ICU㉗|母乳風呂
エンゼルケアの最初は、「母乳を飲ませる」ということを行った。
出産直後から、妻は毎日欠かさず “搾乳” をし、それを冷凍して面会の度にNICUに預けていたが、そのうちの1つを解凍し、綿棒の先につけ息子の唇に塗るというもの。
私たちだけでなく、家族みんなで順番に息子へ与えていく。
息子にとっては、これが最期の食事だ。
ただ、NICUの時もこの綿棒で与える方法しか出来なかったため、結局息子は母親から直接飲むことは叶わなかった。
“直接飲ませてやりたかった” という気持ちは拭えないが、最期に飲むことが出来て、息子も嬉しかったのではないかと思う。
次に行ったのが、「母乳風呂」。
前述の冷凍した母乳だが、息子は手術以降ECMOに乗っていたこともあり、ほぼ飲むことが出来ず、大量に残ってしまっていた。
そのため、身体を綺麗にするための沐浴を、“全て母乳” で行うということだった。
母乳は、「母親の愛」そのもの。
息子も最期に、母親の愛を身体全身で感じることが出来る、本当に “親子で幸せなひととき” となる素晴らしい試みと言える。
看護師のサポートもありながら、妻がゆっくりと母乳の湯船に息子を降ろしていく。
「凰理~、綺麗にしようね~」
妻も色んな感情があっただろう。
だが、微笑みながら、優しく撫でるように洗う。
「凰理くん、気持ちいいね〜」
「お母さんに洗ってもらって嬉しいね〜」
と看護師も時折、息子に声をかけ、後ろでは家族も優しく見守っている。
幸せに溢れる “微笑ましい光景” … のはずだ。
だが、私にとっては違った…
その光景を見て湧いてきたのは、幸せとは程遠い、“虚無感” であった。
(そこに凰理はいない... やりたくない)
という拒否反応すらあった。
そして、意味がないとまでは言わないが、この時の感覚としては、
“ただ虚しさが増長し、余計に心が抉られるだけだ…”
と感じていたのだ。
どんな状況でも、息子が飲むその日を信じて、妻が命懸けで搾乳してきた母乳だ。
もちろん、最善で美しく、そして “幸せな使い道” だということはわかっている…
だが、こんな形で使うということが、本当に夫としてやるせなかった。
それでも、最後の最後まで懸命に闘った息子の肉体だ。
父親として、やらないという選択肢はなく、母乳風呂に浸かる息子の腕や脚を、私も一緒に綺麗にしていく。
しかしながら、触れれば触れるだけ身体の損傷具合に改めて気づかされる…
壊死したような両足の指先…
臀部が消え、腰から直接脚が生えたような異形な下半身…
(こんなになるまで…)
長きに渡る闘いの代償は、尋常ではなかった。
正直、私にとっての母乳風呂は、“地獄の時間” であった。
虚無感を生み、心がさらに抉られた感は否めない。
だが、考えうる中で “新生児を失くした親” に対する、これ以上のエンゼルケアはないだろう。
これに関しては、改めて難しい問題だと痛感させられる。
そんな中、母乳風呂も終わりを迎え、身体を優しく拭き、私の両親と義母が買ってきた洋服を着せる。
祖父母たちに貰った洋服は、“白と黒の模様” であり、その姿は “子牛” のようだった。
“生きている時に着せてあげかった” というのは言うまでもない…
だが、どんな姿をしていても、やはり我が子は我が子…。
ただただ、愛おしかった。
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