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川島雄三監督「女は二度生まれる」〜“不見転芸者“若尾文子はいかに生まれ変わるのか

「妻は告白する」(1961年 大映)に続いて、若尾文子主演映画を、もう一本。

“不見転(みずてん)芸者“という言葉がある。

いくつか辞書にあたったが、明鏡国語辞典第三版が一番しっくりきた。見出しは、<みずてん[見ず転・《不見》転>である。

<芸者などが、金次第でどんな相手にも身をまかせること。また、その芸者など。「不見転芸者」>

先日書いた「妻は告白する」の公開が1961年10月、その3ヶ月前、1961年7月公開に公開されたのが川島雄三監督の「女は二度生まれる」(大映)である。(U-NEXT配信あり)

本作での若尾文子の役どころは、“不見転芸者“である。それを、「幕末太陽傳」(1957年 日活)の川島雄三が監督し、フランキー堺も出演する。これだけで見る価値があると思うではないか。

時代背景は、売春防止法が施行され、1958年公娼制度が廃止、赤線がなくなった。そんな東京である。芸者・小えん(若尾文子)と山村聰が演じる客。二つの布団が並べられた座敷で、小えんは電気を消してよいか尋ねる。枕元のスタンドをつけ、寝そべって煙草を吹かす二人。腹ばいで横たわる小えんを、足の方からカメラが撮る。映るのは、若尾文子の臀部と背中。上手い!

小えんは、名刺をねだる。警察の取り調べを受けた時、恋人の名前を知らないと不味いと。小えんは、警察からたたかれる可能性のある“芸者“なのだ。

ここからは、ネタバレである。小えんには、馴染みの客もいれば、一見もいる。馴染みの一人の矢島を演じるのは山茶花究、いかにもという男である。一方、スポンサーの旦那に連れられて、座敷を共にするのが、寿司屋の板前・野崎。これがフランキー堺。座敷で飲み食いした後、スポンサーの男は小えんを野崎に当てがう。

小えんが身を置く置き屋は、靖国神社の近く。小えんの両親は空襲で死亡、長野の親戚の家にいたが、東京に戻り、今の商売に。戦争の影が少し感じられるのだが、小えんは、今の商売を楽しんでいるようにも見える。彼女の本性であるようにも。

全編通じて、小えんという強さと弱さが同居している女性を、若尾文子が小気味よく演じていて、ウェットな感じがない。品の悪い世界を描きながらも、決して下卑た印象を与えないところが、監督と女優の力だろう。

タイトルは「女は二度生まれる」。小えんは、芸者をやめ、本名のとも子という名で銀座のクラブで働く。ただし、本質はなにも変わらない。「これが二度目の“生“なの?」と思いながら観ていると、クラブにやってきた筒井(山村聰)と再開し、彼の二号になる。「これだと三度では?」。

さらに、パトロンとなってくれた筒井が他界する。筒井は、小えんを一人前の女性にしようと援助してきたのだが、彼の墓参をする彼女は、蝋燭を口で吹いて消す。彼女の無知、筒井の努力が虚しく終わった象徴的な場面のように見えた。

小えんは、映画館で知り合った青年と上高地に向かうのだが、途上で変心する。青年一人が上高地に向かうバスに乗り、小えんは一人駅に残る。彼女は二度生まれることができるのか。余韻を残した、名シーンである



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