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今でも記憶に残る事故ーー山崎豊子『沈まぬ太陽』(ネタバレなし)

今からちょうど41年前。1985年8月12日 午後6時56分

私が中学時代の夏休みでした。制御不能になった日航機が、御巣鷹山に墜落したという、日本の航空史上最大の惨事となった「日本航空123便墜落事故」。520名もの命が失われ、今なお多くの人々、そして私自身の記憶にも深く刻まれています。

以前『クライマーズ・ハイ』の記事では「取材記者の視点」で書きました。

今回は、『沈まぬ太陽』をもとに、当事者視点でこの事故の状況を振り返りながら、私たちが何を学ぶべきかを考えたいと思います。

1.墜落の原因

事故の直接原因は、機体後部の圧力隔壁の破損だったと言われています。これは過去の事故の修理ミスに起因しており、長年にわたり見過ごされてきた構造的欠陥でした。

圧力隔壁が破壊されたことで急減圧が発生し、垂直尾翼が吹き飛んでしまったと言われています。必死の飛行にも関わらず、操縦不能に陥り、さらに油圧系統が全て失われ、操縦桿がほぼ効かない状態となりました。

ここで見えてくるのは「見逃され続けたミス」です。つまり、すでに機体後部には修理すべき異常な部分があった。このことは本作品だけでなく、他の作品でもリアルに描かれています。

組織の安全管理が機能していれば、防げた可能性が高い事故だったのかもしれないのです。

2.極限状態のパイロット

操縦不能となった機体を前に、機長たちは最後まで機体の制御を試み続けました。8月中旬になると、毎年のようにこの事故の時の機長の叫び声を耳にします。それは最後まで必死に「乗客を安全に運ぶ」という使命を全うしようとした声に聞こえます。

約30分間も耐えた飛行は、まさに「奇跡の飛行」でした。これは単なる技術ではなく、責任感と使命感による行動だったのではないでしょうか。

最後まで乗客を守ろうとした事実。事故の中でも最も重く受け止めるべき点の一つです。

3.CAと乗客の行動

客室では急減圧と激しい揺れの中、客室乗務員(CA)が必死に乗客の安全確保に努めていました。

シートベルト着用の呼びかけ、姿勢指示、精神的な支え。極限状態においても、自分の役割を果たそうとする姿が記録されています。

一方で、多くの乗客が遺書やメモを書き残していたことも知られています。そこには家族への想いや、冷静さを保とうとする人間の姿がありました。

この機内は、恐怖だけでなく、ある意味、人間の本質がむき出しになった空間でもあったのです。

あなたはこの極限の中、そんな行動がとれますか?

4.生存者の共通点

520名満席の乗客。しかし、生存者が4名いたのです。
当時、事故現場から自衛隊ヘリが一人の少女を救い出すシーンを何度も見た記憶があります。

その4名にはある共通点がありました。

・後方座席にいた
・衝撃時に比較的安全な姿勢だった
・即死を免れる条件が重なった

過去の飛行中事故を見ても、生存者がいたというのはあまりありません。4名の生存者がいたということだけでも「奇跡」だったわけです。つまり、多くは偶然の要素が重なった結果であり「これをすれば助かる」という単純な話ではないのだと思います。

それでも、シートベルトの着用など基本的な安全行動の重要性は、この事故から強く示されています。

私はこの手の作品を読んだ経験があるからか、飛行機に乗る際には、CAの「救命胴衣」や「酸素ボンベ」の扱い方の説明を毎回聞いています。次、自分が同じ事故に遭わないとは決して言えないわけですから。

5.遺族対応と組織の責任

事故後、日本航空の対応には厳しい批判が集まりました。防げたはずのこの事故は、多くの視点で批判されました。

・情報開示の遅れ
・遺族への対応の遅さ
・責任の所在の曖昧さ

特に、遺族への対応の過酷さは『沈まぬ太陽』でもしっかりと描かれています。もちろん乗客は帰ってきません。しかし、組織としての対応が不十分であれば、悲しみは怒りへと変わります。

この事故は過去の出来事ではなく、40年以上経った今も語り継がれるものです。

・組織は本当に安全を最優先にしているか
・人は極限状態でどう行動するのか
・失われた命にどう向き合うべきか

日本航空123便墜落事故と、沈まぬ太陽を通して見えてくるのは「責任」と「人間の尊厳」ということを考えさせられるのです。

この出来事を忘れないこと。二度と同じことを繰り返さないこと。

それが、私たちにできる責任なのかもしれません。

犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます


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