人事部付 真田雪乃の議事録<2-2 家事男子の憂鬱>
前話までのあらすじ
本社で人事部付として働く2年目の社員、真田雪乃。社員総会の後、同期会で端のテーブルにいた雪乃のもとに、MVPに輝いた同期・星原直哉が現れる。彼は、「営業がわからなくなった」と打ち明けた——その言葉の裏にあるものとは。
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第二章 営業がわからない
第二話 家事男子の憂鬱
「星原君、すごいじゃない!今月も目標達成率120%だよ!出須賀のエースだね!」
所長から全員の前で褒められると恥ずかしくなってしまう。「よっ、Z世代のエース!この調子で頑張れよ!」と直哉の先輩である下村さんが肩を叩いた。
出須賀営業所のある出須賀駅は都心から約1時間のアクセスだ。幾つもの大学が活気を生むエリアで、大学生から転勤族、ファミリーまで幅広い層に人気がある。直哉は新卒で賃貸仲介の営業になり、まもなく1年を迎えようとしていた。
最初は下村さん等の先輩に同行するだけで自分では何もできなかったが、一人で賃貸の案内をするようになると、次第に売上目標を達成できるようになってきた。所長からは出須賀の稼ぎ頭、エースなどとおだてられている。
こういうおだてられ方をするのは、直哉に売上を上げたい気持ちが見られないため、きっと発破をかけられているのだろう。
直哉には、売上よりも大事にしている一つのこだわりがあった。
それは自分が担当した人には、家事がしやすい部屋に住んで欲しい、というものだ。
朝礼後、顧客メールを開くと昨日内見したお客さんから連絡が来ていた。
Title:Re:ケヤキマンション305の件
「掃除機大丈夫でした、ありがとうございます!このお部屋にします!」
直哉は、管理物件一覧のボードからケヤキマンション305を探し「申込済」の黄色いマグネットを貼り付けつつ、昨日の会話を思い出していた。
「ここの収納、ご家庭の掃除機入りそうですか?」
「ああ、そうだ...まあ、大丈夫じゃないかな」
お客さんは曖昧にそう言うが、ちょっと不安そうだ。
「一応、測っときましょうか」
持参したメジャーで収納の大きさを測ってメモをした。
「こんなに細かいところまで...ありがとうございます」
「よかったら、帰って一旦確認されますか…?」
その場で決めずに一旦お客さんを帰してしまったことに所長からは呆れられたが、このメールを見て直哉は安心した。やはり、毎日を気持ちよく過ごせるかどうかは、家事の導線や収納のしやすさが重要な要素だと確信した。
直哉は家事が好きだ。幼い頃から両親が共働きで忙しく、姉によく料理や掃除、洗濯など家事全般を仕込まれていた。
「今時ね、家事できない男はモテないんだから」
そう言われながら強制的にやらされていた。最初は渋々だったが、次第に家事自体に楽しみを見出すようになっていく。もともと収集癖があり、コレクション収納やその周りの掃除に熱中してしまう。家事そのものにのめり込む直哉に「もう、そんなもんでいいよ」と姉に言われるほどだった。
直哉は大学生の時に、家事代行のアルバイトを始めた。家事代行は子育てを終えた主婦が多いのかと思ったが、意外と力仕事が必要なため男性の需要もあるようだ。
様々な家を訪れていると家事をしやすい家や、家事のしがいがある家、なかなか家事をしても成果が見えにくい家があることに気づいた。
模様のせいで汚れているように見える床、収納に合わないものが飛び出ている扉の前...そういったタイプの部屋も最大限掃除はするものの、依頼者のモチベーションが上がりにくいのか、時間を空けずにまた依頼が来る。依頼自体はアルバイト先の利益にはなるが、依頼者は掃除がしにくくて困っているように見えてしまう。
(最初から家事のしやすい家を選べばいいのに...)
