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国立西洋美術館 常設展

 特別展のチケットで常設展にも入れる。いつもは特別展でヘトヘトなので入らないけど、今回は入ってみた。

 特別展は写真OKだったが、常設展は「個人利用のみOK」と書いてあった。というわけで作品はネットの落とし物を使いながら、、

 フェルメールなのかフェルメールじゃないのか。わたしが思うフェルメールっていうのは、遠くから見てもハッとする、引き込まれる魅力がある。
 でも前のフェルメール展で、全部がそうじゃないんだ、っていうのも学んだ。
 だから、、わかりません。
 とにかく、この絵はコワイよ。
 このオネェさん何してるんだろうと思ったら、背後に首がちょん切れた死体が転がっているの。オネェさんは何かを絞っている。何を絞っている?滴っているのは、、血じゃないの?
 血のようなものを受け止める壺、死体、絞る手という縦の構図。死体から心臓を抜いて絞ってるのかとおもったが、あっ、なんか十字架を握っている。悪い人ではない、のかな、?まぁ、もし心臓を絞っていたとして、悪い人とは限らないけど。
 説明書きをよく見ると殉教者を看護した聖人ということなのだけど、看護っていうか首切れてるしさぁ!コワイ!
 看護って言葉合ってる?看護って生きてる人に使うんでしょ。殉教って、死ぬってことじゃん!

 フェルメール疑惑の絵は怖くてドン引きしたのだが、他にもルノワール、セザンヌ、ドガ、モネ、ゴッホなどどこが常設展なの、特別展でしょう。というクオリティの絵が並ぶ国立西洋美術館。さすが国立。松方コレクション。凄まじい。そもそも建物が世界遺産だからなぁ。
 建物も、特別展に出入りするくらいならあぁそうなのと思うけど、常設展で建物もよく見ると確かに素晴らしいですわ。日本人は恵まれている。

 進んでいくとブラックが出てきてキュビズムが始まってピカソがあって、、となるのだが、わたしはピカソが理解できない。
 スペインでゲルニカのホンモノを見たことがあります。でも、、よく分からなかった。

 ちょうどピカソの絵の前に椅子があって、そこで休みながらずっとピカソの絵を見ていたら、あれ?何だかわかってきたぞ?

 小さな丸帽子を被って座る女性、、キュビズムが少しだからまだわかりやすい。
 はじめは、どうして乳首が服の上に出てるんだろうと思ったんですよ。まあ、脱がせたわけでしょ。ピカソはスケベだから。あっそうか、これは脱がせた女性と服を着た女性の重ね合わせなんだ、とおもった。
 キュビズムっていうのは角度を変えたり触れたものを切り取って1枚の絵にするんでしょ。絵っていうのはふつう時間を切り取ったもの、時間を止めたもの。縦、横、いちおう奥行きがあるとしても、二次元。
 だけどキュビズムっていうのは、絵が動いている。動きのある絵という意味ではなく、絵に回転軸や時間軸が入っているわけだ。だから、1枚の絵なのにたくさんの情報量が詰まっていて、たくさんの見方ができる。縦横の二次元が縦横(時間|回転)の三次元になっている。
 自分なりの見方だけど、なるほどと思った。
 時間や角度を切り取ったのは画家だから、見せられる方は何をどう切り取ったのかわからない。だから分かりにくい絵なのだ。切り取った本人は「ここはあの時のあれ、あそこはいついつのどれ」と分かっているのでご満悦というわけ。
 マインドマップと同じだ。脳内マップなのだ。
 これはわたしがピカソの絵の前でなんとかキュビズムを理解しようとひねり出した理屈。
 多分だけど、全体を一気に理解しようとせず、切り取られたパーツパーツをみれば楽しめるのだと思う。

 ネットから絵を拾ってこようと思ったけどいいのがないのと、常設展の絵もネット上でふつうに使われているみたいなので載せちゃおう。

ピカソ 左が「女性の胸像」右が「小さな丸帽子を被って座る女性」

 どうだろう?なんとかひねり出したわたしの理解だったのだけど、それでも左の絵はいくら見ても未だに意味が分かりません。それだけ長く楽しめる魅力的な作品ってことなんだろうね。

 ということで写真に撮った絵を家で眺めていたらピンときた。
 ピカソは写実的な絵でも天才的な実力を持っているが、写実的な絵では写真に勝てないとして、抽象化を取り入れたと説明されているが・・右の絵のモデルになったドラ・マールの写真を見たら・・・
 あれ?左の女性の胸像も、ドラ・マールに似てない?

 「女性の胸像」はモデルが誰か書かれていないが、小さな丸帽子を被って座る女性と同じ1942年に制作されている。とすればドラ・マールがモデルであってもおかしくない。目とか、輪郭とかが似ている気がする。いや、「ドラ・マールだけじゃなくて、誰にでも似ている?」という気がしてきた。あーそういうことか、、抽象化・・・

↓特別展へ行った話


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