応援してほしい人が一番の障壁だった:次世代に受け継ぎたくない女性研究者の「バリア」
研究者の道を歩む中で、私はいくつかの「障壁(バリア)」に遭遇してきました。頑張っても思い出せない小さなものから、立ち止まってしまうほど大きな壁もありました。
その中でも、かつての私にとって最も心が折れそうになった経験を書き留めたいと思います。
応援してほしかった、大学院への進学
私は幼い頃から研究者への憧れを抱き、大学、そして大学院へと進みました。
祖母は私の頑張りをいつも褒めてくれました。
子供の頃、テストで良い点を取ったとき、高校や大学に合格したときも喜んでくれました。
しかし、「大学院」に進む頃になると、途端に褒めてくれなくなったように思います。
帰省するたびに、「まだ大学にいるのか」」と、聞かれていました。
「大学じゃなくて大学院にいるんだけど」と話し始めようと思った日もありましたが、「うーん、もうちょっと」とだけ返していました。
地元の友達が就職したことを手放しで褒め称えていたり、あそこの子は二番目ができたらしいという話をしてきたり。
「おめでたいね」と返していましたが、何を言って欲しかったのか、いまだに分かりません。
当時、私はやっとやりたい研究分野が見つかり、大学院への入試や日々の研究を必死に頑張っている時期でした。新しいことを学ぶ楽しさもあるけど、研究の世界に入ったばかりで右も左も分からず、沢山のやらなきゃいけないこと、学ばなきゃいけないことに、押しつぶされてしまいそうでもありました。
それにプラスして、友人たちは就職が決まり、結婚などのライフステージも変わっていく子もちらほら。
まだ学生を続け、経済的にも不安定な状態は明らかで、世間から取り残されるのだな〜という、なんとも言えない漠然とした不安とも戦っていました。
そんな中で、家族から認めてもらえないような気持ちで祖母の言葉を受け取っていました。どうしようもなく、悲しさで胸がいっぱいになったのを覚えています。
当時は、祖母に会うのが辛くなって、実家から足が遠のいた時期もありました。
祖母が抱えていた、もう一つの物語
少しだけ月日が流れ、私が博士号を取得した頃、母から祖母の過去について聞く機会がありました。
戦後に育った祖母は、本当は高校へ進学したかったけれど、父親(私の曾祖父)から許してもらえず、進学を断念したという経験を持っていたのです。
祖母がポロリとこぼした「あなたは大学で学べていいね」という言葉。その背景には、自分が得られなかった教育への羨望や、当時の時代背景による諦めが混ざっていたのかもしれません。
祖母は私を傷つけようとしていたわけではなく、彼女が生きてきた時代の常識の中からきた言葉だったのかと、気づくことができました。
個人の体験の裏にある「社会規範」という壁
この体験は、単なる「家族」の話だと思っていました。
その背景には、「女性に学問はいらない」という、かつての社会全体が持っていた強い規範(ルール)が存在しています。
祖母自身の進学断念も、私への戸惑いの言葉も、すべてはこのマクロな社会構造が、家庭というミクロな場に現れた結果なのです。
もし私が男性だったら、祖母は迷いなく私の進学を褒めてくれたでしょう。
実際に、私のいとこは私より偏差値が低い大学に進学しましたが、それはもうすごい勢いで褒められているところを目撃しました。
(偏差値が高いから偉いということではなく、私はやりたいことを見つけて、修士号も博士号も取っているので、”同じくらい”褒めてくれてもよくない?という気持ちです)
個人の努力ではどうしようもない「属性」によって、誰に悪意がなくても、見えない障壁が生まれてしまう。それが社会規範の持つ力です。
私たちは、こうした「個人的なモヤモヤ」を自分一人の問題として片付けてしまうこともあると思います。
私が自身の経験をこうして言葉にするのは、祖母を責めるためではなく、「何が私たちを悩ませていたのか」を正しく見つめ直したいからです。
社会の規範は、すぐには変わりません。でも、その構造を知ることで、私たちは自分を責めるのをやめ、次の世代がより純粋な気持ちで夢を追いかけられるようになることを願います。
この経験については、2月の「科学系ポッドキャストの日」に合わせてポッドキャストでもお話ししました。
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文責 はち
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