終末期リハビリの現場で、私は自分の限界と出会った
働いていた病院での話です。
以前の記事では、患者さんとのやり取りを通して、祖先の信仰との不思議な繋がりを書きました。
あの時は、心が温かくなるような「繋がり」を感じていました。
しかし今回お話しするのは、別の患者さんとの出来事です。
少し重い内容になりますが、今でも静かに胸に残っている体験です。
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その患者さんは末期がんで、余命は数か月と告げられていました。
私はその方に終末期リハビリを行っていました。
終末期リハビリとは、患者さん一人ひとりの状態に合わせながら、「その人らしく最期まで過ごすこと」を支えるための関わりです。
その患者さんは、私とのリハビリをとても楽しみにしてくださっていました。
毎日、「また明日も来てくれる?」と必ず確認する方でした。
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ご家族の面会は一度もありませんでした。
そのこともあり、より一層、私との時間を心待ちにされていたのだと思います。
しかし現実には、リハビリスタッフの退職が続いたことや、担当患者数の増加、勤務体制の変化などが重なり、私は次第にその方のもとへ毎日通うことが難しくなっていきました。
「行かなきゃいけない」
「でも、行けない」
その間で揺れながら過ごす日が続きました。
最期の数週間、私はほとんど顔を見せることができませんでした。
その方は、静かに、孤独の中で旅立たれました。
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当時の私は、この出来事を「因果応報のようなもの」として捉えていました。
その方には、子どもへの虐待という過去があったと聞いていました。
その事実と、最期の孤独な時間が、どこかで重なって見えてしまったのです。
過去に放ったものが返ってきたのではないか。
そんなふうに考えなければ、この出来事を受け止めきれなかった自分がいました。
しかし今振り返ると、それは出来事そのものというよりも、
私自身が意味を探し続けた結果として生まれた解釈だったのかもしれません。
私は、十分に関わることができなかった無力さや、間に合わなかったという感覚を抱えていました。
その痛みを、どこかで説明できる形にしようとしていたのだと思います。
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あの時間を通して私が感じていたのは、「誰かを救えなかった」という事実だけではなく、
人はすべてを支えることはできないという現実と、自分の限界でした。
そして同時に、どれだけ関わりたくても、環境や状況によってそれが叶わないことがあるということも知りました。
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今の私は、この体験を「因果応報」として断定することはできません。
ただ、あの出来事をどう受け取ろうとしていたのか、その自分の心の動きは確かに残っています。
あの時間に意味があったのかどうかは、今でも分かりません。
それでもひとつ言えるのは、私はその関わりを通して、「救えないものがあること」と、「それでも関わろうとしてしまう自分」を知ったということです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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月灯りの図書館より
この経験のあと、
私は「頑張れば何でもできる」と信じていた自分自身と向き合うことになりました。
その頃の記録を置いておきます。
