人事部付 真田雪乃の議事録<3-2 悩ましいほどの美女>
前回までのあらすじ
シロヤマ・コーポレーションの人事部付、2年目の真田雪乃。営業所の訪問や、顧客との出会いを通じて「売上」の裏側にある選択の重みを知った雪乃は、本社での日々に戻っていた。
そんな中、給湯室ではいつも通り“ホトトギス”の三人組が噂話で盛り上がっている。そのネタは、なんと建物管理部の川端部長が「セクハラで訴えられた」というものだった。セクハラ発言はあるものの、訴えるほどなのか…?と、戸惑う雪乃。
その直後、同期である芹沢結衣から「話がある」と呼び出される。建物管理部のコールセンターに所属する結衣が、打ち明けたのは「川端部長のこと、言ったのは私」という告白だった。
同期であるもののあまり話したことがなかった、端正な顔立ちの結衣に何があったのか…雪乃は結衣の話に耳を傾ける。
前話 最初の話 話一覧
第三章 欠けたところを満たすもの
第二話 悩ましいほどの美女
営業とかじゃなくて、本当に良かった。
建物管理部のコールセンターへの配属発表を聞いて、結衣は胸を撫で下ろした。一番、顔が関係しない部署とも言える。もし、客先に立つ営業だったら…きっと、今までと同じような悩みを抱えていただろう。
結衣の悩みは、今までの人生そのものだった。
自分の顔立ち自体は、幼い頃から気に入っていた。鏡の前で笑うと、とても気持ちがいい。自分を持っている人形に見立てて、着せ替えをしたり、髪型を変えたりすると雰囲気ががらりと変わるのが面白かった。
しかし、周りの目は結衣が自分らしくいることを、許してはくれなかった。
小学校卒業までは、周りは男女関係なくフラットに接してくれたように思う。思春期を迎えるにつれ、同級生や大人たちの目線が徐々に変わってきたことに気づいた。
中学生の時、「好きです、付き合ってください」と初めて言ってきたのは、隣のクラスの全く話したこともない男子だった。なぜ全く自分のことを知らない状態でそう言えるのか不思議だったが、好かれるのは素直に嬉しく、付き合ってみることにした。
しかし、1ヶ月ほど経ち、ようやく自分の気持ちが相手に傾き始めた頃、「ごめん、やっぱり…イメージと違った」と言われ、一方的に関係を切られた。その後も、同じように初対面に近い男子からの告白、心を開くと関係を切られる…ということが何度も続くのが寂しくなり、よく知らない人からの告白は受け付けないことにした。しかし、そうすると「冷たい」「お高く止まっている」などの陰口が聞こえてくる。
そのような悩みをクラスメイトの女子に話すと、困ったような顔になった。
「結衣ちゃんが美人だからだよ」
「贅沢な悩みだなあ」
「私、その人、好きだったのに」
周りの人と同じように、自分自身の悩みを打ち明けると、浮き上がってしまう。「自慢?」「マウント取ってる?」と睨まれることもあり、悩みの打ち明け方も言葉を選ばなくてはならなくなった。普通に過ごしているだけで、ものすごく罪深いことをしているような気持ちになった。
高校生になって初めて、心から分かり合える友達ができた。自分自身の悩みを打ち明けても、優しく微笑みながら受け入れてくれるように思えた。彼女とは休み時間を一緒に過ごし、休日も時々遊び、楽しい日々を過ごしていた。
しかし、その関係も長くは続かなかった。
ある休日、彼女と街を歩いていると、背後から「お姉さんお姉さん」と肩を掴まれる感覚があった。
振り向くと、白シャツに黒いジャケットを羽織り、日焼けした肌の男性がニヤニヤとしながら立っていた。
「…なんですか?」
「いやーお姉さん美人だなあと思って…どこ行くんですか?」
「…関係ありますか?」
「冷たいなあ、高校生?大学生?俺とお茶しない?奢るよ。」
ぐいぐいと距離を詰めていられていくのに圧倒されていると、友人が手を引っ張った。
