人事部付 真田雪乃の議事録<2-3 選ばれることを測るには>
前回までのあらすじ
本社で人事部付として働く2年目の真田雪乃。社員総会後の同期会で丸田茉莉也と談笑していたところ、MVPに選ばれた仲介営業の同期、星原直哉が現れ、「営業がわからない」と苦しみを打ち明ける。家事男子である直哉は、顧客視点と売上とのあいだで揺れていた——。
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第二章 営業がわからない
第三話 選ばれることを測るには
「そんなことがあったんだね…」
テーブルには1つだけ残った唐揚げやポテトサラダがあったが、手をつけられそうな気配がない。雪乃は、星原がせっかく自分を選んで頼ったと言ってくれたのに、かけるべき言葉が何も出てこなかった。
一体、どうしたらいいのだろう。何が正しいのだろう。
星原の信念やそれまでの営業スタイルは、雪乃から見ても魅力的だ。
住んだ後の生活のことまで考えて部屋を選んでくれるのは、プロとして信頼できる。特に日々忙しくしている人たちは、家事をできるだけ効率よく終わらせたいと思うだろう。星原という営業と出会えて良かったと思えるのではないだろうか。
一方で、下村さんや所長の言うことも正論だ。
入居予定者だけではなく、オーナーも顧客だ。板挟みになりながらも、会社も含めた三者の最適解を出すことが営業…針の上のようなバランスで成り立っている。今まで出会った営業の人たちを思い出し、改めて尊敬の念を抱いた。
「うーん…正直、そのご夫婦は、2人でよく話し合うべきだったんじゃないかなあ…」
雪乃が黙っていると、茉莉也がグラスの中の泡を見つめながら、そっと口を開いた。目の前のピンクグレープフルーツサワーが、静かに小さな泡を立ち上らせている。
「旦那さんが押し通しちゃって、奥さんが後から嫌だ…ってなってるから…直哉くんがいくら進めても、ご夫婦としての話し合いも足りていなかったのかも…あんまり、この1件だけで自分を責めちゃうと、疲れちゃうよ?」
茉莉也も変化したのだと、雪乃は思った。昨年末のクリスマスに会った時は、入居キャンセルや仕事が滞ることに対する過剰な自責をしていた。今は直哉の自責思考を和らげるまで肩の力が抜けている。南花営業所内の信頼関係や、繁忙期を乗り越えたことの軌跡が見えるような気がした。
しかし、星原は首を横に振った。
「仮に、ご夫婦で話し合えてなかったとしても…次の引越しで僕を頼って欲しかった。ただ、お客さんは、別の業者を頼ることを選んだ。僕は信頼されるまでには至れなかったんだ。そして、なんで信頼されなかったか、理由は分かっている」
空のジョッキに星原の震えた声が響く。
「自分は一瞬でも売上に目が眩んでしまった。希望通りにしたという言い訳に、お客さんの生活が見えていなかった。今まで、自分はそれを一番大事にしていたのに…旦那さんに強く言ってでも紹介した全ての物件を見てもらうべきだった。その上で、納得する選択をして欲しかったんだ。営業として大事なものを捨てた僕が、MVPになんて値しない…称賛されればされるほど、そう思ってしまった」
三人とも、黙り込んでしまうのが気まずく、雪乃はジョッキの結露を指でなぞった。何ができるのか自分にはわからなかったが、なんとかしたいという気持ちだけが募っていく。
雪乃は、緑茶ハイのジョッキを両手で持って、音を立てないようにすすった。アルコールと緑茶の苦味が舌に残る。抹茶好きゆえ気になっていた緑茶ハイを注文したが、甘味が足りない。雪乃は大学生の時から社会人にかけて、飲み会に度々参加しているのに、好みのお酒を選ぶのが一向に上手くならないのを感じていた。
(それこそ、どうして直哉が、私を相談相手に「選んで」くれたのかすら分からない。何ひとつ解決策も浮かばないのに…)
「選ぶ」…その言葉を思い浮かべたとき、ある朝の光景が脳裏に浮かんだ。
毎朝の朝礼で、全員が唱えさせられているミッション。
そういえば、1月に南花営業所を訪れたときも、同じように唱えていたっけ。
「地域密着。お客様に常に選ばれる、シロヤマ・コーポレーション。」
数年前に社長が今の二代目になった時にミッションを制定しなおしたらしい。入社当初はなるべく大きな声を出すように心がけていたが、2年目ともなると、特に意味も気に留めずに口だけを動かしてしまっている。しかし、今、その言葉が意味を伴って立ち現れたような気がした。
「うちの会社のミッション…毎日唱えてるのって、『常に選ばれる会社』だよね…」
