ICU㉖|最初で最後の贈り物
少しして、院内にいた長弟が、私たちを心配して様子を見に来た。
「大丈夫?」
気づけばもう30分以上経過しており、長弟の中でも私たちの “後追い” がよぎったようだった。
“愛する人の死” というのは、“後追い” という選択肢を生んでしまう。
ましてや、私たちの場合は “生後まもない子ども”。
状況的に家族が案じるのも無理はない。
私たちにその意思はなかったが、この苦しみは、“それを選択してしまう精神状態” になり得るというのも理解出来る。
私たちだって、“何かボタンの掛け違いがあれば” そうなってかもしれないのだ…
「うん、もう戻るよ」
と私も返事をし、少ししてから2人でまた院内へ戻った。
そして、院内に戻って数分後、買い出しを終えた両親たちも戻ってきた。
買ってきてくれた、新生児用の「洋服」と「おくるみ」…
これが、祖父母から孫への “最初で最後の贈り物” となった。
本来は、“退院する時” に息子に着せるはずだったものだ。
私の両親と義母の3人が、一体どんな気持ちで服を選んでいたのだろうかと、想像するだけで心が痛い。
そんな中、再び家族が揃ってからも、しばらくICUからの連絡はなかった。
その時は、あまり時間を気にする余裕はなかったが、時刻は21時30分を超え、そろそろ処置開始から2時間が経過しようとしていた。
だが、その矢先に、2人の看護師が私たちの元へ。
息子を共に看取ってくれた日勤の看護師と、これから夜勤に入る看護師であった。
閉胸処置が終わったという報告もそうだが、ちょうど勤務の交代のタイミングでもあったため、改めて私たちに挨拶をしに来てくれたようだった。
日勤の看護師からしたら、“自分が当番の時に容態が急変して看取り” という、捉えようによっては「貧乏くじ」… つまらぬ巡り合わせにあったようなものだ。
だが、それでも職責を全うし、挨拶にも来てくれたことは、親としても家族としても救われる思いだった。
最期を看取ってくれた看護師も、これもまた “ご縁” なのであろう。
そして、交代した夜勤の看護師と共に、私たちは再びICUへ。
すぐに息子の元へ案内されたが、そこに待っていたのは、モニターや機材が全て下げられ、広い空間にベッドが1つだけという、先ほどとは打って変わった光景であった。
その中心で、タオルにくるまれた息子がポツンと横たわっており、何とも言えない寂しい気持ちになった。
そして、開いていた胸も縫合されていたが、応急処置に過ぎず、その縫われた傷口は想像以上に痛々しい。
ただでさえ、全身の変色や浮腫みが酷い中で、さらにこの傷口を見るのは、正直かなり苦しかった。
だが、ちょうどそのタイミングで、“NICU時代のメイン看護師” が、科の垣根を超えてICUへ駆けつけてくれた。
彼女は、息子の成育日記もかなりマメに書いてくれたり、息子の笑っている写真もプレゼントしてくれたりと、信頼していた看護師の1人。
ちょうど彼女が夏休み中に、息子がICUに入ったため、しばらく会うことが出来ていなかったが、息子の訃報を聞いて、NICUでの勤務を調整してまで駆けつけてくれたのだった。
“生きてNICUで再会” ということは果たせなかったものの、最後の最後で会うことが出来て、夫婦としても本当に嬉しかった。
そして、しばらくは、ICUに滞在出来るということだったので、このまま一緒に息子の「エンゼルケア」にも同席してもらうことになった。
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