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ICU㉘|魂の重さ


最後のエンゼルケアは、「手形と足形を取る」ということだった。


本来ならば、看護師と行うのだろうが、私の家族にはその分野のプロがいる…  それは、“私の母” だ。

先述の通り、母は保育士時代も含め、40年以上乳幼児に関わる仕事をしており、現在も “乳幼児向けの親子教室” を持っている。


その教室のイベントでも、これまで “1,500人以上の乳児の手形と足形” を取っており、今も尚バリバリの現役だ。

そして、初孫の手形と足形をずっと楽しみにしていたということもあり、看護師にも了承を得て、こちら主導で行わせてもらった。


「嬉しい、幸せ^^」

と母も笑顔で孫に触れ、慣れた手つきで手足にインクをつけてベースを作っていき、最後は私と妻が、指先を押して仕上げていった。

先天性内反足の右足もなんとか取れました^ ^


後に母に聞いたのだが、悲しさよりも “嬉しさ” の方があったという。

また、息子にとっては最初で最期の手形と足形となるため、

“絶対、綺麗に残す!”

という意識も強く、思いのほか緊張していたらしい…


母の “嬉しい” という言葉を聞けて、私は少しホッとしている。

正直、手形と足形に関しても、私自身は悶々としていたのだ。


本来ならば、新生児は元気に動くため、形を取るのは “やりづらい” であろう。

だが、息子は死して動かない… 故に、“やりやすい” のだ。

そして、それがまた、虚しかった。


そして何より、乳児との触れ合いは、母にとって「天職」… 
いや、もはや「天命」と言っていいほどのもの。

私自身そう感じているからこそ、母にとって “愛してやまない孫との触れ合い” が、こういう形になってしまったのが、ただただやるせなかった。


総じて「エンゼルケア」は、私の感情だけを言えば苦い記憶だ。

しかしながら、意義は十二分にあると感じる。


実際、“どう送り出すか” ということを軸に、肉体や魂の概念など、あらゆることに意識が向くきっかけとなったのは間違いない。

そして、「死」と向き合うということは、深い。

それを知ることが出来たのが、私にとって意味のある機会だったと言える。


手形と足形も取り終わり、全てのエンゼルケアが終了。

そして、“おくるみ” で包み、綺麗になった息子を改めて抱いていくが、私はそこで、新たな衝撃を受けた。


(軽い…)


生まれて初めての抱っこ
“星に願いを” を歌った抱っこ

そして、“旅立つ前の最期の抱っこ” … 

あの時の感覚とは、全く違う感覚であった。


おそらくこの時は、最大限に身体が浮腫み、体重も1番重い状態…

にも関わらず、軽かったのだ。


真相は不明だが、100年以上前に「魂の重さは『21g』」という研究結果が出たと聞く。

息子の魂が「21g」かどうかはわからないが、明らかに生前と死後の重さは異なっており、この説が言っていることも、あながち間違ってないんじゃないかとさえ思った。


そして、当たり前ではあるが、「生命」も感じない。


愛する息子の肉体である… だが、

“ただの『器』でしかない…”

と、私は感じてしまったのだ。


そして何より、

(本当に、凰理はここにはいないんだ…)

とはっきり認識出来てしまった。


あの日感じた “幸せ” は、もう戻らない。

息子の温かい “ぬくもり” も、溢れんばかりの強い “生命力” も…


私は、息子の亡骸を抱きながら、しばらく動けなかった。



つづく



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