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時差

 作家・池澤夏樹の自伝を読んでいたら、次のような発言が目にとまる。

「SNSの文言はその人個人の判断だけで、その時の思いが時差なく発信される。ぼくらプロが書く文章は、ファクトチェックを自分なりにやった上に出版社、新聞社の担当者、校閲者にさらに熟読してもらい、大変な手間と時間をかけて噓が混じらないように努めている。それが鉄則、職業倫理というものでしょう?」
池澤夏樹・尾崎真理子『一九四五年に生まれて』岩波書店、P262)

 SNSが身体の一部のようになってしまっている人間としては、何とも耳が痛い。SNSの発信が持っている危うさが、的確に指摘されていると思う。
ただ、この指摘に全面的に賛同できるかというと、引っかかるところもなくはない。今回はその点を掘り下げていきたい。

 自分の書いた文章が、不特定多数の人間に公開される前に、それなりの専門知を持った人間が真偽をチェックすることで、一程度の質が担保されることは間違いない。一方、その「間違いない」という感覚が、万民共通のものであるかと問われると、いささかあやしい。
 昨今、所謂「陰謀論」が蔓延していると言われるが、その大きな原因として、間に入ってチェックする、上記の言葉でいえば「それなりの専門知を持った人間が真偽をチェックすること」に対する不信感があるのではないかと思っている。つまり、ある発信が私たちの前に届く前に、それを事前にチェックして食い止めている人間がいるのではないか、という疑念である。
 間に人が入った方が質が担保されると思えるのは、おそらく池澤夏樹もそうだと思うが、間に入る人の顔が具体的に浮かぶからだと思う。実際に自分の書いた文章の質が向上する場面に立ち会っているのだ。
 そういう経験がある人は少数派である。たいていの人にとって、「間に入る人」はイメージでしかない。そこには疑念が肥大化していく余地があり、場合によっては「陰謀論」に収斂していってしまう。

 私が10代で、初めてSNSを使ったとき、一番に感動したポイントは、自分の思ったこと・考えたことをリアルタイムで発信できる、池澤が指摘するところの「時差なく」発信できる点にあった。もし発信するたびに、チェック機能が作動し、実際に自分の投稿が公開されるまでにそれなりの時差があったならば、それほどSNSに魅力を感じなかったと思う。
 それだけ当初は、SNSの空間が牧歌的だったと言える。今はそんな悠長なことを言っている状況ではない。悲しいが、受け入れるしかない。





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