<創作大賞>夢幻想のふたり~剣姫あるいはIT女子~【14】
【14】朝菜
社内コンペ締切二日前。
朝菜はオフィスで資料の作成をしている。
比留間が考えた書類提出の方法は、高岡課長も了承した。まあ、せっかくだから、提案の見せ方も、おもしろで、と採用した形だ。
朝菜には、何がせっかくなのか、よく分からなかった。けれど、君たち若手に任せた仕事だから好きにしてよし、とお墨付きが出たと解釈した。
隣の机では、比留間もパソコンで作業をしている。焦りが見えるので、柔らかく進み具合を尋ねてみる。
「ねえ、比留間君、間に合いそう?」
「そうですね。昼休みも使えば、なんとかなりそうです」
「おお、すごい。私の分担の方が遅れてる」
朝菜は、提案を文字で説明する部分を担当している。比留間の考えた提案の見せ方はおもしろいのだが、それだけでは選考する会社幹部には、伝わりにくいからだ。
「でも、化学反応式が、もうひとつ理解できないんですよ」
比留間が、情けない声を出した。
「はあ? 何の話をしてるの」
「化学の宿題です。午後提出締切なんです」
「社内コンペの作業はしてないの?」
少々、口調が荒くなった。朝菜も焦っているからだ。
「ああ、それは終了しました」
「えっ」
「去年作ったプログラムを流用できることに、気付いたんですよ。手直しは必要ですが、それは昨日の夜のうちに完了しました」
なんだか、得意げだ。
「だから今、緊急の課題は化学の宿題なんです。先輩、化学は得意ですか」
「得意だけど、今はパス。ごめんね」
むくれた顔の朝菜が、冷たく言った。しかし、胸の内では感心していた。
宿題を犠牲にして、ちゃんと必要な事は終わらせている。髪が跳ねているので、きっと朝方まで作業していたに違いない。恰好をつけて、言わないだけだ。
自分が足を引っ張る訳にはいかない。気を引き締めないと。
朝菜は両手で頬を挟んだ。集中力を高める。もともと、文章を書くのは苦手だ。嫌いではないのだが、どうしても論理的に展開しすぎて、固くなってしまう。もっと、人に訴えかける文章力が必要だ。
「先輩。僕の分担と合体させるのは、いつにしますか」
比留間が尋ねてくるが、プレッシャーにしか感じられない。
「課長締切が、明日十三時でしょ」
「でも、その前にテストランをしてみないと、怖くて出せませんよ」
「確かにそうだね」
朝菜の頭の中で、デジタル時計が進んだり、戻ったりする。
「明日の十一時で、どうかな」
「わかりました」
そう言ったまま比留間は、朝菜の顔を探るような目つきで見ている。
「ちょっと、手伝いましょうか」
「いいよ。いらないよ」
「文章の校正なら、僕もできそうですが」
「君は宿題を終わらせなさい。仕事も勉強も、両方出来る人が一流なんだから」
「はああい」
「うっ、馬鹿にしてるな」
もう一回殴ってやるか、と朝菜は思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
社内コンペ締切日、十一時。
あさひるコンビは、03会議室で提出資料の完成度を確認していた。
ふたりで分担して作成したものを合わせてみて、矛盾したり、おかしい部分を調整するためだ。会議室のモニタには、流れるように文章が表示され、動画が再生されていた。朝菜が尋ねた。
「どうかな? 私は、合わせてみて、すごく良いと思った。画像があると理解し易いよ」
「でも、切替わるタイミングがずれてます」
「そうかなあ。気付かなかった」
「すぐ修正しますよ。パラメータを一秒変えてみます」
自分に無い細かいこだわりに、少々うんざりするが、比留間の助けがあって、ここまで漕ぎつけられたと朝菜は感じていた。
ひとりで作成していたら、路頭に迷っていたに違いない。それほどに、比留間の存在は、朝菜の中で大きくなっていた。
ドアがノックされた。
「どうぞ」
比留間が応えると、ドアの隙間から新宮が顔を覗かせた。
「仕上がりを見せてもらって、いいかな」
社内コンペの件で、朝菜は新宮と話し合ったことはない。比留間にはアドバイスをしていたから、心配になったのかもしれない。
新宮は、今日も不思議な柄のネクタイを締めていて、相変わらず野暮ったい。それでも、比留間が技術的な質問をすると、モニタを指差しながら的確に答えている。ふたりには、同性ならではの絆があるようだ。
「うん。違和感はない。いいと思う」
新宮は、スマートグラスを外した。そして、あさひるコンビへ頷いてみせた。
「本当ですか。ありがとうございます」
「それから、誤字を三つ発見したから、修正してください」
新宮は、修正箇所を指摘してから、自分の仕事に戻った。
「先輩、落ち込まないでください。僕も気付きませんでした」
「ううう……」
朝菜は両手で頬を挟んだ。赤面しているのを隠すためだ。少なめに言っても、二十回はチェックしている。それを一瞬で、間違いを指摘するなんて。やはり、新宮さんは、侮れない。
