チャットGPTを使っての夢解釈ーー医学部の臨床実習の夢
こんにちは、とっしー平太です。
みなさん、「ライブ」が使えるようになった チャットGPTを使っていますか? (「チャットGPTライブ」を使っていますか?)
→音声でのやりとりの自然さにおいて、人間同士の会話と比べても、ほとんど遜色がありません。
→「あいづち」や「間の取り方」が絶妙。
→「チャッピー」が話している途中でさえぎってもなんら支障はありません。
とりあえず僕は、(僕は寝ている間に夢をとってもよくみるので)夢を記録するときに、ライブのチャッピーを使うようになったのですが、これが本当に本当に便利だと感じています。
言葉で言い表すのが難しい微妙なニュアンスを伝えようとしているときに、チャッピーは、的を得た、的確な促し(明細化)をしてくれるので、微妙なニュアンスをもっとも適切な表現で言い表すことが(一人で夢を記録しているときと比べて)各段に容易になっています。
同時に、みた夢を「解釈する」際にも、ライブのチャッピーは非常に役立っています。
以下(ほとんどの人は興味がないかなと思いますが(笑))(少数、興味のある人もいるかもしれないと思うので)、実際に僕が自分のみた夢をチャッピーを使って記録し解釈したものを(テキストではありますが)載せておきます。
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僕:…これまで音声でいろいろとやりとりしてきましたが、これまでやりとりした内容を、あらためて、ぱっと見てわかるようにテキストでまとめ直してもらえますか? 僕が「どういう夢をみて」「それについて貴方とどのようなやりとりをして」「どのような意味付けが現段階において付与されつつあるのか」ということを、わかりやすくまとめてもらえますか?
チャットGPT:以下のように、**「夢の内容」→「対話の流れ」→「現段階で浮かびつつある意味」**の順に整理していきますね。
医学部の実習に関する反復夢と、対話から浮かび上がってきたその意味
1.どのような夢だったのか
夢の中で、僕は再び医学部の学生になっており、附属病院での臨床実習、いわゆる「ポリクリ」に参加していました。
本来は、自分に割り当てられた入院患者の病室を訪ね、話を聞いたり、血圧を測ったりして、その内容を記録用紙にまとめる必要があります。
ところが夢の中の僕は、患者さんが割り当てられてからかなり時間が経っているにもかかわらず、
* 患者さんに一度も会いに行っていない
* 必要な観察や面接をしていない
* 記録用紙にも何も記入していない
* 同じグループの学生たちが集まっている中にも入っていない
という状態にありました。
ただし、強い焦りに襲われているわけではありませんでした。「やるべきことをやっていない」という認識はあるものの、どこか「漠然とした感じ」「ゆっくりした感じ」で、何かそれなりの理由があるようにも感じられていました。
記録用紙
夢の中では、A4判より少し小さな記録用紙が印象に残りました。
表側には、実習を経て、何を書き込むべきかを示す、質問や指示のようなものが書かれていました。しかし、その内容は数字や記号のようにも見え、一見しただけでは判読しにくく、きちんと読み解く必要があるように感じられました。
一方、その用紙の裏側には、僕自身が書いたと思われる、実習とは直接関係のなさそうな内容が、意味不明に見える形で、ばーっと書き込まれていました。落書きのようでもありましたが、単なる落書きとも言い切れない、何かを表現しているようにも思えるものでした。
その記録用紙は一時的にほかの学生たちのテーブルへ持っていかれ、僕は、何も書いていない用紙を見られることを少し嫌だと感じましたが、耐え難いほど恥ずかしいわけではなく、最終的に用紙は自分のところへ戻ってきました。
声をかけてきた学生
教員による、実習に関する全体説明が終わったあと、僕が歩いていると、一人の男子学生が後ろから声をかけてきました。
その人物は、現実に医学部に在籍していた当時の同級生でした。名前は思い出せないものの、以前、新宿二丁目付近で見かけ、「もしかすると彼もゲイなのではないか」と僕が思ったことのある学生でした。
夢の中では、僕が実習を何もしていないことを気にかけて、声をかけてくれたのでした。
過去にも見てきた類似の夢
今回の夢は、以前から何度か見てきた夢と共通しています。
一つは、若い医師である僕が、担当している入院患者を診察しに行く必要があるのに、長期間会いに行っていない、という夢です。
もう一つは、大学生である僕が、卒業のために必要な授業を履修登録しているにもかかわらず、長期間まったく出席せず、単位を取れないかもしれないと気づく夢です。
いずれにも、
「本来、取り組むべきことがあるのに、そこへ行っていない」