そういったもどかしさを抱えていた、という理由で、就活では不動産会社を志望した。こんな理由で不動産会社を受ける人が珍しいのか、土地開発に携わるディベロッパーから注文住宅を扱うハウスメーカーまで様々な企業の内定を得た。その中で、中堅の賃貸仲介・管理会社であるシロヤマ・コーポレーションに入社した。それは、注文住宅を建てられるお金がなくても、単身者にも家事は発生するから、あらゆる層にアプローチする賃貸仲介の方がいい、と考えたのと、そういう直哉の話を全て受け止めてくれた面接官、上杉部長の存在が大きい。
直哉が家事に詳しいことを知ったお客さんには、様々な反応をされる。
「へえ、男の子で。めずらしいね」
「時代だねえ」
「うちの旦那に見習って欲しいわ」
直接反論はしなくても、心のうちでこう思ってる。
家事は、どんな家でも、誰にでも、必要なのだ。
そんな直哉を見てくれてる人はいる。
「星原さんは、実際に住む人の目線に立っている。だから信頼できる」
そう言ってもらった時が、一番嬉しかった。
しかし、こんな独自路線を進む直哉に所長はいい顔をしなかった。
「星原君はさ、あんまり決める!っていう気持ちがないんだよね、それが良さでもあり、弱点でもある」
所長からはたびたび、このような話をされていた。
「今はそれでもいい。実際売れてるから。でももっと成長したいなら、売上を上げるマインドを持った方がいい」
売上が上がれば素直に嬉しい。営業所では目標を達成した月には数万円のインセンティブを得ることはできる。直哉は、そのほとんどを推し活に費やしていた。
*
「星原君、今月はもう後半だけどまだ未達?先月はすごい調子良かったのに...」
「はい、今のところ...昨日のお客様はその場でどうしても決めきれなくて...引き続き連絡取り続けます」
「頼むよ。優しいのは分かるけどね、こっちはボランティアでやってるわけじゃないんだ。結果に繋がらないと、全部無駄足になるんだから」
売上の見通しが立たないことを知った月の半ば、所長は厳しい口調になった。
朝礼後、隣に座る下村さんが口の端を緩めてニヤニヤしている。
「Z世代君。この前のはビギナーズラックか?」
「...そうかもしれません」
「そう落ち込むなって。ポテンシャルあるんだから、もっと上手くやりなよ!」
そう言いながら、一枚の資料を取り出した。「マイソク」と呼ばれる、空き物件の情報をまとめた資料だ。間取り図や設備の情報が1枚に収まっていて、不動産屋の前に貼られているチラシとほぼ同じ内容だが、業者間で出回っているものには少しだけ違いがある。
例えば、左下に書かれていた「AD100%」という表記。
ADとは「広告料」の意味で、仲介業者がその物件の客付け、すなわち賃貸契約に成功すると、オーナーから家賃1ヶ月分の報酬が支払われる仕組みだ。
なかなか決まりにくい物件ほど、こうした広告料が設定されることが多い。
直哉も、新人研修の時に教えられてから広告料の存在は知っている。
「僕、あんまりAD付いている物件で決まったことないです」
「そこなんだよ。それを決めてこその営業だ」
「ADって、やっぱり決まりにくい物件だなあ...と思いますね、家事動線とかもあんまり良くなくておすすめしにくいんですよね」
直哉がそう言うと、下村さんが緩めていた口元をきゅっと引き締めた。
「いいか、真面目な話。決まりやすい物件を決めてたら、営業の介在価値ってないんだぞ?」
「介在価値...」
「俺たちが関わっているのは部屋を探している人だけじゃない、オーナーから物件を預かってるんだ。それで、会社で給料をもらって働かせてもらってる。一方向だけ向いてたらダメなんだ」
「そうですよね...」
「悪いことしてるわけじゃない。売り上げっていうのは、オーナーの願いを叶えて、会社の役にも立つ、入居者も部屋が早く決まった方がいいだろう。あんまりうんうん考えてても、それこそ誰かに取られてしまう。もっと色々、貪欲になろうぜ?」
「はい...」
(一方向だけ向いていたらダメ、か…)
直哉は、手足を別々の方向に引っ張られているような思いがした。
しかしそうも言っていられない。午前中、関西からの転勤DINKS、斉藤夫妻を案内する準備をしなければならない。あらかじめ聞いていた条件をもとに管理物件を2件、仲介会社から取り寄せた物件資料を3件、合計5件をピックアップすることになった。
取り寄せた物件資料の中には1件「AD150%」と書いてある物件があった。AD150%は、仲介業者にとって、正直美味しい。
家賃1ヶ月分の仲介手数料が借主から入るのに加え、貸主からも家賃の1.5ヶ月分が支払われる。
家賃13万円のこの物件「ニューミレニアム出須賀」が契約になれば、13万円+19万5000円で、合計32万5,000円の売上になる計算だ。電卓で計算結果を出し、思わず唾をのんだ。
(ダメだ…自分のポリシーに、やっぱり反している…)
どんなお部屋が一番使いやすいだろう、と思い直した。自分のイチオシは管理物件の「コーポ・ジ・ボアール」だ。とにかく収納が充実していて水回りの導線も優れている。使いやすそうだし、家事をする人にとって心地いい空間になるだろう。
(AD150%の物件を決めたら、今月達成が見えてきそうだな...)
