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人事部付 真田雪乃の議事録<1-1 議事録だけじゃだめですか?>

あらすじ

賃貸仲介管理を主力事業とするシロヤマ・コーポレーションの本社で働く1年目の新卒社員、真田雪乃さなだゆきの

上層部の「働き方改善会議」で議事録を取っていた彼女は、社長から突然意見を求められる。議事録係として目立たない中で呼びかけられた彼女は、極度の緊張状態に陥るが、その時に一瞬思い浮かんだ風景から、ある提案をする。

この提案は波紋を呼び、「私情ではないか」と、社内中の噂やからかいの種になってしまう。会社のためになる、と上司の上杉部長から励まされるものの、実は、この提案は雪乃のある「私情」、ある同期の一人のことを想ってなされたものだった。

働きやすさとは誰のためにあるのか。無力に見える若手社員が、小さな声に耳を澄ましながら、物語を静かに動かしていく。

第一章 ホワイトな本社 ブラックな営業所

第一話 議事録だけじゃだめですか?

満席の会議室が薄暗い。

プロジェクターが低い機械音で唸っている。前方のホワイトボードには、話し合いの記録が文字となって映し出されていた。

真田雪乃さなだゆきのがノートパソコンに会議の内容を打ち込むと、そのままプロジェクターに文字が投影される。発言者以外は、投影された文字を凝視するか、自分のノートパソコンの画面に目を落としていた。

どんなに会議が蛇行しても、議事録には決定事項のみを記すように指示されている。雪乃は数々の方向から飛んでくる発言から、こぼれそうな要点を拾わなければならなかった。

◾️働き方改善会議 11月5日
参加者:城山洋司社長 上杉新一部長 夏目郁子エリア長 前田敏子部長 川端康行部長 
議事録:真田雪乃
目的:働きやすい環境の向上
1.男性育休について
・法改正→取得状況が公表される。
・各営業所に周知
2.残業時間縮小

男性育休についての周知はつつがなく進み、議題は「残業時間縮小」へと移っていた。

「私は……正直、反対です。残業時間の縮小」

すっと手を挙げて発言したのは、営業部の夏目エリア長だ。座っていても背筋は真っすぐ伸び、黒のパンツスーツが凛とした雰囲気を引き立てている。淡いローズの口紅に色気が滲んだ。甘さと鋭さを併せ持つアルトの声が、会議室の空気をキュッと引き締める。

シロヤマ・コーポレーションの主力事業は、不動産の賃貸仲介と管理業務だ。全国12拠点の営業所のうち、特に首都圏エリアは売上の半分以上を占めている。たった一人でこの首都圏エリアを管轄しているのが夏目エリア長だ。

雪乃は夏目エリア長の発言を受け、「夏目エリア長:残業縮小反対」とキーボードに打ち込んだ。

決定事項は、決まってから書いても遅い。雪乃は、過去の失敗からそのことを学んでいた。たとえ後で消すことになっても、その場で議論の流れを文字にしておけば、今なにが話し合われているのかが、参加者にも伝わる。議事録は、ある意味、会議を舵取りする「もうひとつの司会」とも言えた。

「残業がダメって言ってるわけじゃないんですよ、申請を出せばいいだけで」

人事部長であり、雪乃の上司でもある上杉部長がなだめるも、夏目エリア長はため息をつくばかりだ。

「営業所はものすごく忙しいんです。毎日、わかりきった残業のために申請なんて——そんなの、時間の無駄ですよ。内見続きの中、事後処理もしないといけない中で、申請書なんて…あんまり負担が大きすぎます」

「夏目エリア長:営業所の負担を懸念」と雪乃はキーボードに打ち込む。

「でも…日々どれくらい残業が出るか、分かった時点で出すじゃダメですかね?内見行く前とか…必要事項だけ書けばいいんでしょう?」
鼻にかかった声でそう発言したのは、本社の事務を管轄している前田部長だ。丸みを帯びた体に紺色のカーディガンをぴったり沿わせていた。夏目エリア長の表情がこわばる。
「そもそも、こういう申請書出すってメリットが営業に伝わらないんですよ。きっと面倒がって出さなくなると思いますよ」

前田部長は丸眼鏡の奥で眉根を寄せた。
「それは…所長やエリア長が、厳しく言って欲しいところです」
「そりゃ決まったら言いますけど…。そういうリマインドだとか、管理する方も大変なんですよ?」
まあ仕事だから決まったらやりますけど…と夏目エリア長は付け加えた。

