古事記の天皇 干支と西暦
古事記の干支
古事記では、第33代推古天皇〜第10代崇神天皇まで崩御年に干支が記載されています。これにより、西暦がわかってきます。
干支(かんし)とは、60年で還暦を迎える日本でもお馴染みの中国発祥の暦法です。詳細は省略します。乙巳の変(西暦645年)や壬申の乱(西暦672年)の名称も干支の年からきてます。
歴代天皇の崩御年 下つ巻
第33代 推古天皇 在位37年 戊子←干支です
西暦628年崩御
第32代 崇峻天皇 在位 4年 壬子
西暦592年崩御
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第21代 雄略天皇 124歳(62歳) 己巳
西暦489年崩御 倭の五王 武
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第16代 仁徳天皇 83歳(41歳) 丁卯
西暦427年崩御 倭の五王 讃
倭の五王の仁徳天皇までは、考古学的にも裏付けられ誰でも同じ答えになるかと思います。ちなみに、古事記下つ巻はここまでです。
歴代天皇の崩御年 中つ巻
ここからがつじつまが合わなくなってきます。なお、( )内の歳は現在の数え方で春秋年を無視しております。加えて、崩御〜生誕までを記述していきます。生誕年は単純な引き算です。
第15代 応神天皇 130歳(65歳) 甲午
西暦394年崩御~西暦329年生
第14代 仲哀天王 52歳(26歳) 壬戌
西暦362年崩御~西暦336年生
まず、ここがつじつまが合わない箇所です。
父の仲哀天皇より7年先に子の応神天皇が生まれている計算になります。

ひとまず、仲哀天皇は無視しします。
第13代 成務天皇 95歳(48歳) 乙卯
西暦355年崩御~西暦307年生
次の2代には干支が記載されておりません。
第12代 景行天皇 137歳(69歳) 記載なし
第11代 垂仁天皇 153歳(77歳) 記載なし
次は干支記載の最も古い崇神天皇です。
第10代 崇神天皇 168歳(84歳) 戊寅
では、崇神天皇の崩御年は西暦何年になるか?考えていきたいと思います。
まずは、第11代、第12代に干支が記載されていないので、第13代成務天皇より前の戊寅を確認したいと思います。
西暦318年、西暦258年、198年、138年・・・・となります。

ここに第12代~第10代を落とし込みたいと思います。
まずは、第10代崇神天皇崩御年が318年とした場合、第12代景行天皇、第11代垂仁天皇の年齢を考慮すると在命中に天皇が交代しています。期間が短すぎるため棄却します。

次は、第10代崇神天皇崩御年を258年とした場合です。
応神天皇から考えていきたいと思います。
応神天皇-仲哀天皇の箇所の矛盾は残りますが、武内宿禰が4代に仕えた(成務天皇~仁徳天皇)事実は合致します。

最後は、第10代崇神天皇崩御年が198年の場合です。
仲哀天皇の崩御年を60年遡らせます。
結果、武内宿禰の在位期間は100年を超えてきます。

結論 崇神天皇の崩御年は西暦258年
結論は、258年もしくは198年のいずれかと思います。武内宿禰をとるか仲哀天皇をとるか、、、。違う方向から考えてみたいと思います。
ここで、西暦258年と言えば?卑弥呼の没年が西暦247年くらいということで魏志倭人伝の時代です!
魏との繋がりがあって何か変化があったのではないでしょうか?
実は、崇神天皇の代で変化が見受けられるのです。
①崇神天皇から干支が始まった。
②崇神天皇から古事記の内容が詳しくなった。
神話〜神武天皇の話も細しいですが、恐らくは、口伝を元にした創作なのだと思います。
崇神天皇の代に、魏の国から、干支(暦)や記録する概念(文字?)を教わったのでしょう。
欠史八代は、四国を隠した陰謀と思っておりましたが、どうやら違うようです。
西暦240年代の一番位の高い女性は?
では、女王卑弥呼は誰?
まあ、伊香色謎命でしょう。
崇神天皇の母親です。いわゆる皇太后です。決して巫女のモモソヒメではありません。
伊香色謎命=卑弥呼の細かい話は、過去に記載しているので見て頂きたい。
解釈が必要となるのは、生涯独身の箇所だけです。これも、一般常識で説明しております。