一瞬でも感じてしまう自分が嫌になる。この、AD150%の「ニューミレニアム出須賀」は、直哉も一度見に行ったことがあるが、あまりおすすめしにくい物件だ。全体的に古く、床材はどんなに掃除しても綺麗に見えなさそうな物件だ。また、南東向きで方角は悪くないものの、周辺物件の影響で採光が取りづらく、洗濯物も乾きにくくなるし、部屋干しすると部屋全体が湿気でいっぱいになってしまうだろう。
(この物件を紹介するにしても、見せる順番を変えてはどうだろう)
「最初に見たものが基準になる」というのは、お笑いの大会などでも言われていて、人間の心理をついている。物件担当者は最初の方に「そこそこの物件」を見せ、それから「おすすめしない物件」、最後に「イチオシ物件」を見せると決まりやすい、と下村さんから言われたことがある。
最後に「コーポ・ジ・ボアール」を持ってくるとして、その前に「ニューミレニアム出須賀」を見せればいい。これなら、紹介はしたけれども、きっとお客さんも「コーポ・ジ・ボアール」がいい、と納得感を持って決めることができるはずだ。
ところが、直哉の一押し物件である「コーポ・ジ・ボアール」を見せる前に、斉藤さんは「ニューミレニアム出須賀」を申し込むと聞いたので、虚をつかれた思いがした。
「え?この物件でいいんですか?」
「いいんですか?ってそんなん君が紹介してくれたんやんか」
恰幅のいい体を大きく揺らしながら、斉藤さんが豪快そうに笑った。
「わ、失礼いたしました、ありがとうございます。お掃除やお洗濯のしやすさなど...大丈夫そうですか?」
「ええて。俺は一日仕事やから全然気にならんし。どうせどこでも一緒やろ」
「まぁ...せやね」
斉藤夫人が控えめに同意する。
「正直あんま部屋にこだわりがないもんでな、1ヶ月家賃まけてくれる方がええわ」
関西から転勤になった斉藤夫妻は、転勤手当の額が決まっているので、できるだけ初期費用を抑えた方が浮いたお金を家具などに当てられるのだという。その物件は、広告料だけではなく入居者に対する初月無料キャンペーンも行っていた。今まで借り手が見つかりにくい物件だったことが伺える。
斉藤さんは、時折ガハハ、と笑いながら夫人と共に出須賀営業所で申し込み用紙を記入した。
(とにかく、目標は達成できそうだ...)
