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論破より理解、勝ち負けより敬意

「話が通じない人」の正体は、『勝ちたい人』

 SNSや日常で「この人、話が通じないな」と思う間合いがある。
 最初は、自分の説明に工夫が足りなかったのかな、と反省する。

 でも再度同じことが起きたとき、気づくの。
相手は話を聞いていない。
 再度聞かなくても、噛み合わないから薄々気づく。

 理解できないんじゃなくて、勝ちたいから通じない。会話の目的が共有ではなく、支配にすり替わっている。
「自分は正しいんだから聞け」と。

 これって、相手の言葉を聞いているようで、実は勝機を探しているだけ。
それが昨今の議論の正体かもしれない。

 「勝つ=頭がいい」「負ける=頭が悪い」
そんな構図があるのか、勝ち負け意識が強い人ほど、相手の話を途中で切る。

 聞いているようで、反論の準備をしている。
結果、言葉のキャッチボールではなく、ドッヂボールになってしまう。

 論破欲の強い人は、相手の主張を部分的に切り取り、論点をすり替える。

 論理的に見せかけた詭弁や、オウム返しの優位取りで「勝った」と思っている。
 でもそれ、対話が成立していない時点で実質『負け』なの。
 頭がいいどころか、話の筋を理解していない人に見えてしまう。

 たとえば、
 A「女性初の総理、すごいね」
 B「おい、コラ!ネトウヨ!」

 A「夫婦別姓の議論はどうなるのかな」
    B「パヨパヨチン」

……えっと、人の話、聞いてましたか?

職場でも。
 A「この資料、締切までに間に合いますか?」
 B「君さぁ、いつもネガティブだよね。俺ができるって言ってるだろ!」

家族でも。
 A「最近、物価上がってキツイよね」
 B「お前は金遣いが荒いからだろ! 俺なんか若い頃は……」

 なぜ、人はそこまで勝ちたがるのだろう。
勝ち負けがないはずの会話にも、勝敗を持ち込みたがる。

 もしかして、「自分が間違っていない」と確認したいのだろうか。
批判に耐えるより、論破で防御するほうが楽だから。本当は理解されたいだけなのに。

 でも理解されるより勝つほうが即効性があって、気分がいい。
……なんか、面倒くさいね。

 勝ち負けに囚われた心は、会話の目的を真理の探求から優越感の獲得へとすり替える。
 論理の穴を指摘されても認めず、感情的または無理筋で押し切る。

 聞いているほうは、頭の中に「???」が浮かんでいる。
「ねぇ、人の話を聞いてる?」って。

 相手の意見の良い点を認める謙虚さがない。
聞いている側からは、ただの自己主張の独演会にしか見えない。

 褒められたい、認められたい。
「あなたってすごい!」
「あなたって本質わかるね」
そんな言葉が欲しいだけなんじゃないの?

 おそらく自己肯定感の低さを、他人の承認で埋めたいのだろう。
 だから、聞かれてもいない自慢話が多くなる。
そして相手が白けると「嫉妬された」と言い出し、人が離れると、嫉妬されるほど優れていると思い込み、孤立していく。

 対話って、本当の知性って、勝たない気概だと思う。
 どれだけ相手の話を傾聴できるか。
どんな鋭い質問で相手の思考を照らせるか。
それが知性の美学よ。

 相手をねじ伏せるより、相手の前提を理解しにいくこと。勝ちたい人ほど、自分は話が通じない人間と念頭に置いて、対話とは翻訳と敬意の積み重ねだと意識する。

 理解は媚びることじゃないからね。
自分の意見を言わないというのでもない。
理解は自分と相手の共通認識を確認する行為。

 議論を制するより、相手を理解するほうがずっと難しい。でもそれこそが、知の成熟。
 自分の間違いを認める謙虚さと、相手を尊重する誠実さ。その上に知性は立っている。

 論破したい人に決定的に欠けているのは、謙虚さ。だから、議論が独善的なゲームに変わってしまう。
そう気づくことが、対話の第一歩なんだと思う。