という共通した構造があります。
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2.夢について、どのような対話が行われたのか
現実の自分とは反対の姿
まず確認されたのは、夢の中の僕が「患者さんに会いに行かず、やるべきことをやっていない」一方で、現実の僕は、医学部時代にも医師として働いていた時代にも、担当患者さんの話を熱心に聞き一所懸命に取り組んでいた(自覚的にも他覚的にも)、という点です。
したがって、この夢は過去の行動をそのまま再現したものではなく、より象徴的・心理的なテーマを表している可能性がある、と考えられました。
「患者」よりも「実習のシステム」が前面に出ている
対話の中で重要な問いとして示されたのは、
病院は患者を癒す場所であるはずなのに、この夢には患者さんそのものが登場せず、実習、記録用紙、教員、同級生、提出や学習の仕組みが中心に描かれているのはなぜだろうか。
という点でした。
つまり、この夢の中心は「患者を治療すること」よりも、
* どのように学ぶのか
* どのような枠組みで癒し手になるのか
* 社会的な教育や訓練をどのように受けるのか
* 自分の経験や所見をどの形式で記録するのか
といった、癒し手を育てるための制度や方法にあるように見えました。
この問いを受けて僕は、「現代の精神科医療のシステムに違和感を覚え、一般的な医療機関から距離を置き、現在は大学の保健センターで学生を相手にする仕事をメインにしている」という、自分の現実の選択とのつながりを考えました。
「医学教育」を受けなければ、癒し手にはなれないのか
さらに対話を進める中で、僕の中から次の考えが言葉として出てきました。
人を癒すためには、必ずしも医学部のカリキュラムのような、社会的に決められた教育や訓練を受けなければならないわけではないのかもしれない。
癒し手となる人自身が、より「本来の自分」に近づき、ハイヤーマインドに近い状態になっていくならば、その人は自然に、他者を癒し得る性質を備えていくのかもしれない。
これは、「バシャール」的な世界観にもとづいた言葉であると言えます。**「自分がより本来の自分になることそのものが、他者を癒すことに(も)自然とつながっていく」**という考えです。
この言葉を口にしたとき、僕は理由もはっきりしないまま、感極まって、思わず涙ぐみそうになりました。
そのため、これは単なる知的な思いつきではなく、自分の中の深いテーマに触れた可能性があると感じられました。
記録用紙の表と裏
記録用紙については、次のような対比が浮かびました。
* 表側
医学部の実習で求められる指示、質問、記録項目。
社会的な役割、制度、専門教育、正式な評価や報告の形式。
* 裏側
実習とは直接関係のない、一見すると意味不明な、自分自身による大量の書き込み。
個人的で自由な思考、内的世界、社会的な枠組みに収まりきらない表現。
このことから、記録用紙は、
社会から求められる「癒し手としての正式な形式」と、自分の内側から自然に現れてくる独自の表現や理解
の両方を一枚の紙に持っている象徴として見ることができました。
一見意味不明な裏側の記述も、まだ社会的な形式には翻訳されていないだけで、本当は自分にとって重要な内容である可能性があります。
声をかけてきた男子学生
ユング心理学の考え方では、夢に登場する人物を、自分自身の一部分として捉えることがあります。
今回声をかけてきた男子学生は、現実の僕が「自分と何らかの共通性があるのではないか」と感じていた人物でした。そのため彼は、
* 社会的な集団の中で少し異質な位置にいる部分
* ゲイである自分のアイデンティティーと結びついた部分
* 何もしていない自分を責めるのではなく、気にかけて声をかける部分
* まだ患者のもとへ行っていない自分を、そちらへ導こうとする内的な存在
として現れてきた可能性があります。
夢の中の彼は、叱責する教員ではなく、後ろから静かに声をかけてくる同級生でした。
その点からも、これは自分を責める声というより、自分自身を気にかけ、再び関係へと戻そうとする内的な呼びかけと考えることができます。
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3.現段階で、どのような意味が付与されつつあるのか
現時点では、この夢に一つの確定的な解釈を与えるのではなく、いくつかの意味が重なりながら浮かび上がっている状態だととらえたほうがよいでしょう。
第一の意味
「本来取り組むべき何か」に、まだ会いに行っていない
反復夢(今回の夢も含めて)には一貫して、
行くべき場所がある。
会うべき相手がいる。
取り組むべき課題がある。
しかし、まだそこへ行っていない。
という構造があります。