そう思うと同時に、「なあんだ」とも思った。結局はお客さん次第なのだ。家事導線だけが全てではない。住むにあたって重視するポイントは、人それぞれなのだ。もしかしたら、家事がしやすい家に住んでほしい、という自分の信念も、独りよがりなものだったかもしれない。
申し込み手続きを終えて報告をした時、所長は顔を綻ばせた。
「星原くん、やればできるじゃない!」
直哉は息をついた。
(これからは、家事動線なんて…あまり気にしないようにしよう)
そして、家事に対する知見を持ちながら、それを決して押し付けなくなった直哉は、優秀な営業マンだと言われるようになった。所長からも、オーナー担当の先輩からも感謝されて、これでよかったのだ、と言い聞かせた。
毎月コツコツと目標達成をしていたら、新卒1年目としては異例の「MVP」として表彰される…と聞いて、出須賀営業所の所長はじめ、全員が喜んでくれた。
以前の自分は未熟者で独りよがりであり、今の自分こそが進化系なのだ。「自分はなんのために…」という、空気砲のようなもやが直哉の中に浮かぶたびに、「営業として、成長したんだから」という言葉で自分をしずめた。
*
斉藤夫妻との契約から数ヶ月後、直哉はレインズで物件を検索していた。レインズとは、不動産業者だけが使える物件情報の共有システムで、業者同士が空き物件を探したり、他社の物件を紹介したりする時に使われている。ほとんどの物件がこのシステムから閲覧することができるのだ。
見覚えのある物件があった。斉藤夫妻と契約した、「ニューミレニアム出須賀」だ。1ヶ月後に退去予定となっている。
(住んでから数ヶ月も経っていないというのに...)
入居後の顧客と仲介業者が連絡を取ることは、個人情報の観点からもあまり推奨されるものではない。それでも、斉藤さんのことだけは少し気に掛かり、履歴に残っている電話番号から連絡をした。
「お世話になっております。星原です...」
すぐに斉藤さんの関西弁が聞こえてきた。
「ああ、星原さん。この前はお世話になりました。実はあのお部屋ね、出ることになって」
「そうでしたか...。お部屋に何か不具合でも...?」
「実はね、家内がどうしても日当たり悪くて、気が滅入るって言うて終始不機嫌やねん、もうしゃあないから、引越し代無駄になるけど、引っ越すことにしたんや」
「それは...大変申し訳ございません。」
斉藤さんがガハハ、と電話の向こうでも揺れるのがわかるほどに笑った。
「いやいや、星原さんが謝ることやないって」
「ありがとうございます、新しいお部屋は、もうお決まり...ですよね」
「そう、他の業者さんにお願いした、えらい親切にしてもろうてな。あ、ちょっと電車が来るから、ほなお元気で」
電話の切れる音は、電車の轟音にかき消された。
「親切な業者さん」と他の業者を評したことで、直哉の胸に大きな空気砲が放たれた気がした。
あの時、直哉のおすすめ物件、「コーポ・ジ・ボアール」まで紹介していれば、このようなことにはならなかったかもしれない。斉藤さんに、押し切られる形になってしまった。いや、押し切られる、と言うのを言い訳に、AD150%でラッキーだと思って、言われるがままにしてしまった。
いつもの自分なら…「せっかくなら、コーポ・ジ・ボアールまで見ましょうよ」と、言ってたかもしれないのに…。
その結果、斉藤夫妻はあれだけ抑えたいと言っていた引越し代を無駄にしてしまった。「ニューミレニアム出須賀」のオーナーさんも広告料までつけて空室が埋まるのを望んでいたのに、すぐに退去が出てしまった。
自分は、誰の役にも立っていない。
自分の売上を上げただけになってしまった。
自分は、果たして成長したのだろうか。
大切なもの、大切にすべきだったものを捨てただけではないのか。
MVPとして壇上に上がった時。
拍手が土砂降りのように降ってきた。
迷うことを、許してくれないような拍手だった。
(誰か…助けてほしい)
壇上から社員の顔を見渡す。
その時、目が合ったように思ったのは、同期の真田雪乃だった。
直哉は彼女と一度も話したことがない。
おとなしそうな見た目とは裏腹に、社長にクリスマスイブの休暇を提案したり、自ら営業所に出向いたりと、行動力の塊なのだそうだ。
悩み…
所長や下村さんには「そんなの気にするな」って言われそうな、悩み。
いつも話している同期にも、「MVPなのに贅沢だ」と言われそうな、悩み。
真田さんになら…話を聞いてもらえるかもしれない。
いや。真田さんに、自分は話を聞いてほしい。
なぜか、直哉はそう直感していた。
直哉は社員総会の打ち上げで、端っこのテーブルに向かった。
(第三話に続く)
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