「結衣、行こう」
すると男は急に鋭い声で、言い放った。
「ブスが邪魔をするんじゃねえ!」
引っ張っていた手を離されて、結衣はハッとして友人の方を見た。下を向いて、唇を噛み締めている彼女を見て、沸々と怒りが湧いた。
「最低。初対面の女子に、失礼ですよ?」
自分の持てる限りの目力で睨みつけて、一番低い声を出した。男は「あっ…サーセン」と言いながらすごすごと逃げていった。友人は下を向いて、涙を堪えていた。背中をさすりながら、近くのベンチに向かった。
木陰のベンチに座って、友人はしばらく泣いていた。
そして、嗚咽の合間に、何度もごめんごめん…と呟いていた。
「どうして…謝るの?」
「ごめん…結衣が悪くないの、わかってるんだけどさ…私、すごく惨めだった。」
「…え?」
「こんなに、対応変わるんだね…周りの人。美人かそうでないかで…薄々察してたけど、本当はずっとしんどかった。結衣の悩みも、全部、マウント取ってるようにしか聞こえなくなった、ごめんね、ほんと、わたしが…弱いだけなんだけどね…」
「そんなこと…」
彼女は結衣が言いかけた言葉を制した。
「ごめん、結衣に何言われても、惨めになる。もう、放っておいて」
友人は涙を拭って立ち上がり、「帰るね。」と言って追いかける間もなく駅の方向に早足で歩いていった。
また、相手を失った。
しかも、自分がマウントの加害者だ。人を傷つける形で。
結衣だって泣きたかったが、ここで泣くのは卑怯な気がした。
女子大に進学し、結衣は似たような顔立ちの人たちと一緒にいることを覚えた。顔で友人を選ぶことに抵抗はあったが、話していると割と居心地がいい。サバサバと喋り、カラカラ笑うことを真似した。おしゃれをするのが好きなことも、よく知らない人から告白されて困ったことも分かってくれた。
「結衣はインスタとかやらないの?」
一人がスマホの画面を見せてきた。覗き込むと、砂浜をバックにした彼女が片手を上げて晴れやかな笑顔で映っている。写真をスクロールすると、さまざまなポージングをしている彼女の姿があった。
「これって…世界に公開されるんでしょ?」
ただでさえ目立つ顔立ちで、それで声をかけられて困ってしまうのだ。これを全世界に公開したら…というのは考えられなかった。しかし、彼女は呆れた表情になった。
「固いなあ、結衣は。親かよ。こんなに美人に生まれたんだから、見せびらかさないと損なんだよ?」
「損…?」
周りの何人もが、そのようにしてSNSを活用していたので結衣もアカウントを登録した。どうしても顔を出す気になれず、服や景色の写真を撮っては投稿していた。しかし、偶然友人の写真に写り込んでしまった時、結衣のアカウントにタグ付けされてしまった。
「勝手にタグ付けしないでよ」
結衣の文句を意は介さず、スマホの画面を見せてきた。
「見てほら、すごい伸びてるこの投稿。コメントもいっぱいついてるよ、結衣さんが美人すぎるって、いいなぁ..いつもの投稿も伸びればいいのに…」
結衣は、薄く笑うことしかできなかった。
この友人達との心からの対話を、あきらめた。
就活の時期になった。友人達は大手の広告代理店やアパレル業界、商社の一般職から早々に内定を得ていた。結衣は、就活が苦手だった。面接官の目線がねっとりと注がれているのに、自分の話はほとんど聞いていないように思えた。集団面接の帰り道、「どうせ顔が良い子が通るんでしょ!」と、他の就活生から顔を覗き込まれた。
その会社から選考通過の知らせが来たが、行く気になれず、辞退してしまった。
唯一、自分の見た目に表情を変えなかったのは、シロヤマ・コーポレーションの上杉人事部長だった。上杉部長の目線は、内面を貫通しているようだった。
自分の生い立ちと、行動の理由をじっくりと聞いてくれたので、結衣はこれまで起こったこと、感じたことの全てを話した。