議論というのは議事録係のために進んでくれるわけではない。雪乃は少し迷ってから、キーボードを打ち進めた。

夏目エリア長:申請書を出すメリット伝わらず、管理の煩雑化を懸念
前田部長:残業判明時点で提出、所長、エリア長からのリマインド

川端部長がまるで名案を思いついたように声を上げた。
「あーそうだ!残業が減れば、デートできるよ…!とか言えばいいんじゃないの?そうだそれがいいよ!若い人には!」

夏目エリア長は川端部長をキッと睨みつけた。
「話をかき回さないでください!あと、そういう発言、セクハラなんですよ?」

夏目エリア長に叱られた川端部長は、白髪混じりの眉を下げてしょんぼりしていた。プロジェクターの機械音が再び会議室を満たす。

雪乃は「川端部長:」まで打って、手を止めた。

(このくだりはさすがに書かなくてもいいか…)

バックスペースで川端部長の文字を削除した。
その時、沈黙を押し返すかのように、上杉部長が立ち上がった。
紺色のストライプスーツ越しでも、がっしりとした肩幅が際立つ。上杉部長はわずかに前のめりになって、話し始めた。

「皆さん、率直なご意見ありがとうございます。現場の苦労も分かります。しかし、残業時間縮小というのは…不動産会社としてシロヤマがこれから伸びていくのに必要だというのが、私の考えです」

雪乃の打つキーボードの打鍵音が、上杉部長の低い声の間を縫う。

「皆様ご存知のように、不動産会社と言えばやれブラックだキツイだなんだって言われてきました。人手は足りないし、このままじゃ成長どころか、会社を維持するのさえ厳しくなっていく。そこで、他の不動産会社と差をつけたいのが、新卒採用なんです」

上杉部長は雪乃も含めて全員を見回しながら話していた。

「最近の学生は、本当に考え方が変わってきました。会社に人生を捧げる時代は終わった。もっと自分の時間を大事にしたい——そんなふうに考える方が、いまは主流です。それは決してわがままではなく、自分の生き方を自分で選択したい、主体的な若者の姿と言えるでしょう」

発された言葉を「若者」である雪乃が必死で文字にする。

「自分の人生も選択して動ける、きっと仕事もしっかりしてくれる方たちだと考えています。だから、仕事は定時にしっかり終わらせる。皆さんにはご負担をおかけしますが、そういった習慣を身につけて欲しいんです」

上杉部長が話し終わると、また空気はプロジェクターの機械音に取って代わる。しかしその音は、少し優しくなった気がした。

夏目エリア長が、小さく息をついた。声が少し丸みを帯びている。
「言いたいことはわかったわ…でも、今の予算だと難しいのが現状ね…。せめて、営業と事務で分けて欲しい。営業マンは20時。営業事務は18時で、どうかしら。」

上杉部長は、大きく頷いた。
「わかりました。ご理解ありがとうございます。私だって、営業所の成長を邪魔したいわけじゃないんです」

やっと決定事項らしいものが出てきたようだ。
議論を密かに見守っていた雪乃は、安堵しつつキーボードを鳴らした。

残業申請
営業:20時以降
事務:18時以降

キーボードの打鍵音が、プロジェクターの機械音と混ざり合ったその時。
余韻を断ち切る低く鈍い声が、雪乃に浴びせられた。


「真田さん」


突然の名指し。顔を上げた途端、雪乃は動揺した。


声の主は、シロヤマ・コーポレーションの城山社長だったのだ。
短く刈り上げた髪型に、よく日焼けした強面の顔が映える。二代目社長らしく、どのブランドかは雪乃には分からないが、高級そうな艶のあるスーツを身に纏っていた。

4月に入社したばかりの雪乃にとって、城山社長は神様のような存在だ。

マホガニーの扉に閉ざされた社長室、ゆるやかに走り出す黒塗りの社長専用の車。稟議書の判子の、先の先にいる存在。きっと雪乃自身のことを気にも留めない、そして、できれば気に留めてほしくない存在。

今日だって議事録係として、会議室の闇に紛れようとしていた。
しかし、今の名指しで、雪乃の輪郭は白く浮かび上がった。

「はい…何か議事録に...不備、ありましたでしょうか?」
声がうまく出ない。今日の会議はあくまでも議事録係。声を出す予定もなかった。雪乃の視線がスクリーンとノートパソコンの2画面を忙しなく行き来する。

「そうじゃなくってさ」
城山社長は強面の目を細めた。

「会議の最後に、君の意見が聞きたい。この会社を、新卒に選ばれる会社にするため、何をしたらいい?」
その柔和そうに細めた目に射すくめられて、雪乃は文字通り身動きが取れなくなった。

