見出し画像

普通とは、時代と社会情勢によっていかようにも変動する移ろいやすいもの


この章では、その多数派の意見、そして「普通」というルールそのものが、時代や社会情勢によっていかようにでも変動する、曖昧で移ろいやすいものである、という事実を解体していきます。


◆ファッション文化にみる普通の変移

現代では男女問わず髪型も服装も自由です。化粧も自由です。
しかし、自由なのに「大衆心理」と「TPO」が無意識に反映され、ある程度「型」にはまった文化になります。

例えば「歯」。
現代では、「白い歯」が健康的で対話相手に不快感を与えないものとして当たり前(つまり普通)として認識されています。
しかし時代を平安時代まで遡ると真逆の普通にたどり着きます。
平安時代では、白い歯は未熟と考えられ、後に既婚女性の象徴と美人の証明手段、相手におくゆかしさを与える、品格や身分の高さを示すという大衆心理と文化の影響で、歯を黒く塗る「お歯黒」文化が普通のファッションでした。
現代でいくらファッション雑誌が「これからはお歯黒が流行る!」と展開しても、大多数の女性達はお歯黒ファッションなんてやらないのではないでしょうか。

会話方法も変移してます。
平安時代~江戸時代まで、「話すときに歯を見せない」のが、マナーであり身だしなみの常識でした。その為、お歯黒にしていると歯が目立たないので、お歯黒文化も形を変えながら長く続いていました。
しかし、明治維新によって西洋文化と近代化政策によってこの文化は「野蛮なもの」とみなされるようになり、なんと明治政府が華族に対してお歯黒と眉そりを禁止する法令を出すまでになります。

ただ、見た目だけで禁止した訳ではないです。
衛生観念の流入によって価値観が変わっていったためです。
西洋では古くから白い歯は清潔感、健康、富の象徴とされており、西洋式の歯ブラシや練り歯磨きが普及しはじめ、口内衛生への関心が高まりました。
そのため「白い歯=清潔で美しい」という新しい美意識を育む土壌となった結果です。

ファッションはどの時代でも「虚像」であり消費文化そのものです。しかし、その根には自然や神への祈りという“本質的欲求”が息づいています。
時代を経て、見せる相手が“神”から“人間”へ、“共同体”から“自分自身”へと変わっただけなのかもしれません。

ファッションから見ると、いかに日常生活の普通が時代によって変動しているのかがわかるのではないでしょうか。


◆社会情勢の変化による倫理の崩壊

ファッションの変化から見えてきたように、「普通」は社会の美意識とともに姿を変えます。では、人の命や倫理観の領域ではどうでしょうか。

現代では殺傷行為は人道に反する犯罪行為として厳格に処罰されます。
犯罪目的による殺傷行為はどの時代でも人道に反する行為として処罰されてきました。
(これも時代によって復讐や仇討ちによる殺傷行為は正義として容認されていましたし、階級によって処罰対象から外されるなど、一律ではない点で注意が必要です)
しかし、ここでおかしな「普通」が登場します。

そう「戦争」です。

戦争状態になると敵(同じ人間)を殺害する事は、脅威を排除した英雄行為として国を挙げて賞賛されます。
逆に敵を恐れ逃げたり、逆に逃がしたりすると「国賊行為」「意気地なし」として非難されます。
おかしな話ですよね。殺傷行為を失敗したり躊躇すると「非難」されるんですから。
でも敵を倒さないと自分達や国が滅びる(殺害される)ので致し方ない心理です。

この戦争状態での普通も、戦争が終結すると一瞬で逆転します。
戦争中に多くの敵を倒した人は、英雄扱いだったのが途端に「大量虐殺者」として非難、忌諱されるようになります。
当事者にしてみれば、賞賛と非難の間で振り回される人生です。命を懸けて国を守ったその手が、翌日には「人殺し」と呼ばれる――これほど残酷な価値の反転があるでしょうか。

そして大多数の人間は哲学者達の指摘通り感情論で動くので、自分達の行いに疑問を持ちません。
誰もがやっている。誰もがそう考えているという事を根拠に自分の感情を「普通」として持ち上げるのです。

「人の生き死に」という重大な倫理すら、このように社会情勢によっていとも簡単に賞賛←→非難という「普通」がころころと変わるのです。


◆「遅刻」から見る社会構造の変化による変動

学校生活、会社勤め、プライベートの約束などにおいて「遅刻」は関係者のスケジュールや目的達成に影響を及ぼすため、ルール違反としての「普通」として根付いています。
平成まではそれが当たり前でした。
皆決まった時間に登校、出勤し、決まった時間に下校、退勤するのがルーティンだったので。
これは多数決による統計からしても「誰もが納得する妥協点」でした。

しかし、令和の現在ではこの妥協点が変動しました。
フレックスタイム制度やリモートワークの普及と、フリーランスや個人事業主の増加です。
この普及によって、コアタイムや相手方との「締結した時間」を基準に行動するようになるので、決まった時間に出社する必要も、業務を開始する必要もなくなりました。
と、なると、彼らにとっての遅刻とは「相手方との約束の時間に遅れる」事が遅刻のルールとなります。
従来の「一律に朝8:00出社」に遅れる事が遅刻という概念とは明確に異なります。

このように現代でも今までは当たり前だった「遅刻」という普通の概念も変化しているのです。

「遅刻=決められた時間に遅れる」という定義は、産業社会のスケジュールに合わせた“集団の都合”から生まれたものです。
しかし、リモートやフレックスタイム制度、個人仕事が増えた現代では、「誰と何を約束したか」という“関係の本質”に立ち返りつつあります。

今後は「遅刻の普通」は、多数の人の衝突と協議によって妥協点を定めるというルールからすると、一律的な時間制約に違反するのが遅刻ではなく、「相手方との約束に遅れる事」に変化していくのではないかと思います。
つまり、一般的な遅刻の定義と説明定義が変わるという事ですね。
ただし、遅刻の本質は「相手方との約束」に遅れる事です。
でも皆が一律的な時間制約で生活してきたため、遅刻=決められた時間に遅れる事に定義がすり替わっちゃっただけとも言えます。

遅刻という普通から見ると、それに慣れてしまい「本質」を忘れてしまっているだけです。
しかし大多数の人は「それが当たり前で普通」と認識してしまうのでこのような、当初は当然だった本質を忘れてしまい、外面で判断し「これが普通だから」と是正しなくなってしまうのです。

時代による働き方の変化によって、遅刻という普通の本質を改めて考えさせられているのではないでしょうか。


◆次の章

普通とは「いつ」「誰が」定めたのか。
その“いつ”が変わるたびに、私たちは気づかぬうちに、新しい「普通」に従ってしまうのです。
次の章では、「あなたって普通ですよね」から始まる“普通という暴力”を解体し、普通を見定める要素がいかに複雑なのかをまとめで明らかにしていきます。




📩 ご感想やご意見は、X(旧Twitter)でも受け付けています。

💌 匿名でのメッセージはマシュマロでも受け付けています。


いいなと思ったら応援しよう!