「結衣ならもっと、大手の不動産行けたのに、もったいない」
周りのそんな声を無視して、内定の出たシロヤマ・コーポレーションへの入社を決めたのも、上杉部長の面接が理由だった。結衣が営業や営業事務ではなく、建物管理部のコールセンター配属になったのは、上杉部長の采配があったからのように思えた。
建物管理部コールセンターでの仕事は充実していた。入居者からの建物の不具合連絡を受けて、専門業者やオーナーにつなぐ。表情が見えなくても声色で困っていることや、急いでいることが伝わってくる。早くなんとかしなければ、と逸る気持ちを抑えて冷静に対応していると、他のことを何も考えなくても良くなった。自分の顔が相手に見えないのも、安心できることの一つだ。
コールセンターは全員が女性で、正社員は結衣だけだ。一番歳が近いのは20代後半の派遣社員、主に30代から40代くらいのパートや派遣社員、契約社員で構成されていた。年齢や雇用形態の違いを超えて、先輩とは上手くやっていたつもりだった。
有益な情報は提供しても、自分の個人的な話はしない。お子さんの写真を見せてきたら、全力で褒める。迷惑はかけない範囲で、ちょっとできないところを見せて、頼る、そんなことを覚えた。目立たずに当たり障らず、職場で過ごすことができた。
しかし、それも、建物管理部の川端部長が現れるまでのことだった。
川端部長は週に1回程度、コールセンターに顔を出していた。50代ぐらいの気さくなおじさんだ。
「芹沢さんって彼氏いるの?いないの?こんなに美人なのに…もったいない!」
訪れるたびに、美人だとか、恋愛のこととか、尋ねてくる。
最初は、先輩達が庇ってくれていた。
「部長、やめてくださいよぉ、芹沢さん困ってますよー?」
しかし、次第に先輩達も面倒になったのだろう、何も言わなくなっていった。
ある時、先輩達の中でも、特に声の大きい人がこんなことを言った。
「部長ってほんと、芹沢さんのこと気に入ってるよねー」
あはは、言えてる、とさざなみのような相槌が周りから上がった。
「や…そんなこと…」
不意打ちで名指しされ、消え入りそうな結衣の声に、大きな声が被さった。
「知ってるよ、気づいてること。芹沢さん、ほんとは分かってんでしょ。自分が美人なこと。すごい謙遜してる風なのがまた、鼻につくよねー」
そしてまた、あはは、という相槌が上がった。
頭が真っ白になった。今まで築き上げてきた関係性は、いとも簡単に崩れてしまうのだ。
だんだん、芹沢さんは美人だから、部長のお気に入りだから、と何かにつけて言われるようになる。「美人」も「お気に入り」も、悪口ではない。それなのに、いや、それだからこそ、居場所のなさを感じた。
それでも、他の部署に行くことは考えられなかった。結衣には、この部署、この仕事、声だけで対話し、相手の気持ちをおしはかるこの部署がものすごく向いていた。
川端部長の、アレさえやめてもらえれば…少しずつ、彼女たちにも、忘れてもらえるだろうか…
そんな時、匿名で社内の人間関係について相談できる「社内ホットライン」があると知り、一旦は迷った。
全体のことを言うと、匿名でも誰だか分かってしまう。端的に、川端部長にやめてほしいことを、伝えた。
後日。
川端部長が若い女性にセクハラをしているという噂が流れた。
呼吸が苦しくなった。川端部長は悪い人ではない。
また、自分のせいで…
罪悪感のもやが、胸いっぱいに広がる。
誰か、誰かに話したい。
その時、一度も話したことがない同期。
それなのに周りに合わせて「ユッキー」と呼んでいる、大人しそうな同期。
真田雪乃、の顔が思い浮かんだ。
(第三章第三話へ続く)
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