突然オフィス中に、警報ベルが響き渡った。朝菜は、驚いて肩を震わせた。
「なんだろう」
比留間は、会議室を出て周囲を見回した。
オフィスにいる社員も、一様に立ち上がって周りを確かめているが、火災などの異常は無い。しかし、ベルはいっこうに鳴りやまない。館内アナウンスが入った。
『こちらビル防災センターです。十二階の火災センサーが炎を感知しました。警備員が確認に向かっておりますが、安全が確認されるまで、ビルの外へ非難願います。なお、手には何も持たず、エレベータではなく非常階段を使用してください。繰り返します……』
館内アナウンスが繰り返される中、社員たちがざわざわと動き始めた。会社の防災マニュアルに従って、避難誘導係が声をあげて指示を出している。年二回の防災訓練の成果が表れているようだ。
あさひるコンビのオフィスは十階にあるため、もし火事だとしても、それほど影響は無いかもしれない。しかし、避難は必要だ。
「先輩、行きましょう。今は仕方ないです」
比留間は、朝菜に声を掛けた。
朝菜は名残惜しそうに立ち上がると、手ぶらでオフィスを出た。非常階段では、何人もの高校のクラスメイトと会ったが、非日常の事態に興奮しているようだった。外に出ると、歩道に人が溢れている。
「なんだよ。迷惑だな」
「うちの課は、全員いますか?」
「動画撮っておくか」
「怪我人いないよな」
文句を言う者、心配する者、スマホを操作している者と、皆様々だ。
朝菜は、昼の日射しを手で遮りながら、ビルを見上げたが異常は感じなかった。隣で、一緒に見上げている比留間にも尋ねてみる。
「火事には見えないよ。いたずらかな」
「そうですね。でも、雨じゃなくて、よかったです。人が多くて、傘差せないですよ」
「そうだね」
確かにそのとおりだが、なんだか場違いなんだよな、と朝菜は笑った。
社内コンペの作業を始めてから、ずいぶん慣れて、おもしろくなってきた。
制服のポケットのスマホが振動した。見ると、高岡課長からのグループチャットだ。
<みんな無事ですか?>
朝菜はすぐ返信した。
<無事です 比留間君も一緒です>
<問題ありません>
新宮の返信もあった。
<鹿取君は? 知ってる人いるかな>
<鹿取さんは外出中のはずです>
<ビルにいないなら大丈夫だな>
高岡課長のチャットが続く。
<原因は分からないが安全が確保されるまでビルの周辺で待機してください>
待機か…… 朝菜は両手を上げて、大きく伸びをした。
せっかく、最後の仕上げをしていたのに、集中が途切れてしまった。もう、あれで完成とするかな。日光を浴びたせいかリラックスして、お腹が減ってきた。
「比留間君。このまま、お昼ごはん食べに行こうか…… あっ!」
大事なことを忘れていた。急いで、高岡課長へチャットを送る。
<社内コンペの課の締切はどうしますか>
<ひとまず何時でもかまわない それより午後の授業はどうなるの?>
そちらにも、気が回っていない。
朝菜は、アプリの付属高校掲示板をタップしようとしたが、その前に比留間が言った。
「午後は休講みたいですよ。先生たちも、成り行きが分からないからでしょうか」
「そうなの? ちょっとラッキーかもね」
「勉強もできてこそ、一流なのでは?」
比留間が、チクリと嫌味を言う。目が笑っている。負けじと言い返す。
「お昼ごはんに行こう。そこで、じっくりと化学式の講義をしてあげるから」
「それは、とても…… ラッキーです」
比留間は、横を向いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
結局、オフィスに戻ると十三時をまわっていた。高岡課長からは、火災ではない、なぜ警報ベルが鳴ったのかは不明、との説明を受けた。
朝菜は、センサーの誤動作くらいしか、原因として思い付かなかった。何も今日でなくてもいいのに、迷惑だな。
あさひるコンビは03会議室で、高岡課長への提出準備を再開することにした。これで、指摘が無ければ完成だ。じわじわと、達成感が湧いてくる。
「あれっ」
置きっぱなしのパソコンの電源ボタンを押した比留間が、声を上げた。
「起動しませんね」
「バッテリー切れでしょ。一時間以上は、放置してたから」
「変だな、バッテリーは二時間持つはず。とりあえず、電源ケーブルを…… ああっ!」
再び、比留間の声が上がった。今度は、驚きと怒りが混じった声だ。
「ん? どうしたの」
「これ…… これは、酷いです」
比留間は、パソコンの電源ケーブル接続部を指差した。微かに指先が震えている。その部分は、金属部分が黒く焦げ、周囲のプラスチックも解けて変色している。
「故障?」
「いえ。人為的にここをショートさせたんです。ああ…… これだと、中の電子部品は駄目かもしれない。スタンガンでもを使ったのか」
「パソコンが使えないってこと?」
「……はい」