雪乃がそう呟くと、茉莉也が思案顔になった。
「そうだよね…毎日言い過ぎて、逆に意味を考えたことなかったよ…」
雪乃の中で、何かがぴったり重なった。
「星原くんは…このミッションを真剣に追求していると言えるよね…!」
直哉こそ、お客様から信頼されたい、常に選ばれたいと心から願っている人なのだ。
「…僕は正直、このミッションは綺麗事だと思っちゃうな」
星原は、少し伏目がちに続けた。
「営業所でミッションの話をすることは一度もない。選ばれるとは何か、選ばれるためにどうすればいいか…そんな話をすることは一度もない。ただ、朝礼で話されるのは、今月の見通し、達成できるかどうか、そんな話ばかりだ。そして、僕も達成すれば褒められるが、そうでない場合、いくらお客さんに寄り添ったとしても周りの目は厳しい。ボランティアじゃないって、言われるんだ…」
「綺麗事」という言葉には営業所の現実が滲んでいることを感じ、雪乃はモレスキンのノート、通称「議事録」に目を落とした。
「賞与も、そうだもんね…」
人事部は今、7月の賞与に向けて査定と集計で忙しい時期を迎えている。
雪乃も例外ではなく、社員一人ひとりの評価データを集計する仕事に追われていた。業務をしながらも、全社員の評価を目にしてしまうことへの罪悪感を覚えていた。
シロヤマ・コーポレーションの仲介営業の評価基準は、売上、契約数、成約率、の三つだ。確かに、評価基準から見ても数字が大事であることがわかる。
雪乃は上杉部長から説明を受けた時のメモを眺めた。要点を整理して話してもらったので、自分の手書きも落ち着いている。整った文字を見つめながら、上杉部長と交わした会話を思い返していた。
「売上」:仲介手数料や広告料、会社の収益に直接つながる数値
「契約数」:件数ベースの評価。努力の量を可視化する役割。
「成約率」:どれだけ効率的に案内を契約に結びつけているかという営業スキルの指標。
3つの組み合わせ→営業としての質と量の両面が評価される仕組み
「どうして…この三つの指標なんですか?」
雪乃が聞くと、上杉部長はペットボトルの水を一口飲んでから答えた。
「売上だけで見ると、どうしても高単価の物件ばっかり狙いたくなるだろう?たとえば、ファミリータイプばっかり扱えば、単価が高いから、その分仲介手数料や広告料が大きく得られる。しかし、そうなると、ファミリー層が多い地域に偏ってしまって不公平だ」
「なるほど…そこで、契約件数が出てくるってわけですね」
「そう。そうすれば、単価に関わらず、契約件数を多くこなした人も公平に評価することができるからね。基本はこの二つだ」
上杉部長の「基本」という言い方に引っかかって、雪乃は思わず尋ねた。
「成約率は、どうなんですか?」
「…成約率は、実は今回から部分的に導入されているんだ」
「今回から…?」
上杉部長は少し声を落とした。
「成約率は、まさに、真田さんが共有してくれた、時短勤務者の評価の難しさを解決するためのものだよ」
「えっ…私の話が…?」
雪乃は目を見開いた。
「今更で情けない話ではあるが、君が伝えてくれなければ気づかなかった。子育て世代に優しい…なんて言いながら、時短勤務でもノルマが同じじゃ、やっぱり働きにくいよな。それが原因で営業を離れた理由を聞かせてもらって、今年、試験的に導入することにした」
上杉部長が続ける。
「今回はあくまでも試験的だ。ヒアリングを重ねて、来年から本格的に運用するかどうかはこの結果次第だ。ただ、たとえ件数が少なくても、限られた内見数でしっかり決めている人が評価される指標になっていくと思う」
南花営業所で聞いた話が、反映されていることに雪乃は胸がすく思いがした。この三つの指標があれば、仲介営業の量も質もカバーすることができる…完璧な仕組みだと思っていた。
けれども、今の星原の話を聞いていると、この三つの数字だけでは測れない、“何か”があるような気がしてならなかった。
「何か」とはなんだろう…
「議事録」をめくっていると、茉莉也が何か言いたげに口角を上げている。
「あ、直哉くん。これ『真田雪乃の議事録』だよ。願いが叶ったり人を召喚したりできるんだって」
「なんでも叶う…?召喚…?」
茉莉也のファンタジーじみた発言に、星原は目をしばたたかせる。理想主義な星原にはピュアなところもありそうだ。もしかして、本気にしてしまったかもしれない…慌てて雪乃は口を挟んだ。
