<創作大賞>夢幻想のふたり~剣姫あるいはIT女子~【13】
【13】エディス
全くの暗闇の中で、水がはねる音がする。
水の中にいる人間が、時おり腕を大きく動かしたり、水中で足をばたつかせたりしているからだ。
冷水に体温が奪われるため、常に血の巡りを活発にする必要があった。水深は胸の上まであり、立った状態を強いられる。
暗闇の中では上下左右の方向感覚が曖昧になり、覚醒していないと溺れてしまう危険性があった。
アリエスは、そんな過酷な水牢にありながら、何かを待ち続けていた。どれくらい経っただろうか、さすがのアリエスも嫌気がさして大声で喚きたくなった頃、遠くにぼんやりとした光が灯った。
「やっと、来やがった」
アリエスは、舌打ちと共に吐き捨てた。
一本の蝋燭を持った人間が、近づいてくる。水牢の前で止まると、金属が擦れる音を立てて、牢の錠を解いた。
アリエスは、自ら扉を押し開けて外に出ると、廊下に座り込んだ。深呼吸をする。さすがに、疲労しているようだ。囚人服から滴り落ちた水が、影のように黒いしみを作った。
「着る物、持ってないか」
「無い」
「気が利かないな。何か、用意しておけ」
「知るものか。俺は言われたとおりにするだけ。それ以上、融通を利かせる義理は無い」
「武器もないのか」
「この場で、殺されたくないからな。自分で調達しろ」
「けっ。殴り殺してやろうか」
アリエスは、毒づいた。
体力が回復したのか、すぐに立ち上がる。
「思いやりのないお前には、もう一仕事やってもらう。王一族の女どもを始末しろ」
「なんだと。約束が違うぞ。お前を牢から出すだけのはずだ」
「気が変わった。配慮を欠いたことを後悔するんだな。人質を取ってる方が強いことを思い知れ。王や王子は、わたしがやる。男どもだと、少しは手ごたえがあるだろう」
蝋燭の光が、残忍な笑い顔を映し出す。
「魔女め……」
「ああ。それから、剣姫には、手を出すな。あいつは、わたしの獲物だ。一番楽しめそうだからな」
魔女は行けとばかりに、顎をしゃくった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
エディス付き侍女頭カナリエが、その轟音を耳にしたのは、寝台の上だった。
もちろん、物音一つしない真夜中だったので、ぐっすりと眠っていた。
初めの音は、遠雷のように耳をくすぐる音でしかなかったが、二回目の地鳴りのような音と振動は、寝ぼけた頭にも異変が起きたことを感じさせた。
三回目の暴力的といえる爆発音と寝台を動かすほどの建物の揺れに、文字通りカナリエは飛び起きた。
轟音が消えても、頭の中には痺れが残り、声が出せない。幸い体は動いたので、慌てて隣部屋の侍女たちの様子を確かめた。
若い侍女四人が、相部屋になっている。皆寝台から降り、床に座り込んで震えていた。
「お、お、お前たち、怪我は無いかい」
カナリエが声を掛けると、四人の侍女からは、かすれた声の返事があった。ひとまず、大丈夫な様子だ。
「ああ、エディス様のところへ行かないと」
侍女頭は暗い廊下をものともせず、裸足のまま、エディスの部屋へ走った。部屋の前に達すると、扉を叩きながら大声で叫んだ。
「姫様、エディス様、姫様!」
返事はない。もしや一大事かと、悪い考えが頭をよぎる。カナリエは、入ります、と怒鳴って扉を開けた。
部屋の中では、蝋燭に火が灯っていた。寝台の上には誰もいない。当のエディスは、窓を開け、城の中庭を眺めていた。夜風に、髪がなびいている。
「姫様、姫様!」
緊迫した声に、エディスが振り返った。
「もの凄い音と揺れだったな。初めて聞いた。なんだ、あれは」
驚いたとか、恐ろしいというよりも、興味を引いたという言い様だ。顔にも動揺は無い。むしろ、興奮で頬が紅潮している。
カナリエは、安心したせいか、尻から床にへたり込んだ。良い方へ、裏切られた気分だ。そのせいで、いつもの自分へ立ち返ることができた。
「エディス様。よもや確かめに行こうなどとは、考えておられないですよね」
「お前が、そこで通せんぼしてるからなあ」
「駄目です。どんな危険があるか、分からないのですよ」
「わかった、わかった。せめて、誰か呼んできてくれないか」
侍女頭は、仕方が無い、と立ち上がろうとすると、腰に激しい痛みがはしった。
「あの、姫様。腰が抜けて、動けません」
「なんだ、カナリエらしくもない」
エディスは、侍女頭の腕をとって、ゆっくりと引き上げた。肩を貸して、寝台へ静かに寝かせる。
「お前。わたしと十歳しか離れていないのに、情けないぞ」
「申し訳ありません。夢中で走ってきたので、無理しすぎたようです」
「そうか。心配してくれて、ありがとう」