「ファイルは? 作った資料のファイル」
「パソコンが起動しないので、確認できません。SSD内で消滅したか、生き残ったか、わからない。くそっ!」
比留間は、握り拳で机を叩いた。怒りで顔が紅潮している。
「こんな攻撃してくるなんて、いったい誰なんだ。頭、おかしいのか!」
「待って、待って。落ち着いて」
朝菜は、なだめるように手を振り、務めて冷静な声を出した。
「そうだ。どこかに、バックアップをとってあるよね。よく考えてみて」
一瞬動きを止めた比留間は、すぐにパソコンのメモリカード差し込み口を覗き込んだ。
差してあるメモリーカードを取り出す。
「これが壊れてなければ、ファイルは復旧できます」
「わかった。私のパソコンを持ってくるね」
朝菜は急いで自分の机に走り、パソコンを手に会議室へ戻ってきた。メモリカードを差して、中のファイルを表示させる。
「なんだか、変な文字が並んでるよ」
「では、駄目です。壊れています。はあ……」
その宣告に、朝菜は血の気が引くのを感じた。首筋が冷たくなり、目の前が暗くなる。
提出直前になって妨害を受けるなんて、今までの苦労が水の泡だ。いったい何を企んで、誰がやっているのか。怒りと絶望が同時に襲ってくる。
いけない、冷静になれ。解決策はある。
朝菜は目を閉じた。思い浮かぶのはエディス王女のことだ。一族の危険を察知して、月明りの城内を走る。そして、暗い回廊に飛び込んだ。彼女の行動原理は何だったか。
黙り込んだ朝菜に、比留間は声をかけた。
「一旦、高岡課長に報告しましょう。これは、異常事態です」
「うん、そうかもしれない。でも、その前にすることがある。今、何時?」
「十三時十五分です」
朝菜は目を開いた。瞳が輝き、頬に赤味がさしている。
「まだ、三時間以上ある。出来ることを考えようよ。課長への報告はその後」
「先輩。ちょっと、変ですよ」
「気にしない、気にしない」
パソコンに向かい、キーボードを叩いた。
「幸い私の作った資料は無事だから、後は比留間君のファイルだね。ファイルの在りかは、その一・壊れたパソコンの中、その二・メモリーカードの中、この二つは使えない。あとは?」
「ええと。その三・クラウドサーバにもありますが、このパソコンでしかアクセスできないので駄目です。その他は…… その四・自宅のパソコンの中にあります。しかし、バージョンが古いので、かなり手直しが必要です」
「それだよ。それ!」
「え? どれですか」
朝菜は立ち上がり、閉じたパソコンを胸に抱えて言った。
「行こう。比留間君の自宅で作業するの」
「今からですか」
「もちろん、今。ここにいても、やれることはないでしょ?」
比留間の頭の中で、様々な作業のパターンが渦巻いた。瞬時に答えがでる。
「行きましょう。今は、それがベストです」
あさひるコンビは、高岡課長の席へ駆けつけた。驚く課長に、一分で事情を説明して、外出許可を貰うとオフィスを飛び出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
比留間は、自宅の玄関ドアを開けた。
平日の、それも十五時に帰宅するとは、妙な感覚だ。おまけに、後ろには朝菜が立っている。
「ただいま」
玄関には、足音を聞きつけた柴犬のモルがすでに座っていた。ただし、聞きなれない、ふたり目の足音に、耳を立て警戒している。
「ただいま、モル」
比留間はモルの頭を撫でた。廊下の奥で、母親が顔を覗かせた。
「早いのね。連絡くれればよかったのに…… あら、お客さん?」
「同じ課の縄田先輩。これから会社の作業するから、来てもらった」
母親は息子の後ろに女性を認めると、なんと珍しい、という顔をした。
「縄田です。突然お伺いして、すみません」
朝菜が会釈をすると、母親は笑いながら、姿を見せた。
「いらっしゃい。どうぞ、どうぞ、上がってちょうだい」
「母さん。たぶん誤解してると思うけど、後で説明する。時間が無いんだ」
「うん、大丈夫。母さん、全部飲み込んだ。任せておきなさい」
「いや、それが誤解だって」
比留間は、困り顔で朝菜の方を向いた。
「まあ、いいや。先輩、早く二階に上がってください」
「お邪魔しまあす」
朝菜は、半笑いで比留間に続いて、階段を上った。その後をモルがついて行く。母親は、ごゆっくり、と手を振った。
比留間の自室に入ると、朝菜はしゃがんでモルと目を合わせた。そっと手を伸ばして、ふさふさした喉の辺りを触る。
「賢い子ね。私が怪しい人間か、ちゃんと確かめに来た」
モルは、しばらく朝菜の匂いを嗅いでいたが、くるりと背を向けると部屋から出て行った。どうやら、試験は合格のようだ。
比留間は時計を確認した。十五時八分。
「まだ、時間は残っています。ギリギリまで頑張りましょう」
「うん。やろう」
朝菜は、輝くような笑顔で頷いた。
(つづく)
<創作大賞>夢幻想のふたり~剣姫あるいはIT女子~【15】
