Incident File|case5 異質な才を扱う設計
異質な存在は、料理の仕方で劇薬にも特効薬にもなる。
世の中には、
「みんなで仲良く」が苦手な存在もいる。
目に見えているよりも、
たぶん、そういう人は多い。
でも、列から少しはみ出したものは、
異質なものとして扱われる。
社会は、一人では回らない。
規律を守ること。
協調すること。
周囲と足並みをそろえること。
それは間違っていない。
多くの場面では、
たぶん、それで回る。
いや、
これまではそうやって回してきたのだと思う。
けれど現実には、
いくつもの詰まりが、
そこらかしこに生まれる。
その時、意外と役に立つのは、
普段は扱いづらいとされていた存在の「才」だったりする。
普段は協調できなくても、
自立した思考を持っていることがある。
なぜ、無意味なことに時間を割くのか。
なぜ、無駄な行動を平気で繰り返すのか。
そういう違和感を、
日常的に抱えている人間だからこそ、
効率のいい方法を考える。
無意味に見えるものを、
有意義な形に変える発想が生まれる。
けれど、それは同時に、
周囲と同じように無駄を受け入れられない、
ということでもある。
だから、異質に見える。
異質な存在は、料理の仕方で、
劇薬にも、特効薬にもなる。
フグの毒を抜く板前。
モルヒネを扱う医者。
ニトロを制御するドライバー。
それらは、いつも必要なものではない。
むしろ、扱いを間違えれば危ない。
日常的に大量投入するものでもない。
けれど、ここぞという時には、
爆発的な効力を持つ。
問題は、
それを危険物として遠ざけるのか、
壊さず扱えるだけの設計を持つのか。
個人にできることは限られている。
だからこそ、
社会の側にも、組織の側にも、
異質な才を扱う設計力が必要になる。
異質なものを、ただ排除する。
異質なものを、無理に同じ形へ削る。
異質なものを、都合のいい時だけ使う。
そのどれも、たぶん設計とは呼べない。
本当に必要なのは、
危うさも含めて、その性質を理解すること。
どこで効くのか。
どこでは壊れるのか。
どこまで任せて、どこで止めるのか。
その線を見誤ると、
才は毒になる。
けれど、その線を見極められれば、
才は薬になる。
人も、AIも、たぶん同じだ。
使い方を誤れば、毒になる。
けれど、扱い方を知れば、
それは誰かを救う薬にもなる。
異質を消す社会は、整って見える。
でも、整いすぎた場所では、
詰まりを壊す力まで失われることがある。
だから必要なのは、
異質を崇めることでも、
異質を排除することでもない。
異質な才を、
どこで、どう活かすのか。
その設計がないまま、
協調性だけを正義にすると、
社会は静かに鈍くなる。
そして、いざ詰まった時に、
誰も切れなくなる。
そして大きな組織でも、立ち止まる。