エディスは、カナリエの肩にそっと触れる。今しがた、夢で見たアサナの影響か、優しい気持ちになっていた。
「さて、轟音の正体をどうしたものか」
「侍女のひとりを使ってください。怯えていましたが、わたしよりも動ける筈です」
「わかった。そうしよう」
エディスは、寝台にカナリエを残し部屋から出て行った。
壁に掛かった、白銀の剣からは、青白い光が漏れている。カナリエは、やはり気色悪いと思った。
しばらくの後、四人の侍女たちが様子を伺いに来た。四人はエディスから、カナリエが腰を痛めたので誰か介抱するように、と指示されていたからだ。
カナリエは、まだ寝台の上から動けずにいたが、目と口は普段通りだ。四人が塊のようにして、部屋に入ってきたのを見て言った。
「四人だけかい。姫様は、どうしたんだい」
そう問われて、侍女のひとりが、おずおずと切り出した。
「あの、エディス様から、どうしても貸せと申し付けられましたので、わたしのお仕着せをお渡ししました」
「なに。まさか」
「はい。それをお召しになって、外へ出てゆかれました」
「危険だろう。どうして、お止めしなかったんだい」
上役の言葉に、侍女たちは互いの顔を見合わせた。皆、困った様子だ。
「私どもに、姫様を止められると、本当にお思いですか?」
カナリエは渋い顔をした。確かにその通りだ。あの腕っぷしには、並の人間がかなう訳がない。それにしても、あのお転婆め、戻ってきたら小言の千も聞かせてやらねば。
「もういい。わたしを部屋まで連れて行っておくれ。いつまでも、ここには居られない」
開いた窓から、外の騒ぎ声が大きく響いてくる。きっと、いらぬことに首を突っ込んで、疲れて帰ってくるに違いない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
侍女のお仕着せを着て、髪を布で隠した姿になったエディスは、急いで中庭に出た。
月は傾いているが、まだまだ夜明け前だ。月明りの下、多くの警備兵や使用人が同じ方へ向かって押し寄せている。その先に、轟音と揺れを起こした、何かがあるのだろう。エディスは、人の流れに飛び込んだ。
王城は、高い外壁をめぐらせた中に、石造りの建物が幾つも点在するかたちになっている。警備隊の詰所も、その内のひとつだ。
そしてなによりも、中心部には王とその一族が暮らす王宮があるのだが、人の流れはそれとは異なる方向へ向かっている。
城を正面から見て左の奥まった辺りには、百人以上の人間が集まり、騒然としていた。
「なんだ、倉庫の壁が崩れてるぞ。それに黒焦げだ」
「屋根も落ちてる」
「石を積んだ壁が、簡単に壊れるものか。人の仕業ではないぞ」
「雷だろ。でかい雷に打たれたんだ」
「何言ってる。雨も降ってないし、嵐も来てないじゃないか」
エディスは、人の合間を縫って、崩れた壁の側まで近づいた。皆が言うように、食糧倉庫の壁が崩れている。
ただ崩れたというよりも、巨人の手で薙ぎ払われたかのようだ。大きな石材が吹き飛んで、あちこちに転がっている。匂いも、普段嗅いだことのない、不快な悪臭がする。
「おい、そこの女。それ以上、前に出るな。危ないぞ」
警備兵が、声を掛けてきた。エディスは、うつむいて顔を隠した。王女と判ったら、何を言おうと連れ戻されるだろう。
「王女付きの者でございます。姫様から、様子を確かめてくるよう、仰せつかりました」
「それは、ご苦労だな。しかし、何が起こったか、今は我らにも分からない。まあ、見たままを報告してくれ。何日かしたら、原因も判明するだろ」
中年の警備兵は、やんわりとエディスを押し戻した。確かに、この状態では、それ以上のことは言えない。優しい性格のようだし、本当に危険だと、思っているのだろう。
「人や物の被害は、無かったのですか」
「夜は人の出入りする倉庫ではないからな。見たところは、亡くなった者や怪我をした者は無さそうだ」
エディスが、そうですか、と引き返そうとすると、別の警備兵の話し声が耳に入った。
「ドンと音が鳴って、すぐに俺が駆けつけたらな。凄い速さで逃げてく人影があってよ。それが、髪振り乱した青い肌の女だったんで、恐ろしくなっちまってさ。あれは、この世のものじゃないなあ。えらいもんに会っちまったよ」
嫌な予想が、エディスの頭をよぎった。倉庫の屋根や壁が崩れ落ちる怪異、髪を振り乱した女。女だと。まさか、あいつが。
「その女はどちらへ行きましたか」
「あっちだな」
警備兵は城の中心部を指差した。
「娘さん、まさか探しに行こうとしているのか。やめとけ、やめとけ。あれは、土地に憑く亡霊の類だ。興味本位で、見に行ったら呪われるぞ」
大きく手を振って止めようとするの振り切って、エディスは走り始めた。女の向かった方向が気にかかる。