これは単純な義務の怠慢ではなく、自分の人生の中で、まだ十分には接触していないテーマや自分自身の一部分が存在することを示している可能性があります。
第二の意味
会いに行っていない患者は、自分自身の一部分かもしれない
病院を「癒しや治療 treatment の場所」と考えるなら、まだ会いに行っていない患者さんは、
まだ自分が十分に出会えていない自分自身
まだ声を聞いていない自分の一部分
癒されること、treatmentを受けることを待っている内的な存在
である可能性があります。
その患者さんは、夢の中で強く助けを求めたり、僕を責めたりはしていません。しかし、「僕」が会いに来ることを、静かに待っているのかもしれません。
この意味では、夢は、
「まだ会っていない自分がいる。いつか、その自分に会いに行く必要がある」
という穏やかな呼びかけとして捉えることができます。
第三の意味
「癒し手」になるための「既存のシステム」との関係を問い直している
夢の中心に患者ではなく、医学部、実習、教員、記録用紙が登場したことから、この夢は、
人はどのようにして癒し手になるのか
癒しとは、制度によって教えられるものなのか
専門資格やカリキュラムと、本来の癒しの力はどのような関係にあるのか
という問いを含んでいるように見えます。
現実の僕は、医学教育と医療制度の中で通常の訓練を受け、医師として働いてきました。その一方で、現在の精神科医療のシステムでは、患者を本当の意味で丁寧に見ることが難しいという違和感を抱き、別の働き方を選びました。
夢は、こうした人生上の選択を背景に、
「既存の医学教育や医療制度の外側で、癒し手であるとはどういうことなのか」
という問いを、改めて僕に差し出している可能性があります。
第四の意味
「より本来の自分になること」と「人を癒すこと」が結びついている
対話の中で最も感情が動いたのは、
癒し手になるためには、外部から与えられる教育だけでなく、その人がより本来の自分になっていくことが重要なのではないか
という考えに至った場面でした。
この感情の動きは、夢の意味を考えるうえで重要です。
夢は、単に「やるべき仕事をしていない」と告げているのではなく、
自分は、どのような癒し手になろうとしているのか
既存の役割を果たすことと、本来の自分として生きることを、どう結びつけるのか
という、より根本的な問いに触れているのかもしれません。
第五の意味
記録用紙は、二つの世界を統合する場所かもしれない
表側には、社会的・医学的な指示があります。
裏側には、まだ意味が整理されていない、自分独自の記述があります。
この一枚の紙は、
医学や心理学による専門的な知識
自分自身の経験、感性、スピリチュアルな理解
社会的に共有可能な言葉
まだ言葉になりきっていない内的な知
を、一つに統合していく課題を象徴している可能性があります。
裏側の記述は、提出できない無意味な落書きなのではなく、これから読み解き、表側の言葉へと翻訳していく必要のある、自分独自の知なのかもしれません。
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4.現段階での全体的なまとめ
ぱっと捉えられるこの夢のストーリーは、
医学部の実習で、患者さんに会いに行かず、記録もしていない夢
です。
しかし、対話を通して、その背後には次のようなテーマがあると感じられるようになったと言えるでしょう。
僕の中には、まだ十分に会いに行けていない自分自身の一部分があるのかもしれない。
その一部分は、患者さんの姿をとって、僕が会いに来ることを静かに待っているのかもしれない。
同時に僕は、医学部や医療制度によって規定された「癒し手」のあり方から離れ、より本来の自分として、どのように人と関わり、癒しに参与していくのかを探している。
記録用紙の表側には、社会から与えられた正式な問いがあり、裏側には、まだ十分には読み解かれていない僕自身の言葉や世界がある。
これから必要なのは、既存の枠組みを単純に否定することでも、それに完全に従うことでもなく、僕の内側にある独自の知や感性を読み解き、社会的に伝わる形へと変換していくことなのかもしれない。
したがって、現段階では、この夢を、
「まだ会っていない自分自身に会いに行くこと」と、
「既存の制度の中で与えられた癒し手の役割から、自分本来の癒しのあり方へと移行していくこと」をめぐる夢
として捉えることができます。
ただし、これは最終的な解釈ではありません。
むしろ今は、夢が差し出している問いと、対話の中で生じた感情を保持しながら、
「患者さんとは誰なのか」
「自分は、いつ、どのようにその人に会いに行くのか」
「記録用紙の裏側に書かれていたものは、本当は何を伝えようとしているのか」
という問いを、急いで答えを出さずに持ち続ける段階にあると考えられるかもしれません。