「議事録って…私が勝手に呼んでるだけだよ!業務で議事録を取ることが多いから、普段からみんなの話を聞いて、要約してメモをする習慣をつけているの」
「すごいんだよ、この前は上杉部長を召喚してたね」
茉莉也は「なにかの書」ごっこを続けているようだ。
「すごい、今回も誰か召喚してみてよ」
星原も悪ノリなのか本気なのか、顔を覗き込むように前のめりになってくる。
「しょうがないなあ…」
雪乃も、過去に書いたことにヒントがあるのでは、と思い始めてきた。ノートをパラパラとめくると、1月に訪れた南花営業所の記録があった。特に多くページ数を割いているのが森川さんとの会話だ。車中だったので走り書きだったが、乱れた字体から自分がいかに心を動かされたかが見えてくる。
育休復帰後 時短の時 営業のノルマ 変わらない
↑なんとかする
少し雑味のあるメモから記憶を辿ると、森川さんは妊娠中にも関わらず、今後頑張れなくなるかもしれないから、今頑張らなければ…と朗らかに語っていた。そして、それは営業の先輩である、水嶋さんの背中を見てのことで、なぜ、水嶋さんがすごいのか、語られていたことを思い出した。
とにかくお客さんへの寄り添い力が半端なくてさ。売上トップではなかったけど、お客さんと信頼関係を築いて、次の引越しの時も覚えててくれて指名されたり。
雪乃も、茉莉也の世界にちょっと足を踏み入れたくなった。
コホンと一つ咳払いをした。
「召喚しよう…南花営業所のお姉様方を!」
茉莉也は「ほらね」と直哉に向かって肩をすくめると、星原が目を丸くする。雪乃はちょっと笑って話を元に戻した。
「水嶋さん…って、茉莉也の事務の先輩は、出産前…営業だったって言ってたね」
「うん。今も人が増員できるまで時々営業に入ってる」
「そう、とにかくすごい営業だ、と森川さんから聞いてる。売上トップではなかったけど、次の引越しの時にも覚えられてて、水嶋さんを指名してくれるらしいよ」
星原が眩しそうに、目を細めた。
「そうなんだ…僕の理想だ。もし、次の引っ越しの時も僕を頼ってくれたら、こんな嬉しいことはないよ」
その言葉に、雪乃は勢いづいた。
「だよね…!次の引越しの時も指名される…って、まさに『常に選ばれる』ことで、会社のミッションを体現していると思わない?」
二人がうんうんと頷いている。
「会社で『お客様に選ばれる…』ってミッションを掲げているならさ、売上も大事だけど、水嶋さんみたいな人こそ評価の対象になるべきじゃない?だから、次の引っ越しする時の指名率も、賞与の評価対象になったらいいと思った!」
しかし、星原も茉莉也もその言葉には重く黙った。
茉莉也が、躊躇いがちに口を開いた。
「次の引越しなんてお客さんの状況によるし、この営業さんが選んでくれた部屋が良かったから住み続ける…なんてこともあるかもしれないよね?」
「あ、それは考えてなかった」
「たとえば、選ばれる…を一つの指標にするとしても、何を基準にすればいいのか…数値化が難しいよね」
雪乃が知らない現場視点を、茉莉也は持っているのだ。
その時、ぽつりと、星原が言った。
「アンケート…というのは、どうかな…?ほら、時々あるよね。サービスを受けた時…また同じサービス受けたいですか…?友達に勧めたいと思いますか…?とか、10段階で評価するもの。そういうのがあれば、一つの指標になりそうだよね…?」
「アンケートの数値が高ければ…選ばれるってこと…?」
「実際はどうかわからない。ただ、『また同じ担当者から接客を受けたい』の数値が高い人がいたら、それは実質選ばれてる、ってことなんじゃないかと思う」
雪乃は、心の中で何かが繋がったような感覚を覚えた。
たとえ引っ越さなくても、アンケートの満足度が高ければ、それは、またこの人に頼みたいという証になる。
そして、それを評価の一つの指標にできれば…仲介営業は、売上を上げることだけでなく、「お客さんから選ばれる営業」になることを目指すのではないか。それは、ミッションを守っている理想的な営業になるのではないか。
南花営業所から現場視点を持ち帰った時と同様に、興奮で胸が高鳴った。
現場の生の声をこんな風に本社に伝えられるなんて…、会社が現場に合わせて動き出すのを目の当たりにした。
「上杉部長に…聞いてみようかな。今の『選ばれる』って、三つの指標だけで測れるんでしょうかって。——『本当に選ばれている人』を、ちゃんと評価できる仕組みにしたいよね!」
(第四話に続く)
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