬で解読した」
  折笠さんが面白くなさそうな顔をする。

「私のは簡単に解読されない。しかも解読方法を手紙で送れる」

  折笠さんが黙って、目を遠くへ向けた。

「......いいだろう」

  私は驚いた。そんなにスムーズにいくとは正直思っていなかった。

「一つ条件がある。形は降伏しろ。危害は加えない。澤田に手紙を書いて知らせろ。俺の指令は疑うようにとでも忠告してあるんだろう?」

  私は目を見開いた。
「......本当?」

「取引は取引だ」
「でも......ドイツ軍にとっては......」

「ドイツにとっては都合が良い。領土が手に入り、余分に戦死も出さない。ただ、争った日本軍を捕虜にしたり、追加で不当な条約を結ばせないだけだ。初めから争いなどなかったことになる。日本は何も手に入れない代わりに何も失わない。それでいいか?」

  私はコクリと頷いた。

「手数料ぐらいはもらおうか」

  私は首を傾げる。
  取り出されたのは......

「咥えろ」
  私は目を背けた。

「どうした? さんざん可愛がってやっただろう? お別れの挨拶くらいしてやれ」

  お別れ。本当に......?この人が私を解放してくれる。でも暮らしてゆけるのだろうか。とりあえず、お父様の伝手を辿って......

  私はそこで考えを止めて、おずおずと顔を埋めて、口にそれを含んだ。
 その瞬間、ぐっと腰を迫り出されて、喉が突かれそうになり、涙目になる。頭上を手で抑え込まれ、頬の内側に擦るように抜き差しされる。

「ほら、こういうふうにしろ」

  こういうことも最後。
  私は何も知らないまま、その人に奉仕をした。
  こんなけがれた体で澤田さんに再び会えるというのだろうか。

(つづき↓)


ひとこと

  私にはいわゆる「スランプ」がなく、いつでも書けるのですが、今、ちょっとスランプかも。というのは、執筆を朝晩二ヶ月程必死でやったツケなのか、夜、強烈に眠気がやってくるのです。いや、しかし、海外出張まで筆を休めるわけにはいかない!仕事の手配はしたものの、出張準備はまるでしてなくて、今から出張に付ける休暇の行先を考え始めました。

いいなと思ったら応援しよう!