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色気がない人間が色気を考えてみる

「色気か……」
先日、亜麻布みゆさんがXに呟かれていたのが発端になった。

 確かに色気がある人が文章を書くと色気が出る。
みゆさんには、森瑤子さんや小池真理子さんの名前を出したが、正直、最初に浮かんだのは東出昌大さんだ。

 東出さんは色気が強い。そして語彙力や発想が柔軟で言葉に重みがある。教養が聞く人を面白さへ牽引する。

 スキャンダルで凋落した東出さんだが、スキャンダル前より人気は上昇して、映画『Winny』では、第33回日本映画批評家大賞主演男優賞を受賞している。

 2ちゃんねるにいる、デジタルオタク。それも天才プログラマーのイメージを見事に表現した、猫背で滑舌が悪い、他人に興味を示さない、目を合わせない「絶対、こんな人、居そう!」が画面にいる。
オタクっぷりが生々しい。

 ドラマ『あなたのことはそれほど』の渡辺涼太や『コンフィデンスマンJP』の僕ちゃんじゃない。

 ただ、東出さんは色気が強い。
ひろゆきとのドキュメントバラエティ『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』では、東出さんが洗濯物を干しているだけのシーンを見入ってしまい、Tシャツを絞っているだけで絵になる。
イケメンが過ぎている。

 わたしは個人的に狩猟へ興味があり、ほぼ毎日、東出さんの動画を閲覧している。

 狩猟なので、時に色気とは皆無になるはずが、強いエネルギーがモニターから発せられて、魅せられてしまう。

 色気とは、なんなんだろう?
たんに、オスを感じてエロに至るものではない。
少なくとも、東出さんをそんな目で見ない。
必ず清潔感が伴うのではないのに、色気。

 東出さんから感じるのは、
寡黙さの中にある選び取った言葉の重みや物理的な美しさ(骨格・声・身のこなし)

 「わかってほしい」とは言わないけど、何かを抱えてる感じの影。自然体であることが逆に謎を生む。
野生と知性が混在してる危うさ。

 たとえば、猟師として生きる東出さんを見てると、生に直結してる感じがあり、欲望も倫理も言葉にしないで背負ってる人って、それだけで色気を帯びるよ。

 そりゃ、スキャンダルがありました。 
ここで問うよ。

 人様の家庭に口出しして、延々と悪口をネットに書き込んでいる人と、反省しながら黙って耐えている人はどっちが美しい? 色気がある?


 わたしが出した答えは、知性。

 分かりやすく説明すると、『知』だけを取り、知で闘う、政治経済を討論する場があるとする。
全員、何らかの肩書や専門家で知の達人だ。
でも、色気の有無を感じるのは”間”だったりする。
 
 故・西部邁先生は色気がある。
西部先生は話を最後まで聞き、一拍空けてから意見を述べている。ゆっくりと、草々と。
あの田原総一郎に対してもだ。
それを聴いているわたしは、西部先生に怒られている気がしないし、誰かを攻撃している様子もない。
 
 つまり、色気の必須アイテムは「静」でもある。
それをゆとり、隙、余白、余裕とも言う。

 文章などの表現もそうで、金切り声を出して、
大きな音がしてきそうな文章へ色気はない。
騒ぐ声から色気を探してこいというのへ無理があり、見ている方が落ち着かないんだよ。
 
 声やしぐさ、佇まいの余白。目の奥にある言わなさと抑えてるけど、滲み出てしまう熱量。
無防備さと意志の強さが同居してる感じ。
そういう両義性や未完成が色気になることが多い。

 太宰治の作品がそうだけど、登場人物の間に漂う、説明されない感情と気配。言葉の選び方の美しさや間。読者の想像にゆだねる余白、説明しすぎない抑制。強さと弱さがせめぎ合いながら、グラデーションしている。

 価値観の違いで、色気を定義するのは難しい。
色気=エロ。
素っ裸になり、絡み合えば色気と定義する人もいて、わたしが色気とは知性だと断定はしない。
 
 少なくとも、文章や記事を読み
「この人は色気があるなぁ」と感じる部分を例え話を用いて説明してみた。

 亜麻布みゆさん。
自問自答する機会を与えていただき
ありがとうございます。
 わたしも色気がほしいんですよね(笑)