急いで、王の一族が住む、中心部へ繋がる暗い回廊へ足を踏み入れた。さきほどから、剣姫の直感が、最大級の危険を告げている。最初にアリエスを捕まえた、カダン商会のときと同じだった。
エディスは直感に優れているが、思い込むと周りが見えなくなり、一直線に突き進む癖がある。その性格が災いした。まさにこの瞬間、唯一の出入口である大門で、大勢の人間が雄叫びを上げ、王城が危機に瀕していた。しかし、その声はエディスの耳には、届かなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
王城の周りには深い濠が巡らされている。ただひとつの出入口である大門へは、大きな石橋が架かっている。通称は、皆殺し橋。不吉な名前だが、誰に尋ねても、その由来は分からない。
城の対岸の橋のたもとに、夜陰に紛れて忍び寄る者たちがあった。恰好は仕事にあぶれた傭兵のように見える。人数は二十余人。
汚れた軽い鎧を付けて、面を被った者もいれば、頭はむき出しの者もいる。体格が大きい者や細いが無駄の無い筋肉を付けた者もいる。一見統率がとれていない、寄せ集めの集団のようだが、その目はみな一様に肉食獣のようにぎらついていた。
石橋の城側、大門には篝火が焚かれ、鎧を着た六人の警備兵が槍や剣を手に、常時見張っている。門の両脇には側防塔があり、高い位置に弓を持った警備兵四人を配して、有事には攻撃ができるようになっている。
集団の頭目らしき背の高い男が、警備の配置を確認して言った。
「もうすぐ、城内で爆発が起こる。警備の目がそちらへ向いたら突撃だ。俺が合図を出すから、機を逃すな。いいな」
「……」
全員が無言。この集団では、それが了解の返事だ。
「姐さんが、決死の覚悟で中に潜り込んだ。失敗は死を意味する。姐さんも俺らもだ。腹をくくれ」
「……」
集団は、低い草木の茂みに身を隠している。濠に架かる石橋へ辿り着くには、開けた草地を走り抜けなければならない。まず侵入者は、ここで発見される。
石橋も、狭く長く造られている。人が横に四人並べる幅で、長さは二百歩ほどだ。この長さを渡っている間に、弓矢の餌食になるだろう。さらに、渡り切れたとしても、警備兵の刃が待ち構えており、突破は困難だ。
もちろん大門の門扉は、城の住人以外に対しては、常に固く閉ざされている。これをこじ開けるのにも、強大な力が必要だ。
月が傾き始めた。決行の合図を待って随分経つが、まだ動きが無い。頭目の顔に苛立ちが表れてきた。姐さんが、上手に捕まって、馬で連行された姿が脳裏に浮かぶ。
まさか、もう処刑されてしまったか。それなら俺達だけで突入するか、いや撤退か。同じ考えが、巡り巡って、焦りばかりが積み重なってゆく。
頭目は隠しから、手のひらで握れる大きさの黒い塊を取り出した。一本の導火線が付いている。これに火を点け、炎が塊に達したときに爆発を起こす。まだアストリアム王国には無い、火薬という武器だ。
手のひらの大きさならば、人の四、五人は軽々と吹き飛ばすことができるだろう。さらに量を増やせば、分厚い門扉も破壊することができる。大量の火薬を数人で分けて持って突入する。これが作戦の肝だ。
城の方角から、轟音が三度続けて響いた。濠の対岸においても、頭が痺れるような空気の振動が感じられる。待つことに飽きて撤退の雰囲気を漂わせていた者たちは、再び緊張感を取り戻した。
頭目は守備の兵士の動きを確認した。突然の異変に、兵たちは驚き、完全に注意は城内へ向いている。
「行け、行け、行け!」
短く命令を発すると、頭目自身が走り出した。姿勢を低くして、全速で草地を走り抜ける。集団も遅れずに全力で追従する。二十余人が欠けずに、石橋まで辿り着いた。
守りの兵士たちは、まだ城内に気を取られている。頭目は、火薬の塊を手にしていた。すでに導火線は燃えている。城門に向かって投げつけた。
これは変だ。頭目は異変に気付いた。
守備の兵士が脇に避けて、門扉の前ががら空きだ。側防塔の兵士が合図を送っている。投げた火薬は門扉の前に転がって爆発したが、損傷を受けた兵士はひとりもいない。
そして厚く重いはずの門扉が、以外なほど素早く開くと、そこには三段十二本の長槍を構えた兵士たちが待ち構えていた。さらに、その後ろにも、第二陣の鋭い穂先が見える。雄叫びが上がり、槍が前に突き出された。
「待ち伏せだ!」
頭目が必死の形相で叫ぶ。しかし、引き返そうにも集団のほとんどが、石橋を渡り切る寸前だ。皆全力で走ってきたために、止まろうにも止まれない。
侵入者たちは次々に、槍の壁へ飛び込んでいった。
(つづく)
<創作大賞>夢幻想のふたり~剣姫あるいはIT女子~【14】