上杉部長が席から腰を浮かす。
「社長。今回、真田は議事録係…なので...それは…別の機会に…」

「上杉くん、私は真田さんに聞いてるんだ」
城山社長は真顔で遮った。先ほどの柔和な顔が別人のようだった。


「君はシロヤマの社員じゃないか。4月に入社して半年になる。人事部長の上杉くんの下で、どうしたら皆が働きやすくなるか、考えながら働いているはずだ。若手の新しい視点が欲しい、なんでもいいから言ってみなさい」

雪乃より少なくとも15は年上、立場もずっと上の人たちの視線が一度に集まり、いたたまれなくなった。

(こんなことになるなら、日頃から何か考えておけばよかった…)

上杉部長が心配そうな顔を向けるが、もう逃げられない。鼓動が今までにないくらい高い音を立てて、吐き気がしそうだった。

(何か…思いついて!思いつかなくてもいいから、切り抜けさせて…!)

走馬灯かと思うほどの様々な風景が思い浮かんで、雪乃は目を固く閉じて必死で早送りをした。

すると、なぜか通勤途中の風景が突然頭に思い浮かんだ。

(なんで今それなの…?関係ないじゃない…別のことを…)

そう思っても、この風景ばかりが頭の中を侵食していく。

雪乃の頭を占めたもの。
それは、今朝、通勤途中に見た、大きなクリスマスツリーだ。
雪乃の身長の何倍も高いそのツリーは、まだ光っていない電球が黒いコードで繋がれていた。帰る時にはきっと、煌びやかに光るツリーを見られるだろう。

温暖化の昨今とはいえ、11月ともなるとさすがに風は冷えていく。街中の商業施設が、ハロウィンのかぼちゃを片付け、早々にクリスマスに装いを変えていた。マライア・キャリーの「All I Want For Christmas Is You」が流れると、通勤をする人々の足取りも心なしか軽やかに聞こえる。社会人になって、初めての年末が近づいていることを実感した。

大きなクリスマスツリーを見た時、考えたことがあった。

今年の12月24日は、土曜日。本社は休みだが、営業所は土日が出社日だ。営業所で働いている同期の顔が思い浮かんだ。同じ会社でも、クリスマスに休める人、休めない人がいる。

「あ、あのっ…」

つい、声が出てしまった。視線が集まり、完全に逃げ場が消える。
もう、戻れない。これを言うしかない。

雪乃のうわずった声が、会議室を満たした。

「く...クリスマスイブ…土曜日なんですけど…営業所を...休みにするのは...どうでしょうか?は…働きやすくなると…思います!」


発言を終えると、静かだった会議室がさらに沈黙する。
あっけに取られた視線が集まった。


プロジェクターの機械音だけが、遠くで、やけに大きく響いていた。
雪乃はその機械音に首を締め付けられるようだった。

第二話に続く)

#創作大賞2025 #お仕事小説部門


読んでいただきありがとうございます。
話一覧は下記です。公開に合わせて、随時リンクを貼っていきます。

第一章 ホワイトな本社 ブラックな営業所

★第一話 議事録だけじゃだめですか?
第二話 私情を業務に持ち込まない
第三話 天使の退職代行
第四話 ブラックなクリスマス
第五話 やっぱりブラックなクリスマス
第六話 部長を女子会に呼ぶ方法
第七話 渡る現場は敵ばかり?
第八話 キッチンは90センチ
第九話 それなら現場で会議をひらけばいいじゃない
第十話 議事録には載らない話

第二章 営業がわからない

第一話 端っこのMVP
第二話 家事男子の憂鬱
第三話 選ばれることを測るには
第四話 水色のミッション
第五話 お部屋選びは人生選び
第六話 推しの名は。

第三章 欠けたところを満たすもの

第一話 鳴いてたらやっぱりうるさいホトトギス
第二話 悩ましいほどの美女
第三話 大事なことは、もう書いてある
第四話 〇〇〇〇大好きおじさん
第五話 ど真ん中のイケメン
第六話 三頭身のヒーロー

最終章 人事部付 真田雪乃の議事録

第一話 彼の瞳の色は
最終話 言葉を運ぶもの








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亜麻布みゆ📕言の葉みゆフィーユ チップのご検討、ありがとうございます。 3歳児を育てつつ、スキマ時間に創作を続けています。 いただいたチップは、家事の時短や創作時間の確保に使わせていただき、より楽しい文章をお届けする力に変えていきます。応援が本当に励みになります。