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あとのせさくさく

 カップ蕎麦の、“あとのせ”タイプの天ぷら。あれを載せるタイミングって、実は結構、重大な問題なのである。
 カップ蕎麦愛好家が一度は突き当たる“永遠の哲学的課題”と言っても、過言ではないだろう。

 「そったらモン、おまえ個人の感想だべが?説明書きの通りに載っけりゃ、間違い起こしようねーべや…」

 …エエ、重々承知しております。私個人の、極めて個人的な感想で御座います。ハイ…。

 メーカー側が親切にも“あとのせサクサク”を推奨し、わざわざ天ぷらの小袋を分ける手間をかけてまで“サクサク感”を演出している現代において、敢えてそのルールに抗う明確な理由は本来ないはずだ。

 いや、別に、メーカーの意図に反旗を翻したいわけではない。まぁ、何ちゅうか、本中華…。まぁ、ただ、食はクリエイティブなものとの観点から、“天ぷら投入タイミング問題”に独自の解釈を加えてみたい…という趣旨で、恐れ多くも書き進めてみたい…。

 …絶対、今回の文章も纏まらない予感がしているのだが…。


 さて、この問題を探るにあたり、職場の同僚四人をサンプルとして観測調査した結果、勝手ながら以下の“四大派閥”に分類させて頂いた。
 なお、登場人物はすべて仮名であり、本人たちからは、半ば呆れられつつも文章化の許可を得ている。感謝。



其の一・『徹底抗戦派“あとのせサクサク至上主義”』

 隣の部署のヤマダ氏。同期かつ室蘭からの単身赴任仲間。

 メーカーの意図を完璧に汲み取るスタイル。いわば、“優良顧客”の鑑である。
 “マジン・ゴー!”と、カップに湯を注ぎ、待つこと3分。
 蕎麦をほぐし、つゆを混ぜ、完璧な舞台を整えたその刹那、最後の仕上げとして、“パイルダー・オン!”。

 「やっぱさ、このクリスピー感が圧巻なわけ。つゆに浸かってないトコの香ばしさと、浸かったトコの境界線…。この“食感のコントラスト”が、タマらんワケよ…」

 ちなみに彼は、カップ蕎麦を食す度毎に、上記の二つの掛け声を実際に声に出している。
 掛け声までがメーカー推奨手順に含まれているのかは、依然として不明である。


其の二・『融和派“ちょい浸し・中入れ”』

 私の部署のシマノ君。

 蕎麦を半分ほど食べてから投入、あるいは投入後にあえて数分待つスタイル。
 “ちゃぽん…”と、天ぷらを落とし、それが馴染むまでの間、サイドメニューの塩むすびを頬張る。

 「“サクッ”と“ふわっ”の共存ですよ。衣が少しずつ剥がれて、つゆに油のコクが溶け出していく。終盤に向けてつゆの旨味が“ブースト”されていくのが、実にいいんです…。って、この“ちょい浸し・中入れ”ってタイトル、一体何なんすか?聞きようによっちゃ、オレ、まるっきり“イヤらしいヒト”みたいじゃないっすか…?ねぇ、何とかなりません!?」

 何ともなりません。すまぬシマノ。オレの語彙力の限界だ。
 愛車のターボ車を華麗に操る彼らしい、加速装置的な楽しみ方である。


其の三・『背徳の先入れ派“ドロドロ・じゅわじゅわ愛好会”』

 ヤマダ氏の部署のカワゾエ君。

 “あとのせ”と書いてあるにも関わらず、最初から天ぷらを鎮座させて、熱湯をぶっかける“禁忌”のスタイル。3分間姿勢を正し、数独を解きつつ待つ。

 「天ぷらが完璧に“つゆの一部”になるのです。箸で持つと崩れるほどの柔らかさに“トドメを刺す”。天ぷらの油を吸い尽くした、あの重厚なつゆこそが、カップ蕎麦の醍醐味なのであります…」

 ちなみに彼は、文武両道の武道家である。彼の言葉には、妙な説得力と威圧感がある。
 人は彼を、我々の職場における“最後の良心”と呼ぶ。


其の四・『蓋上待機派“蒸し”』

 定年後、再任用で勤務するマツキ先輩。私の元上司である。

 基本は“あとのせ”だが、ただ漫然と待つのではない。小袋を蓋の上で温め、蒸らすというひと手間を加える。

 「ほれ、冷え切った天ぷらを入れたら、つゆが冷めるべさ。衣の水分を絶妙に調整して、サクサク感を維持してよ、つゆとの“馴染みを良く”してやろうとしてる訳さ…。ま、ちょいとした“職人技”ってヤツだわな」

 今も昔も職人肌で、やることなす事が実に緻密なのである。
 これからも燻し銀の背中を追い掛けよう。


番外・『お楽しみはこれから派“天ぬき”』

 蛇足承知で…。

 マリノスケ。この文章らしきモノの書き手である。

 天ぷらを最後までのせる事なく、麺をあらかた啜り終え、残ったつゆに天ぷらを投入し、所謂“天ぬき”風で食すスタイル。自称“粋人”と宣(のたま)っている様だが、只の“はんかくさい者”である。

 「天ぷらは、蕎麦の引き立て役ではなく、それ自体が主役を張る“一品料理”だわな。つゆに浸すのは、最後の一口だけで十分。サクサクのまま齧り、つゆで流し込む。これぞ粋の極み、至高のフィナーレだべさ…」 

 ついでにこのアホ、天ぷらをつゆにも落とさず、手掴みで煎餅代わりにボリボリ喰らっていることもある。

 「これを、所謂“手抜き”風で食すスタイルと言うんだべや…(キリッ!)」

 …だとよ。最早、文明人ぢゃねぇわ、コイツ…って、どうでもいいけどよ、ボロボロと溢しながら掻っ喰らってんじゃねーよ。

 実に“大雑把”、“いい加減”、“ガサツ”、“粗雑”、“不精”、“物臭”、“横着”、“怠け者”、“スケベ(←コレ、関係あるか?)”…な者らしい、極悪人級の振舞いである。メーカーにとっては、“永久追放モノ”の不届き者と言えようか。



 さて、以上が、私の狭い観測範囲内における、“天ぷら四大派閥+α”の全容である。
 たかがカップ蕎麦、されどカップ蕎麦。
 次に貴方がその小袋を手に取るとき、どのタイミングで“決断”を下すのか。
 それは単なる食事の作法ではなく、貴方自身の生き様を映し出す“鏡”なのかもしれない…。


 …って、エラそうにまぁ…。


〜後記〜

 次回は、カップ焼きそばの“かやく”について…。
 …いや、やりません。

北海道内限定販売。渡道された暁には、是非御賞味あれ。
皆様の御越しを、御待ち申し上げております。

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